第三十九話 産田
産田で「うぶた」って読みます。
何か、自分で名を決めたのだけれど、紛らわしくなってしまった。
僕と泰助は思わず目を合わせて、階段を上ってくる足音に焦燥をきたした。僕はなぜかガラクタの海へダイブして身を潜めようかなどと思考してしまう。根本的に隠れる必要などないのであるが、野雲さんが犯人ではないかという猜疑が掛かった手前、どこか緊張してしまうのも確かである。
軽快なステップで段を踏む音がしだいに近づいてきて、やがて扉のまえで止まる。心なしか二つの足音が重なって聞こえるようだった。軽快なリズムに混じって、控えめで低いトーンのものがある。
「あの、入ってもいいかな?」
扉越しの廊下に野雲さんの声が響く。
まあ、野雲さんが放課後に訪ねてくることは十分に見込まれていた。理由は極力簡単なもので、まだ僕たちが昨日の事件のことを話していないから、それを聞きにきたのだろう。学校では泰助が他生徒の質問を駆逐したため、野雲さんも「昨日はどうだったの?」と聞きづらかったのだろう。竹内の軽症に野雲さんは安堵しているのか危惧しているのか分からない顔をしていたのを思い出す。
「いいよ。入ってきて」
そう言った泰助の表情は、すでに何かを推理し始めているような、深刻なものだった。やがて、僕の背後の扉が開き、暗い部屋にほのかな光が差し込む。
「おじゃまします」
軽く頭を下げてドアをくぐる野雲さん。今日は私服なのかと思ったが、残念ながら制服であった。もう下校してしばらく経つが、着替えはしないのであろうか。別に服を持っていないということはあるまい。何せ僕はあの晩、窓から雷光に照らされ青く映えた、机上の服の山を見ているのだ――それか、もともと泰助の家へ訪問することを前提としていたため、あえて着替えていないのか。
以前と変わったことは、主に二つある。
一つは、野雲さんの来訪に対して、泰助がガラクタを退けたり、座布団を出したり、カーテンを開けたり、電燈を点けたりしなかったことだ。そのせいか、前回と比べてどうも雰囲気の違う部屋に野雲さんは部屋中を見渡している。
そして、もう一つ。これは重要であるのだが、ここにいるはずのない男がいるということである。野雲さんが入ってきたドアの隙間に、突如として顔が覗き込む。
「やあ、元気―?」
そこにいたのは――さっきの低いトーンの足音の主――産田辰実だった。人数不足のため全校仲良く一緒の教室にぶち込まれているので、同じクラスメイトであるが一つ年下の一年生である。彼は誰の目にも明らかな肥満体系であり、背があまり高くないために全体像はダルマのごとく丸っこいイメージがある。女子はアルパカやカピパラなど異形な動物を目にした時のような対応で可愛い可愛いと彼を見守っているが、そのダルマの実態はただの変態である。本当にただの変態である。その類まれな変態さを何か人生に活動できるかと聞いたら風を切るような速度で首を横に振るぐらいただの変態である。ただ自らの体系を気にしているせいか恥ずかしくて女子に話しかけられないだけである。
「何でオマエがいるんだよ」
僕は先輩面してドアの隙間にトリミングされた産田を睨む。彼は贅肉たっぷりのアゴを震わせて「ひえええ」と恐れる振りをしておどけたのちに、目を細めて笑った。
「産田君のことはあとで話すから、今は昨日のことを教えてよ」
いつの間にか、傍らには野雲さんが正座していて、前のめりで僕に顔を近づけていた。あたかも犬が「遊んで、遊んで」としっぽを振りながら顔を舐めようと飛びついてきたかのような体勢に、僕は思わず身を退いた。
それでも、かたくなに顔を近づけてくるから参ったものだ。おそらく本人は詰問する刑事のような気分なのであろう。僕はしょうがなく事件の内容を話すことにした。公言してはいけないことがあれば、泰助がカバーしてくれるだろうと信じて。