第四十九話 やべえ
食べ終わると、隣に肩を並べる野雲さんは眠たそうに大きなあくびをした。
あくびというのは、顔の輪郭が歪むほど大きく口をあけてするものだから、何となく不恰好だと僕は考える。口をおおっぴろげにした状態は、どことなく草をムシャムシャ食べる馬のように見えるし、あまり女子が男子の前でする行為とは思い難いのだ。しかし、彼女の場合は、そんなあくびでさえ、愛嬌があった。
一息ついた所で、野雲さんがこちらへ振り返る。
「泰助君も君に負けず劣らず変人だよね」
「いや、僕なんかアイツに比べたら負けてるし、劣ってるよ」
どうかなあ? などと品定めでもするような視線を野雲さんは向けてくる。
「彼って、いつも同じ服を着てるの?」
心なしか、彼女の瞳が刃物のように鋭く光る。
「ああ、同じ服だけしか持ってないんだ。でも三枚あるから、うまくローテーションさせてるみたいだよ」
「そうなんだ」
それっきり、野雲さんは天井を仰いで黙り込む。まるで、頭のなかで明日のスケジュールでも組み立てているようだった。星を見るかのような、端麗とした横顔が僕の目に映る。黙っていれば、呼吸音さえ聴こえてきそうなほど、近くにある。
彼女と部屋に、二人きり。
「ねえ、野雲さん」
僕は、彼女の顔を覗きこむようにした。しかし、彼女は天井を見つめたまま反応をみせない。「野雲さん?」
「あ! うん、なに?」
ぼんやりしていた野雲さんは、二度目の声掛けにようやく応じた。
「僕、そろそろ帰るよ」
「え? もう?」
「うん。さすがに産田も帰っただろうし」
「そっか」
僕が立ち上がると、まるで妻が夫の外出を見送るように、野雲さんもついて来た。
僕はソファとガラステーブルの合間を通って、リビングから出る。ひんやりとした廊下を抜けて、そのまま玄関へ向かう。靴を履くと、後ろから「ねえ」と寂しそうな声が掛かった。
「なに?」
「また、来てね。次はもうちょっと美味しいもの作るから」
後ろで手を組んだ野雲さんは、うつむき気味に呟く。
「お……おう」
僕は軽く手を上げて、さよならも言わずに玄関から出た。
そして、すっかり暗くなった島の風景に深く息を吸い込む。僕は逸る気持ちを抑えながら、門外の角を曲がる。完全に野雲さんの家からの死角に入ったことを確認すると、僕は全速力で駆け出した。
「やべええええええ!」
近所の迷惑も顧みずに心の声を叫んでしまう。
いや、危なかった。自分の身体が自分の身体でないような気がしていた。もう少し彼女の家にとどまっていたのなら、その男の自制心を揺るがせる仕草に、僕は彼女を押し倒していたかもしれない。
駄目だ。長時間も彼女と肩を並べていると、本当に男としての何かが外れてしまう。僕の僕たる所以である個性という名の装備が全て取り外されて、真っ裸な獣になってしまいそうである。
おそるべし、美少女である。