第十一話 月明かり
作者は作品に影響されるくせがある。
いや、内容ではなくキャラクターとか文体だとかそういったものが影響されやすい。こればかりは、自分で制御できない。だから、文体が急に変わったときは、新しい作品を読み始めたと思われる。
変わったは変わったで使いこなせれば問題ないのだけれど、逆に上手くいかないで「前の文体に戻りてえ」ということがしばしば。
なんだ、この出来損ないのカメレオンみたいな能力は。
シャッと金具が擦れる音が控えめに鳴り、窓枠にはまっていた白と青のストライプが黒へとスライドされる。室内は暗く、灯りもない。窓から差し込んだ微かな月光が部屋の床を四角く照らしている。
残念なことに窓から顔を覗かせても見える範囲に寝顔はない。四角に切り取られた光の端に、ベッドの足と思わしき木の足が入り込んでいるだけで、その先は真っ暗だった。さすがに部屋に乗り込むほどの度胸はなく、振り返って泰助に「作戦失敗」と伝えようとした。
しかし、振り返ったと同時に、耳元でガサガサと音がした。よく聴くと耳元というには少し距離があるようで、どうやら美少女が寝返りをうった際に布団が音を立てたらしい。
「う……うーん」
寝ぼけたような唸りが聞こえる。関節を伸ばしたのかポキポキと乾いた骨が鳴る音までした。ここで目を覚まされたりしたら、一巻の終わりだ。固唾を呑むと、それを合図に再び手汗が滲み始めた。
幸運なことに、突如として部屋に差し込んでいた月明かりが閉ざされた。ところどころ隙間があった雲が、厚みを増して夜の空を不穏にうごめき始めたらしい。月の光すら通さない黒い雲は、僕らの醜悪な行いによって醸し出されたマイナスオーラによって世界各国から引き寄せられたかのように、頭上でぐるぐると回っている。
次に「ふわわ」とやけに長いあくび聞こえた。はて、人は寝ている最中にもあくびをするものだろうか? と考えて、息を呑んだ。あわよくば現実と夢の境をさまよっていて、窓が開いてそこから知らぬ男の顔が覗いていても認識できないほどにボケているという可能性も見込めるが、最悪のケースを考慮するのであれば、今この時点で美少女が起きてしまったという可能性も見込めてしまう。助けを呼ぼうと泰助のほうを見たが、奴は暢気に頭の後ろで手を組んで口笛を吹いていた。こちらに気付くどころか、向こうから誰か人が来ても気付きそうにない。
僕はそっとカーテンのほうに手を伸ばした。月明かりがないと、手元すら見えないため落したコンタクトをさぐるような僕の手は幾度か空を切った。月明かりがなくなれば向こうもこちらの存在に気付きにくいだろうと思ったが、意外とこちらにも不都合はあったようだ。少しずつ手を伸ばしてようやく布の端を掴む。もうこのまま躊躇わずにピシャリとカーテンを閉め切れば、音で美少女が目を覚ましても顔は見られないだろう。けれども、確実に警察沙汰になるからそれは困る。
もう寝顔など、もうどうでも良い。
カーテンをゆっくりとスライドさせ始めた僕がそう思ったときだった。
「だれかいるのー?」
喉に力のこもっていないような、とぼけた声が部屋の奥から流れてきた。「わ、わわ!」と思わず声を出してしまい、慌てて両手を使い口を押さえる。
一瞬のことだった。
ピカリ、と雲の中で何かが光ったかと思うと、天地をひっくり返すような音を立て、空間に光の亀裂が入った。その強烈な光に室内はまぶしく照らし出された。水色の絨毯、積み上げられたダンボール、学習机とその上に山のごとく盛られた衣服、そして、奥にベッドがあり、その上で今ちょうど身を起こした少女。寝ぼけ眼でこちらを見ている。
しかし、どうやら運命の出会いとかロマンチックなイベントとか、そういうものに僕は縁がないらしい。
僕は口に当てられた両手に気付き、「あ」っと言った。その時にはすでに、僕の身体は落下を始めていた。