第百八話 通電
遥か下ったところに音もなく静寂を運ぶ小川が見えた。小さな範囲で時に枝分かれし、また統合している。その様子はどこか儚げで、されど確かな存在感も携えていた。
下まで落ちるような速度で降りると、僕は小川を辿って源流を目指した。この分だとそう遠くなく着くことができる。
ランナーズハイのおかげで走りきったけれど、なんとなく僕の身体が致傷していることは感じ取れた。筋肉痛とか、そういったレベルでは済まされない代償が、すぐ近くの未来で僕を待ち受けていることが感じられた。
もしも泰助に会えたとして、すでに手遅れだとしたらどうなるか。また、そこにはまだ野雲さんがいて、その手のスタンガンに僕も返り討ちにされないだろうか。
さまざまな可能性があり、問題があった。おそらく今走っているのが僕でなく泰助だったら、ちゃんと作戦を練り、万全を期して現場へ向かうのであろう。仲間を呼ぶなり、対抗する武器を持っていくことぐらいはできたはずだ。
けど、僕はこれでもいいのだと思った。
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源流にたどり着いたとき、とりあえず間に合ったのには間に合ったのだけれど、僕はそんな悠長なことを思っている暇はなかった。泰助は大樹に括り付けられ、ぐったりとうな垂れていた。まだ気絶していて、自分に迫り来る炎に気付いていない。
まるで、爆弾の導火線をモチーフにしたかのごとく、大樹からは落ち葉の山が伸びていて、それは蛇のようにぐねぐねと曲がって僕の足元まで続いていた。
そして、その落ち葉は野雲さんによってすでに点火されていて、もう半分ほど炎は燃え進んでいた。僕は足元の焦げた落ち葉の塊をみて、そのまま炎が泰助のもとまで進むとどうなるかを考えた。
もちろん、大樹とともに泰助は焼死する。
しかし、野雲さんにしては爪が甘いように思えた。ここは幸いにも小川の源流だ。水ならいくらでもある。ちょうど、以前竹内を助けたときの青いバケツが、小川をまたいだ先に見えた。落ち葉の導火線はまだ余裕があり、時間的にはまだ十五分ほど猶予がありそうだ。しかし、早く助けるに越したことはない。
僕は小川を一跨ぎにし、バケツを手に取った。バケツには緑に変色した水が残っていて、それを一度後方に撒いてから僕は小川の水を汲もうとした。
野雲さんはどこへ行ったのか、前期高尚探偵団の人たちは無事に荻江先生を助けることができただろうか。なぜ、僕が助けにやってくると知っていながら、こんな単純で時間に猶予のある犯行に及んだのだろうか。なぜ、バケツを処理しなかったのか。なぜ、僕はこうも簡単に泰助を助けだせると思っているのか。
何かがおかしい。
そう思ったときには、バケツを持った手を小川へ沈めていた。
その瞬間、どこからか流したスタンガンの電流が、水面から僕へ通電した。