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第九十八話 走って

テスト終わりました!

なので、いつもよりちょっと長いです!

 泥の海に沈んだような、不快なまどろみのなかで、僕は目を覚ました。ゆっくりと、深いところへ引きずり込まれていく感覚を身に受けながら、辺りを見回してみる。


 果てなく闇が続き、かろうじて指先が薄っすらと見える。顔を上げてみると、ずっと遠くに針を通したような穴が見え、そこからはやさしい光が差し込んでいた。しかし、その光は僕の元へ届く前に闇へ塗りつぶされてしまう。


 宇宙を漂っているような気分で愉快にもなったが、すぐに飽きた。そして、代わりに押し寄せてきたのが著しい孤独感だ。凍えるようで、身を包むものもなく、開け放しの身体で無抵抗に漂っている。


 宇宙を独りで漂う孤独。地に足が着かない不安感。一寸先の闇への恐怖。


 僕は一体、何がしたいんだ。


 誰も信じられなくなって、独りになったかと思えば、今度は独りでいることが寂しい。


 陸上が全てだった。中学生のころは、もっぱら陸上に熱意を注いでいた。本当に他のことなどどうでもよく、友達はいなくても構わなかった。誰もが大げさに思うけれど、陸上が僕の全てだったということは、どうしようもない事実だ。


 コーチが、死ぬまでの話だけれど。


 闇のなかに、不意にコーチの顔が浮かびあがる。頬の骨が浮き出ていて、カクカクとした輪郭だが、笑うとしわの寄る目じりだとか、たくましい鼻筋だとか、健康的な褐色肌だとか、どこか太陽のような人だった。


 手紙が届いたのは、先生が島から消えて、三週間後だった。『君がこの手紙を読んでいるころには、私はとっくに死んでいるでしょう』という一文が初めに目に飛び込んできて、僕は思わず笑ったのを憶えている。ちょうど、授業で夏目漱石の『こころ』を勉強していて、その内容にも同じ文があったからだ。


 けれど、先生の手書きの文字が、段落を越えるごとに震えていって、僕はただごとではないと感じた。内容を暗記できてしまうぐらい、僕は繰り返し読んだ。


 手紙の内容を素直に受け取るのであれば、コーチは高校生の頃、実の父親を殺害していた。ただの喧嘩から発展した殺害だったという。陸上の国体選手なんていうのは嘘で、筋肉質な身体は刑務所の中で鍛えたものだった。八年で刑務所から出所したコーチは、失っていた時間を取り戻すように勉強を始め、十年ほどの時を経て教師の資格を取った。その間に麻薬や暴力団と関係を持ったことも赤裸々に記されていて、僕は文面をかじりつくように見つめるしかなかった。


『いつか、仲直りできると思っていた』


 手紙の括りは、コーチの自殺の理由――母の自殺のことが書かれていた。彼は刑務所から出たあとも母に会わせる顔がなく、絶縁状態が続いていた。教師になったのは、いつか立派な教養を携えて母に謝りにいくためだとも書いてあった。だから

それまでは手紙も電話も寄越さず、完全に関係を途絶えさせてあったのだ。


 コーチが島から出て行ったのは、母が自殺したとの報せを受けのことだ。


『母は、私の帰りを待っていたらしい』


 この一文は、途方もないほどに歪んでいた。よほど悔しかったのだろう。自分が良かれと思っていたことが裏目にでて、母は死んだ。息子が父を殺し、その息子も自分を置いてどこか遠くへ行ってしまう。それは、つらいことだったと思う。独りぼっちは――孤独はつらい。


 コーチも『お母さんの立場でモノを考えるべきだったんだ』と強い筆圧で書いていた。彼は、母のそばに居てあげられなかった後悔、父を殺害した過去の記憶、両親を殺した自分がのうのうと生きている罪悪感、それを手紙で述べて、もう一度『だから、先生も後を追うことにします』と書いていた。その言葉のつながりが、この世のどんな言葉の組み合わせよりもおそろしいものに見えた。


『何も言わずに君の前から姿を消したこと、謝らせてください。そして、こんな手紙で君との交流を終えようとしたことも、重ねて謝らせてください。ごめんなさい』


 ごめんなさい、の文字が気に入らなかったのか、何度も書き直した跡があった。何度も何度もごめんなさいを書き直して、やっと書けたのであろう納得できる『ごめんなさい』は、やっぱり歪んでいた。


 その隣に一行分だけ何か書かれていたが、それはコーチの頬から滴った涙で読めないほどに崩れていた。


『最後に一言、君だけは□□□……』


 僕も何とか解読しようとしたけれど、どうしても読むことができなかった。そして、その手紙は机の引き出しでほこりを被り眠っている。さすがに、もう引きずり出して読む気にもなれない。


 気付けば、僕は泣いていた。


 まどろみの中で漂っていたら、急に頭上の光が強くなって、気付いたら野雲さんの部屋で僕はうずくまっていた。


『ねえ、ちょっと、聞いてる? シンキングタイムー?』


 手の内の電話から聞こえてくる野雲さんの声に、僕は反応する。


 携帯を握り潰す勢いで持ち直すと、僕は島全体に響くぐらいの勢いで、大声を上げた。


「待ってろ!! 走っていく!!」


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