第八十八話 金髪
感動シーンになり損ねた感動シーン。
平穏なはずの島で突然の事件、疑って出動をしない本土の警察、たった一人で捜索をしなければならない気負い――駐在さん自身、切羽詰っていたのだ。あらゆるストレスに耐え、捜索をしているところに、子どもが迷い込んできた。面倒を増やすわけにはいかないのに、その子どもは素直に言うことをきいてくれない。だんだんとイライラも溜まる。
怒鳴る気持ちは、痛いほど分かった。
「これまで平和な島だったから、君は事の重大さを分かっていないんだ! 私自身、こんなことが起こるはずもないと高を括っていた」
そうして、勤務体制の甘かった自分を呪うように、駐在さんは拳を握った。
「本土が出動をためらっている今、私が動くしかないんだ! この島の平穏を独りで守らないといけない! 頼むから、学校に戻ってくれ! それが一番安全なんだ!」
僕は、顔面に水をぶっ掛けられたような気分になり、正直、呆気にとられてしまった。つかの間、泰助との約束、竹内を助けた武美山、産田の妄想話、運命の夜、雷に照らし出された野雲さんのとぼけたような顔、そんなものが、脳の片隅に押し退けられ、消されていくような気がした。駐在さんの切実な願いに、僕は自分の願いを犠牲にしようとした。
駐在さんはいまにもプレッシャーに押しつぶされそうな状況にいるはずだ。僕が素直に言うことを訊いて、そのプレッシャーが少しでも和らげられるのなら。
僕は、無意識のうちに一歩踏み出した。しかし、その踏み込みに駐在さんの脇を突破して野雲さんの家まで走るといった勢いはない。僕は、腰を曲げて地面に転がった制帽を拾うと、駐在さんへ差し出した。
駐在さんはどこか安堵した顔になり、幾分かいつもの調子で、その制帽を受け取った。しかし、僕の手から制帽が引き抜かれるとき、僕は指先に力をこめてそれをさせなかった。駐在さんは、意味が分からないというように首をかしげる。
制帽を介して僕らは握手をしている形で静止した。
「ごめんなさい」
僕が言うと、駐在さんは目を見開いて空気の塊を喉に通した。初めて息子に反抗された父親のような顔で、硬直している。いたたまれない気持ちで、僕は制帽を離した。すると、制帽を持った駐在さんの腕は、脱力したようにぶらんと空を切った。
「僕は、行かないといけないんです」
駐在さんは、無言のまま僕を見ている。
しかし、その視線に、やがて怒りの色が帯び、僕に渡された制帽を忌々しそうに再度地面へ叩きつけた。
「馬鹿にするのもいい加減にしろ」
低い声で、駐在さんは言った。
「もういい。学校に連れ戻す!」
そういうと、駐在さんはものすごい勢いで僕の腕を掴みに掛かった。白い布地の手袋が俊敏に僕へ向かってくる光景が、蛇が噛み付いてくるイメージと似ていて、咄嗟に僕は一歩下がった。
掴み損ねた駐在さんは、すかさず今度は僕を包み込むように襲い掛かり、肩をしっかりと掴んだ。石のような硬い指が、僕の肩に食い込む。
「言うことを聞け!」
間近で怒鳴られると、さらに迫力があった。
僕はもう駄目かと諦めかけた。駐在さんの握力は強く、身動きが取れないほどにしっかりと押さえ込まれていた。
しかし、突然後ろから何かがぶつかってくる衝撃があったかと思うと、肩を掴んでいた手が消えた。固定が解けると、バランスを崩してその場に倒れこんでしまう。
しりもちを付くと、ようやくその光景を見ることができた。
金髪の男が、駐在さんと取っ組み合っていた。
「いけ! 団員一号!」
金髪の男は、汗まみれの顔を僕に向けた。そして、もう一度せかすように言う。
「いけ!! 探偵!!」