第六十二話 被害者
いつのことかは定かでないけれど、僕は竹内の部屋にあがったことがあった。おそらく高校に入学してからのことで、その時と部屋の内装はまったく変わっていなかった。
フローリングの床にカーペットを敷き詰め、ベッドと学習机が置かれているだけの質素な部屋だ。ゴミもひとつとして散らかってなく、竹内の神経質な性格をそのまま映し出したようだった。
カーペットに座ると、対峙した竹内にまじまじと見つめられた。「で、何の用?」
僕は頭のなかで、ソフトな言い回しを考えてみたが、見当もつかず結局は単刀直入に言った。
「野雲さんの事なんだけどさ」
あからさまに、竹内の表情が固まる。こまかみがピクリと痙攣するのが見て取れた。そんなんじゃ、俳優なんかなれないぞと心のなかで苦笑してみる。
「ああ、彼女がどうしたの? なにか、俺のこと言ってた?」
竹内は少し身を乗り出すと、僕へ追求してきた。平然を装っているつもりなのだろうが、表情は毒キノコを食べたかのように青い。額のふちにはすでに脂汗がにじんでいた。
「いや、そういうわけではないんだけど。ただ、あの事件の日になにがあったのか、もう少し詳しく訊いておこうと思って」
僕が言うと、竹内はいくらか顔の強張りをといた。無意識に力の入っていた肩が緩む。「ああ、事件の捜査ね」と竹内は言った。
「なにを聞きたいの?」
「じつはさ、野雲さんと竹内とで話してる内容が違うんだ」
「なんだって」
竹内はまたもや表情を変えた。目が泳ぎはじめ、記憶を探っているような素振りだった。「野雲さんは、何て言ってたんだ?」
「黒いフードの男が、逃げた竹内の後を追って武美山へ入っていった……って」
野雲さんがそう言っていたのに対して、竹内は『野雲さんを逃がしたあとに何者課の気配を感じて、気付いたときには気絶していた』といった。二人の供述にはどちらも詳細不明の犯人が出てくるが、そんな人物はこの島には居なかった。
あの現場にいたのは、竹内と野雲さんの二人だけ。
つまり、竹内だって自分を襲ったのは野雲さんだと感づいているに違いない。なのに、なぜ被害者である竹内まで嘘をついて野雲さんを庇う必要があるのだろうか。
「あ、そうか。そうだよな――思い出したよ俺。俺を襲ったのは黒いフードの男だった」
竹内は興奮するように言っているが、それは嘘に違いなかった。どうやら野雲さんの話に合わせようとしているようだった。
「でも、竹内君は何かに怯えて、自分を置いて逃げたんだって彼女は言ってた。でも竹内は野雲さんを逃がした側なんだろう?」
僕が問い詰めると、竹内はばつの悪そうな顔をして唇を噛んだ。
「いや、実はさ、彼女を置いて逃げたっていうのが情けなくてさ、嘘ついたんだ――本当は彼女の話が合ってるんだよ。彼女が正しいんだ」
最終的に行き着いた台詞がそれだった。ヘタに言い訳をしてボロが出ることを恐れたのか、全てを彼女の調子に合わせたのだ。被害者であるはずの男が、犯人かもしれない彼女を庇っている。