第十八話 変な人
長いタイトルの作品というものは、ことごとく略される運命にあるという。例によって今作品も略してみることにした。
かのすか。
いや、これはなかった。
その晩、泰助から電話が掛かってきた。
学校から帰ってくるなり、着替えもせずに自室のベッドで眠りこけていた僕は、開かないまぶたを擦りながら母から子機の受話器を受け取った。「何だよ」と乾びた声で応答すると、受話器の向こうからは泰助の萎縮するような声が返ってきた。
「俺の部屋に野雲さんがいる」
まず思ったことは、野雲さんが思いのほか端麗で美しく、恋愛に慣れない純粋なハートを著しく揺さぶられたからといって、妄想と現実を取り違えて破廉恥極まりない電話を僕に掛けて来るな、ということである。
「探偵であるのであれば、もっと冷静に状況を把握してみろ。そこにいるのはミロス君だけだ」と言ってやったが、それきり泰助は黙り込んでしまった。
とはいえ、よく考えてみると泰助ともあろう変態に意中の乙女を前にして萎縮するような初々しさがあるのであろうか。僕の知る彼はそんな熟す前の甘酸っぱい果実のような男ではなく、完熟を通り越して腐りきった妖怪のような人間である。いつ心の最奥に潜む獣を鎖から解き放つか知れたものじゃない変態だったはずである。事実、今日の屋上でだって僕とは違い、何気なく彼女に話しかけていた。
しかし、それは僕や竹内が一緒にいたからであって、二人きりになるとやはり恥ずかしいということなのであろうか。いや、この論説が正しいとするのであれば、本当に野雲さんが泰助の部屋にいることになってしまうではないか。
「いや、やっぱり野雲さんだ」
受話器を耳に当てたまま推論していると、ようやく返答があった。
「どういうことだ? 何でお前の部屋に野雲さんがいるんだ」
「いや、訪ねてきたんだ。相談があるとか言って」
「で、混乱して僕に電話を掛けたわけか」
「そう」
「情けないやつめ」
僕は軽く罵ってから、これはどうしたものかと眉間にできたしわを人差し指でなぞった。
「ちょっと、泰助君、代わってくれる?」
不意にそう聞こえたかと思うと、受話器の向こう側の気配がガラッと変わったように感じた。先ほどより大きい声音で野雲さんの声が響く。
「もしもし、私のこと分かるよね? 今、緊急事態が起きてて、頼る人がもう君たち二人しかいなくて……。助けて! 竹内君が変な人に連れて行かれちゃった!」
心臓に一気に大量の血液が押し寄せたかのように胸部が膨らみ、次の瞬間には一気に心臓から血が押し出され胸部がへこむ。その動作がドックンという音とともに行われ、僕は見る見るうちに立っている気力を失った。子機を耳もとから離さないように、ベッドの縁へ座り込む。
竹内が連れ去られた? 変な人に? この島で?
野雲さん自身も気が動転しているのか、口足らずで状況が上手く把握できない。
家の手伝いをサボったから、お母さんに耳を引っ張られながら連れて行かれたとか? いや、そんなはずないか。そもそも竹内のお母さんはそんな人じゃないし。
「わかった! とにかく、そっちに向かうから待ってて!」
僕は一方的に通話を切ると、床に子機の電話を投げ捨てて部屋から飛び出した。