第百七話 走って、走って
脇を過ぎる木々はどれもが同じに見え、景色の変わらない道を僕はひたすらに走り続けた。やわらかな残照も山の中までは差し込んでこず、ただ鬱蒼とした道を前へと進むだけだ。
僕は一度山の中腹まで登ったが、それ以上上に泰助がいるとは思えず引き返した。それから山を反対側まで行ったり、一度ふもとまで下山してみたりしたが、彼らの姿は目撃できなかった。途方に暮れた僕はミッチー湖の脇に座り込み、気分を高揚させたまま泰助の居場所を考えた。
泰助なら、荻江先生を探すのに、どこから探すだろうか。
僕は自分が泰助にでもなったつもりで考えてみた。
泰助はさっきまで野雲さんの父親が犯人だと思っていた。昨日の晩から今日にかけての犯行だから、時間はあまりないし頂上までは登っていないだろう。かといって、無造作にふもとで事に及ぶこともできない。だとしたら山の中しかないが、深夜なので荻江先生を連れて行くにはいささか難が残る。山中で、かつ連れ出す口実があるところ。
「小川の源流か」
あそこは夜になると月明かりに照らされてさらに神秘的な場所となる。島の人たちは夜中にこそこそと家を抜け出してあの場で杯を交わすこともしばしばだ。よく相談や縁談の話をする際にも源流は利用され、呼び出すには不自然ではない。「娘のことで先生に話がある」とでも理由をつければ呼び出すことは可能だ。
と、泰助は考えたかもしれない。本当はそれをやったのは野雲さんで、実際に荻江先生が襲われたのは海岸なのだけれど。
幸いにも、ミッチー湖から小川の源流地点まではそう遠くない。
僕は急いで源流のほうへ向かった。
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源流へ近づくにつれて樹はその幹を太くし、天を仰いでも茂った枝葉で外界のようすは確認できない。コケを表面に凝着させた岩が足元に敷き詰まっていて、気を抜けば岩と岩の谷間につま先を引っ掛けてしまう。そもそも岩は霧吹きしたように湿っていて、ただでさえ滑りやすかった。
陸上長距離選手にとって、もっとも恐れないといけないのはペーズやフォームが崩れることだ。配分やフットワークを間違えると、ドミノ倒しのように全てが崩れてしまう。
しかし、たとえ調子が狂っても、僕は急がなければいけなかった。もしも小川の源流に泰助の姿がなければ、きっと今度こそ手遅れだ。今はとにもかくにも、僕の向かう先に泰助がいることを信じ、走り続けることしかできない。
走って走って、走るだけだ。