第四十四話 咆哮
右肩に痛みが走る。
衝撃に耐えるようにふさいだまぶたを開けると、僕はその状況に慌てた。僕は不本意にも彼女を抱きかかえる形で倒れていたのである。腕の中の野雲さんはキョトンと目を丸くして僕の肩あたりを見ている。
「ご、ごめん」
僕は慌てて起き上がろうと身を退かす。しかし、立ち上がろうとした所で右肩が悲鳴を上げた。四つんばいで野雲さんと向き合う形で静止してしまう。困ったことに、これではあたかも僕が路上で内なる欲情に耐え切れず美少女を押し倒してしまったみたいではないか。
「んっと……」
野雲さんが、何か言おうと口を開いたが、何も言わない。
ようやく、肩に力が入り、僕はゆっくりと立ち上がる。
続けて、野雲さんにも手を差し伸べる。しかし、そこで荒れ狂う獣の雄たけびが背後から聞こえた。僕が振り向くと、すっかり存在を忘れていた産田が立っていた。
「貴様、よくも!」
先輩に貴様とは、無礼なこと極まりないな。
「ご主人様に手を出したら、木星までぶっ飛ばすと言ったよな!」
「距離が遠くなった!」
火星じゃなかったのかよ。いや、それほど怒っているということか。彼がどこからどこまで僕らを見ていたのかは知らないが、「いや、こけてしまってね」などと言っても怒りは治まりそうにない。
「産田君、これは違うの」
これに至っても冷静な野雲さんは、僕の背後で立ち上がると、制服のスカートをぱたぱた叩いた。
「違いませんよ、ご主人様! これは偶然に見せかけた奴の策略なんです! 美少女天国建設への一歩なんです! いつか、自分以外は美少女しか住んでいない島を創ると友人間で話してたんですよ、そこの男は!」
「それはオマエだ!」
美少女天国などというフレーズを本気で口にするやつは産田ぐらいしかいないのだ。
やがて様子を見ていると僕たちが何も喋っていないのに「うるさい、うるさい!」と産田は喚きだし、地震を起こすような足踏みでこちらへ向かってきた。彼自身、ここまで距離を詰めるのにだいぶ苦労したようで、汗がとめどなく頬を伝っている。
「ああっと、これはまずいね」
野雲さんはご主人ながらにして、ボディガードの止め方も心得ていないらしい。僕は、あたふたと慌て、「と、止まりなさい、でないと発砲はやむを得ないよ!」と警告を出した。しかし、もちろん止まる素振りはみせない。
「ここはいったん逃げましょう。産田君の機嫌が治るまで」
野雲さんはそう言って、僕の袖を引っ張った。それにつられて、産田を尻目に駆ける。追いかけてくるとはいっても、ウミガメのようなスピードなので追いつかれることはない。ただ、何となく親父の意見を無視してかけおちを敢行しているような気分で、後ろめたさがあった。
海岸沿いを走っていると、何度か背後で咆哮が響いた。