第五十八話 真剣
学校を出たのが午後五時過ぎなのもあって、太陽は大きく傾いていた。暗くなる前の、シンとした雰囲気があたりを包んでいる。時間が経つにつれ脇野が安全である確率が低くなっていくようで、僕はそわそわしていた。隣では大仏のように固まった泰助が落ち着きはらっている。すべてを察したような態度が癪に障るが、もしも泰助が一緒に慌てていたのなら僕らは茂みから躍り出て脇野を探しに行っていただろう。奴が落ち着いているおかげで、僕も地に尻を着けていられるのだった。
それにしても、土地を持て余した道路だと思う。目の前に広がる公道には先ほどから一台も乗用車が過ぎることなく、人だって年老いたお爺ちゃんが二人通っただけだった。
「それにしても、あの事件以来、竹内は野雲さんと口を交わさなくなったな」
木の陰に顔色を暗くした泰助に、僕はなんとなく訊いてみる。
「そうだな」
泰助はピクリとも動かず、口だけを動かして言った。
口を交わさないだけではない。あの事件から竹内は野雲さんと目も合わせようとしないのだった。竹内はあからさまに野雲さんを避け、野雲さんはまるで竹内がそこに居ないかのように振舞っていた。
事件のつい翌日までは、あんなに竹内の様態を気にしていたのに、いきなり子弓がなくなった風だったから、どこかおかしいとは思っていた。うまく判別できないが、産田の方も同じようなものかもしれない。あれだけボディーガードだと言って野雲さんに付き纏っていたのに、今日はそんな素振り見せなくなっていた。
まるで、別れたカップルみたいだ。
「あまり、無駄なこと考えるなよ」
埃のかぶった本に息を吹きかけるように、ぼそっと泰助は呟いた。ヒラメみたいな目が動いて、僕のほうを鋭く睨んだ。
「なんだよ、急に」
泰助の視線に貫かれた僕は、背中をたくさんの蟻が這っているような感覚に襲われた。ぞくぞくと体が震え、恐怖を覚えてしまう。高尚探偵団に入ってから一度も見たことのない表情の泰助だった。『首を突っ込むな』とでも言いたげな、厳しい目つきがずっと僕を捉えていた。
「いや、何でもない。あまり気に病むなってことだよ」
僕から視線を外した泰助は、いつも通りになって前へ向き直った。
その時、笑いあう男女の声が遠くから聞こえてきた。どこかで聞いたことのある声が、潮騒と共に響いている。茂みからそっと顔を出して声のするほうへ首を向けてみると、そこには肩を並べてこちらへ向かってくる野雲さんと脇野がいた。
「何であの二人が……」
茂みからカメのように首だけを露出させた僕がそう言って唖然としていると、すぐさま後ろから手が伸びてきて僕の頭を掴んだ。ぐいっと茂みの奥へ引っ張られ、僕の頭は茂みへと引っ込んだ。
「ぼうっとしてると、見つかるぞ」
泰助は僕の頭から手を放さないまま、いつもより真剣な表情で言った。その表情が、僕より五歳も十歳も年上に見えてしまう。いつもなら睨み返して手を払うところだが、僕は黙って彼を見上げることしかできなかった。