第三十六話 プレハブ小屋
医者が今後もでてくるというのに医者のまま。
港おばちゃんは、これが最初で最後の出番であるというのに、岸本友江という名を与えられた。しかも、過去の話まで持ち出されていた。
また、使えるシーンがあったら出そうかな、婆ちゃん。
港ばあちゃんと窓を境に僕たちが肩を並べると、港ばあちゃんは「どっかいくか?」と笑顔で対応した。
「いや、今日は訊きたいことがあって来たんだ」
泰助は耳の遠い婆ちゃんにも良く聴こえるよう、対話用に穴の開けられた部分へ顔を近づけていう。
「そっか、そっか。フェリーはあと一本だけん、今から行くと帰りの足がなくなるもんねえ」
港ばあちゃんはそう言って、頬に手を当てた。「で? 訊きたいことってなん?」
「ちょっと、ここじゃ、話づらいんだけど、できれば……」
「そだね、寒いだろうし、中に入んなさい」
港ばあちゃんは物分りがいい。すぐに立ち上がって、小屋の鍵を開けてくれた。僕たちは「おじゃまします」と遠慮しながら、ドアをくぐる。
この小屋のなかに入るのは子供のころ以来だ。当時の港ばあちゃんは港おばさんで、まだハキハキしていた。僕は事あるごとにクラスのみんなを引き連れて遊びに来ていた。何せここはカルタやお手玉などの遊び道具がたくさんあったし、港おばさんは和菓子を出してくれた。お茶も出してくれていたけど、小学三年生だった僕らは誰一人として飲まなかった。
そうして、小学校五年生ぐらいには誰も小屋に遊びに来なくなっていた。カルタやお手玉に熱中する年頃も過ぎていたし、男子は男子と、女子は女子と遊ぶ風習が身についてしまっていたから、男女の隔たりなく集団で遊びに行っていた小屋としては、個人で赴くのに何か違和感があり、憚れたのである。
しかし、港おばさんは悲しい顔一つせずに、僕らを笑顔で見守り続け、やがて港ばあちゃんになった。
プレハブ小屋の内装は昔と何ら変わらず、懐かしさを覚えた。タタキに靴を脱いで揃えると、四畳半の空間に上がりこむ。中央には夏であろうと冬であろうと港ばあちゃんの寝床であるコタツが設置されてあり、無造作にクッションが置かれている。部屋の奥には切符の入った箱や、遊び道具の入った棚、小さな冷蔵庫などがあり、冷蔵庫には仕事の日程が書かれた紙が貼り付けてある。その冷蔵庫の上に本が積まれてあり、その中に『退屈しない独り暮らし』や『三河先生が説く孤独死の実態』や『人生の退屈しのぎ』などのタイトルが垣間見え、僕は思わず見なかったことにしようと目を背けた。
「大きくなったから、少し狭く感じる?」
港ばあちゃんは僕らの成長を喜ぶように言うと、気を使ってか「どうせ、フェリーには誰も乗ってこんやろうね」と受付窓口のシャッターを閉め切った。
コタツの中に足を入れると、心地いい暖かさが広がった。ただ、温度の暖かさではなく、懐かしさからくる温もりという点もあるのだろう。昔と変わらず青いちゃんちゃんこを羽織った港おばちゃんも、腰を下ろして足を忍ばせてくる。
僕のすねの上にしわのある脚がひょいと乗っけられた。僕は何だかくすぐったくて、笑いそうになる。けれども懐かしい港おばちゃんの肌に、感動さえも覚えた。
「脚、温かいですね」
僕は少しおどけてそう言ったが、港おばちゃんの反応はなかった。
「そうか?」
泰助がひょっとこみたいな顔でこちらを見つめてくる。
オマエの脚かよ!
いつの間にかコタツに足を放りこんで座っていた泰助に突っ込みそうになりながらも、港ばあちゃんの眼前であるし、心の中だけに留めておくことにした。
「んで? 話ってなんね」
港ばあちゃんがふっくらした笑顔をこちらに向けてくる。泰助はそれに従って向き直ると、さっそく言った。
「フェリーに乗って本土から来た人の名簿ってある?」