第九十九話 丸く
ひび割れたアスファルトを蹴るようにして、身体を前方へと進める。腕が風を切り、視界が酷く揺れていた。しばらくトレーニングをしていなかったせいか、フォームが少し崩れているのが自分でも分かった。
手に持った携帯は、まだ野雲さんとの通話状態を保っている。一度切って荻江先生を救出している隊員のなかから何人か要請しようかとも考えたが、あいにく彼らがいるのは南端の海岸だ。そして、おそらく野雲さんは北端の武美山にいる。いくら小さな島とはいえ、端から端までは結構かかる。要請した団員を待っている暇はない。今は一刻も早く野雲さんの下へ向かう必要があった。
とはいえ、『自分ひとりで解決したい』というエゴもある程度働いたのも確かだ。
『ねえ! もしかして、ここに来ようってわけえ?』
空を切る携帯からは微かに野雲さんの嘲笑が聞こえ、それがひそかに僕を駆り立てていた。
「待ってろよ! 僕が駆けつけるまで泰助には手を出すな!」
僕は殺意すら浮かべてそう怒鳴りつけたが、野雲さんは動じなかった。むしろ、そうやって憤る僕を見てさらに楽しんでいるらしかった。
『ねえ、走りながらでいいから、私の話を聞いてよ』
電話を耳元に当てていると、僕としては走りにくいことこの上ないが、それでも電話は切りはしなかった。
僕がなにか反応する前に、野雲さんは続けた。
『あの日、竹内はね。放課後に私を連れ出して、島中を案内してくれたわ』
野雲さんの話は、どうやら竹内が襲われた日のことらしかった。
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私は断ったんだけど、竹内が頑なに誘うものだから、しょうがなく肩を並べて島を回っていたの。ロマンチックな演出でもしようとしたのか、夕日に映えた海岸を沿って歩いたわ。とりあえず「綺麗」とか「素敵」とかいう言葉を興奮しているのを装って使っていたけど、それが彼を勘違いさせちゃったみたいね。
夏の夜に枕元へ忍び寄ってくる蚊みたいな、とっても煩わしい視線を向けられたのよ。それが横目で盗み見る程度なら許せたんだけど、彼は私が振り向いてもその熱い視線を私に向けたままなの。「なに?」って訊いても何も答えなくて、ただ竹内は真っ赤な顔で愛おしそうに私を見つめ続けたわ。本当に吐き気がしたんだから。
そしたら案の定よ。「武美山には綺麗なところがもっとあるよ」とか言って、生意気にも私の手を引っ張って山に私を連れ込もうとするわけ。彼は、本当に人の迷惑を考えないわよね。めんどくさそうな表情してみたけど、どうやら伝わらなかったみたいね。結局山のふもとまで連れて行かれたわ。
なんて言うんだっけ? ミッチー湖かしら? なんか友達が飛び込んで、みんなで笑いあっただとか、そんなくだらない話で場をなごませようとしてたわ。
それで、私が大人しくしてると、いきなり肩を掴んできて、無抵抗なのをいいことに「今日あったばかりで驚くだろうけど君が好きだ」とか「君は俺にとっての太陽だ」とかふざけたこと抜かして、それでも私が愛想で笑ってると、汚らしい顔を近づけてキスしようとするわけ。どこぞの田舎男になんで私が接吻迫られないといけないわけ? 本当に吐き気がしたんだから。竹内って、軽くナルシストでしょ? 俺が拒否されるわけがないって顔してるのよ、あー思い出しただけでも身震いするわ、あのキス顔はひどいわよ。もうちょっとで笑っちゃうところだったんだから。だいたい、ここの島の男って、土臭いのよね。まさに田舎って感じ。香水とかつけないわけ? よくそんなんで人前に出れるわね。
まあ、いいわ。君にそんなこと言ってもしょうがないもんね。
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『つまり、簡単に言うと、竹内がキスしようとしてきたから、もっと山の奥に誘い込んでスタンガンでちょっとお仕置きしたわけ。まあ、なんでスタンガンなんて持ってるのかは訊かないでね? いろーんな事情があるのよ』
そう言って、野雲さんは僕の反論を待つように無言になった。
僕もなにか反論してやろうと思ったが、いくら問いただしても真相を教えてくれなかった竹内の真意を考えると、嘘でもなさそうだった。ようは、自分が無理やり野雲さんにキスを迫ったことがバレるから、彼は野雲さんに対して何も言えなかったのだ。全てを野雲さんにあわせようとした。それですべてが丸く収まるのだから。