第六十一話 陸上
僕は浦井中学校に在学していた頃、もっぱら陸上に心血を注いでいた。中学校の部活はテニス部・サッカー部・バドミントン部・バスケットボール部と四種類あったが、どれも人数不足で大方の生徒が部活というより遊びの感覚でやっていた。例によって陸上部はないのだが、たまたま職員のなかに陸上の元国体選手がいて、直々にコーチをしてもらっていた。
僕は早朝に登校時刻ギリギリまで体力づくりやフォームの確認をし、学校が終わると島中を走った。とくに整備されている公道が主だったけれど、たまには浜辺で砂に足を取られながら走ることもあったし、武美山の急な坂道を何度も往復したこともあった。
必死な中学生時代だと誇れるだろう。その頃は本当に陸上のことだけを考えていて、クラスメイトとはほとんど深い関係を持たなかった。コーチも「これなら島代表で本土の大会に出ることも夢じゃない」と褒めてくれていたし、両親も僕が陸上に熱中することで喜んだ。僕はこれなら友達なんていなくてもいいとすら、思っていたのだった。
けれど、僕は高校生になって陸上をやめた。
僕の面倒を見てくれていたコーチが、何の前触れもなく島を去ったのだ。コーチは近所の人や他職員にはひそかに本土へ戻ることを告げていたそうなのだが、唯一の部活生である僕には何も言ってくれなかった。コーチはいつも「おれは風のように走るんだ」と嘯いていたけれど、まるで本当に風のようにどこかへ消えてしまったのだ。別に事前に僕へそれを知らせようが、どうにかなったわけではないけれど、それでも連絡先を教えてくれさえすれば、僕とコーチはまだ繋がりを持っていられただろうに。
その頃の僕は、まるでコーチに見捨てられた気持ちになったのだった。
だから、僕も陸上をやめた。本土の大会へ出場するという目標を捨てて、日々の練習を打ち切った。僕はせめてもの腹いせとして、コーチが僕に残した陸上という競技を断ち切ったのだった。
走っていないと逆に体調が優れないので、今でも軽くランニングはしているが、それでも中学校時代の練習量とは比べ物にならない些細なものだ。
公道をしばらく進むと、港ばあちゃんの住むプレハブが見えた。周囲にひと気はなく、オレンジ色のやわらかな光のなかにプレハブはぽつねんと佇んでいた。押し寄せる波の音が、少し穏やかに感じる。
視界の端にプレハブが流れ、やがて後方に消える。僕は走りながら、プレハブの窓口から「おやまあ」といった表情でこちらを見ている港ばあちゃんを想像した。振り返れば、それを確認できるかもしれないが、振り返るのは何だか面倒でもあった。
ずっと遠くまで走ったところで、港のほうを振り返ってみると、パズルのピースのように佇む灰色のプレハブが見て取れた。ここからでは窓口のようすは確認できず、港ばあちゃんの存在は確認できない。
――こうやって、みんなが遠慮してるから、港ばあちゃんは独りになったんだよな。
ふと考えて罪悪感が湧いた。あの穏やかで優しい港ばあちゃんを独りにしているのは僕らだ。コーチが僕を置いて本土へ行ったのと同じように、僕らは港ばあちゃんから離れていった。
「やっぱり、寂しいだろうな」
僕はぽつりと呟くと、罪悪感から逃げるように速度をあげた。