第五話 美少女
情報処理検定があるというのに、きっかり諦めて執筆してしまった。
熱湯に流し込んだ溶き卵のような雲がねっとりと夜空を覆っている。雲と雲の間からは月光が差し込み、島全体をかすかに照らしている。
「おい、足がかゆいんだが」
僕は一寸先の闇に向かって強く囁いた。
「我慢しろって。ここから出たら、いつばれるか分からないんだからな」
泰助の声に合わせて、草がガサガサと音をたてる。
僕たちは移住者が引っ越してきたという自宅の前、道を挟んだ茂みに身を潜めていた。豊臣秀吉も呼吸を忘れるほどの美少女がせっせと荷物を整理しているだろう自宅からは真新しい蛍光灯の光が漏れてきている。美少女と低俗な男らを隔てるように一階、二階ともに窓にはカーテンが垂れているが、ときたま家の住人が窓の前を通るようで、黒いシルエットがカーテンを過ぎることがあった。
「まさか、この家とはねえ」
泰助が感慨深い声音で言う。彼の胸中が分からないわけでもないが、面倒なので無視をする。すると、泰助はジャージのすそに鼻を当てて泣きまねをした。「なっつかしいなあ」などと言いながら、鼻をかむ真似までしている。
「おい、やめろ! それは俺のジャージだ!」
僕は慌てて目前の闇へと手を伸ばした。ガサガサと茂みが揺れる。けれども、振った腕は泰助に触れず、パキパキと細い枝を折るばかりである。どうやら泰助とは思っていたより距離が開いていたらしい。
「あまり騒ぐなよ。バレるだろ」
「オマエが悪いのだろうが!」
小突いてやりたいが、我慢して手を引っ込める。
泰助の家から外出する際、「高尚探偵団の制服ができたから、これに着替えるように」と上下セットの服を渡された。薄暗い部屋だったから着替えるまで気付かなかったが、それは泰助の服であった。
泰助の服装は驚くことに一種類しかない。薄い黄色の長袖シャツに紺色の七分丈のズボン。それが三枚ずつ、ガラクタの海にいつも放られている。僕の記憶が正しければ、彼も小学校の時はまだ色々な服を着こなしていたはずである。しかし、中学生になり身体も成長し、その服がサイズの問題で着用不可となったのを機に、いつのまにか泰助の服装は年がら年中、一貫性を伴うようになった。
暖かい島ではあるが、さすがに着込まなければ越冬はできまい。しかし、かくのごとき薄着で幾重に春を迎えてきた彼は、どんな環境下でもしぶとく生き延びるゴキブリのようなものである。浦井高校には制服がないため、泰助は毎日のようにこの格好で登校してくるのだが、気味悪がる生徒はいない。
いかんせん、秋ももうじき終わるというのに、この格好はさすがに冷える。
「だいたい、何でオマエが僕のジャージを着ているんだ! 探偵団の制服はどうした!」
「おいおい、俺は団長だぞ? 君はしがない団員だ。立場が違うんだから、そりゃ制服も変わってくるさ」さも当然のように、闇のなかで泰助が言う。
三十パーセントが己の身を冷やさぬため、残り七十パーセントが僕への嫌がらせといったところであろう。
「何を偉そうに!」
僕は唇を尖らせてそっぽを向いた。地面から生えた雑草がすねに触れてかゆい。