第五十四話 お守り
僕は、あまり執拗にノートを凝視するのも紳士として逸脱した行為だと考え、そっと野雲さんの机の中へとノートを忍ばせた。机上に出たままの三冊も泰助の視界から取り上げて机の中へ戻す。
「馬鹿馬鹿しいな。もう帰ろうぜ」
僕はそう言ってから背伸びと共に大きなあくびをした。作用して出てきた涙を指先で拭う。
「そうだな。ちまちました調査なんてせずに、尾行して確信を得ることにしよう」
しばらくは難しい顔をしていた泰助だったが、観念したのかスイッチが切り替わったように言った。こういう時の泰助はやけに諦めがよく、まるで興味がなくなったような表情だった。
泰助は踵を返してまた教室の後ろへ戻り、開けっ放しの掃除用具入れの扉をしめた。戸締りのあとに誰かがこの教室にいたという証拠になる形跡はすべて元通りにしておかなくてはならない。
僕も気を利かせて職員室に教室の鍵をとりに行こうと思った。職員室といっても室内ではなく、職員室前の廊下に全クラスの鍵が掛けられているので、用心すれば誰にも見付からないで鍵を拝借できるだろう。
しかし、さっそく職員室前に行こうと足を踏み出そうとしたところで、僕はあることに気が付いた。まだ野雲さんの机の横に掛けられている手提げ袋の中身を調べていなかったのだ。
なんというか、ノートとか筆記用具とかよりも私物らしい私物が入っていそうな雰囲気である。袋に書かれたキャラクターの笑顔が、妙に気持ちの悪いものに見える。僕は泰助を呼んで一緒に開けてみようと思ったが、何だか助太刀を呼ぶ気概も沸かない。教室一帯を照らしているはずの残照が、まるでスポットライトのごとく僕と袋だけに当てられているような気分だった。
そっと、手を伸ばした。
掛けられた袋の持ち手の部分を、机のホックから僕の手中へと移動させる。あまり重みは感じられない。こうし見ても袋には膨らみがなく、中には何も入っていないのではないかと思わされた。しかし、持ち手を握るもう一方の手での底にそっと手を押し付けてみると、なにか角ばったものが入っていた。
僕は息を呑んで、いざ袋の中身を見てみた。持ち手の部分を目一杯に広げて、底のほうを覗き込んでみる。すると、そこには紫色の小さなお守りが入れられていた。
「なあ、泰助」
そこでようやく泰助を呼んだ。
「ん? なんだ?」
泰助が首を傾げてこちらへ例の宇宙人歩行をしてくる間、僕はお守りを袋から出して野雲さんの机の上へそっと置いた。あとから来た泰助は「お、よく見つけたな」と久しぶりに僕に感心した。
お守りは、どこかの神社や寺のものではなく手作りのようで、ただ単に紫色の小さな袋に紐を通したというだけという簡単なつくりだった。そのため、表にも裏にも刺繍などは施されておらず、まっさらな紫色の生地である。でも学生であるから、おそらく学業成就などであろうと勝手に予想してみた。
袋の中に故意に置いていた、というよりは、忘れて置いて帰られたというべき存在感であった。そのお守りを見ながら、ぼそっと泰助が呟く。
「これ、開けてみるか。中に何か入ってるし」
そう言って、僕の返事も聞かずに泰助はお守りを手にした。