第八十九話 何を思うのか
タイミングを見計らって物陰から出てきたのだろう金髪男は、相手が駐在であることにも気を回さない勢いだった。駐在さんと両手の指を絡めて取っ組み合い、力任せに押さえつけている。駐在さんは驚きの余り声も出ておらず、ただただ突然の衝撃に歯を食いしばって抵抗していた。
「早く!」
金髪男はあごを振って僕を促した。慌てて僕は立ち上がり、道路の脇を駆け抜ける。駐在さんは何か言いたそうに僕を睨んだが、無視して歩を緩めなかった。
「お、おまえ」
背後で、駐在さんの搾り取るような声が聞こえた。僕に向けられたものかと思ったが、どうやら違うらしい。
「牧原じゃないか、牧原建悟!」
「あ、ばれちゃいました? 昔の馴染みなんだし、逮捕は勘弁ね」
「馬鹿野郎、本土に行ってもちっとも成長してないじゃないか! なにが、馴染みだオマエ! いっそのこと逮捕してやる!」
「うはあ! 久しぶりに追いかけっこしますか!」
お互い妙に楽しそうな会話だった。その会話を聞くだけで以前、彼らがどういう間柄だったのか窺える気がする。僕はおかしくなって吹いたあと、またすぐに走り去った。
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野雲さんの自宅は駐在さんとのひと悶着を終えた場所から目と鼻の先にあった。昼間とはいえ、やはり外観は良いものではない。コンクリートの壁は、まるで黒い雨に打たれたように黒ずんでいるし、怪物のようにうねった植物は手入れされていないままだ。
チーム唯一の仲間がいなくなったので、当然のことながら僕は一人だ。泰助は両親を追い詰めろと言ったが、僕ひとりでは到底不可能な話だろう。しかし、不思議と心細くもなかったし、逃げ出したい気持ちもなかった。
僕は、コンクリート住宅の放つ特殊な陰鬱オーラに自ら呑み込まれていった。門を抜け、芝生の上を渡って扉の前へ着く。インターホンを押そうかとも考えたが、玄関前で「犯人はアナタだ」などと追い詰めても軽くあしらわれるか、はたまた犯行を認めたとしても押し切って逃げられてしまう。僕は扉に鍵が掛かっていないことを確認すると(この島の住人はあまり鍵を掛けないので違和感はなかった)、音を立てないように家内へ忍び込んだ。
家の中はこの島のものではないニオイがして、僕は咳き込みそうになった。前にも来たことがあったが、その時は野雲さんと一緒で、その緊張からかニオイなんていうものは気にも留めなかったのだろう。
僕は靴を脱いで、それを片手にぶら下げるよう持つと、忍び足でリビングへ向かった。いきなり二階の部屋――犯人の居場所へ向かわなかったのには、二つの理由がある。一つ目は、単なる逃げだ。ただ、ちょっとでも恐怖心や気負いを取り消すために、自分をごまかして別の場所から見回ることにした。そして、もうひとつの理由は、母親だ。このまえ来たときはいなかったけれど、もしかしたら今日はいるかもしれない。
そして、もしもいるのだとしたら、僕は訊いておきたかった。自分の夫が一連の犯人であることを知っているのか(たぶん、知らないだろうけど)、その事実に何を思うのか、無茶だろうが僕は訊いておきたかったのだ。
本当に訊きたかったのは野雲さん本人だけれど、それはさすがにできなかった。
廊下を真っ直ぐ進むと、やがてリビングへ続くドアのすりガラスに人影が映った。