第九十一話 気味
外は水が乾ききるような日照りだというのに、気迫に任せてドアから侵入した僕は、そこが冷蔵庫のなかかとすら思った。肌から体温を吸い取っていくようなひんやりとした冷気が部屋中に停滞していて、僕が勢いまかせに開けたドアの風で、いくらか室内の空気がかき回された。
内装は、肉じゃがを食したあの日とさほど変わらない。仕切りのはずされて吹き抜け状態になっているリビングにはトルコ石みたいなソファ、その向かいにテレビ、テレビからぐねぐねと蛇のように這出た電源コードを挟んで木造ラックがあった。そのラックに置かれた多種多様の物も何一つ変わっていない。
変わったものがあるとすれば、それは人形の位置だ。以前はリビングのソファに煩悩する乙女のような佇まいで静かに座っていたのに、今度はダイニングのテーブル席で俯き気味に座っていた。
まるでホウキの代わり使ったのかと怪しまれるぐらい毛先に紙切れや埃が絡まっている我が家のぬいぐるみとは訳が違い、目の前の少女の人形は丁寧にブラシを掛けられている。出来も世話も申し分ないのだが、やはり驚くべきはその存在感だ。存在感のなかにはやり大きさの面もあるかもしれない。すりガラス越しとは言え本物の人間と見間違えるほどよくできているのだ。
それにしたって、結局は母親がいなかったことに安堵のような遺憾のようなものがあった。もしかしたら、このまま父親だっていないんじゃないかと勝手な推測を図る自分もいた。
心を落ち着けようと、僕は部屋のなかを見渡した。やはり、どこにでもありそうな平凡な家のように思える。「これは、事件の犯人の家です」といわれてもそうは思えないような、健全な内装。この家には何の問題もなく、すこやかな生活を送っているんだなと感じさせられるような家だ。
ぼうっと考えていると、急に前触れもなく椅子から人形がずり落ちた。その時のボンという音で僕は肩を跳ねさせた。おそらく、もとから体勢が悪かったのだろうと僕は推測しつつ、肩から落下した人形を見下ろしてはぎょっとした。
ボタンの目が、赤く光っていた。
単に赤いボタンだというだけの話なのだか、それでも臆病な僕はまるで人形に憎悪の視線を向けられているのではないかと不安になった。人形は今もなおじっとこちらを見ている。
なんだか気味悪かったが、このまま放置しておくのも始末の悪い話であるので、僕は人形の脇を抱えて立ち上がらせた。意外と人形は重量感もあり、二度も落さないように、ゆっくりと椅子の上に座らせた。
そしてしばらくは仕事後の余韻に浸っていたのだが、すぐに父親の部屋へ向かわなければならないことを思い出した。