第百一話 最悪
この小説書いてて、今回が一番辛かった。
残酷な文を書き連ねる自分が、同じく残酷な人間であるような気がして、怖くなった。「これは小説なんだ」と言い聞かせても難しかった。
絶対に読み返したくないぜよ!
私が男という生物がいかに醜いかを知ったのは、高校生二年生になって間もなくだった。
父と買い物に出掛けて、その帰り道のことだった。自宅が目と鼻の先という距離で父が突然に便意を訴え、私はもう少しだから我慢しなと促したが、ちょうど団地と併設された公園を通りかかったので、父は顔を真っ青にして区画に足を踏み入れた。
公園の門の元に両手に下げていた買い物袋をどっさり下ろし、父はちょっと待ってろと私に待機を指示した。いつも威厳がある父が、お腹を押さえながら前のめりにトイレへ掛けていく姿がどこか情けなく、思わず笑ってしまったのを憶えている。
角砂糖みたいなコンクリート造りのトイレへと父の姿が消えると、私は歩き回った足を休めようと、緑色のフェンスへと身をゆだね、あたりを照らす頭上の街灯をぼうっと眺めた。街頭の頭には蛾が一匹、何かに怯えるように慌しく飛び回っていた。
目の前の自宅へ駆け込むことすらままならない便意にしても、娘を待たせるにしては、あまりにも無責任な長さの時間が過ぎた。これなら、先に帰ったほうがいいかとも思えたが、門前の買い物袋を置いて帰るわけにはいかない。もちろん、すでに両手を洋服が入った紙袋でふさがれている私が、全部まとめて持って帰ることもできない。
しかたがなく、私は待ちわび続けた。
そして、異変に気付いたのは、トイレのほうから夜の静寂を壊すような物音が聞こえてきたときだ。なにか騒がしいと思い振り返ると、トイレから複数の男らが出てくるところだった。私はすぐに身の危険を察知した。男らは、それぞれマスクやバンダナ、つばの大きい帽子などで表を隠し、顔を憶えられないような細工をしていたからだ。ざっと見ただけで五人――全員が黒装束だった。彼らは昼に子どもが作ってほったらかした砂場の山を踏みしだき、誰かが忘れていった三輪車を蹴飛ばし、金網のゴミ箱をひっくり返しながら私の元へ迫ってきた。
彼らは、女性を捕らえることに慣れを持っているようだった。もしも一寸の無駄もなく私へ襲い掛かってきたら、たまらず私は逃げていただろう。けれど、彼らが遊具を蹴り上げたり、足元の空き缶を踏み潰して嫌な音を出したり、卑猥な笑い声を上げたりしたから、私はおののいて動けなくなってしまっていた。逃げなきゃいけないと分かっているのに、足が動かなくなってしまっていた。おそらく、それらの行為は、彼らが女性を恐怖させるための手段なのだ。
どうしようもなく立ち尽くした私は、その場で大声を出して助けを呼んだ。幸いにもそこは家々の連なる住宅街で、あわよくばどこかの住人が助けに出てきてくれるだろうと踏んだのだ。いや、何も助けにこなくてもいい。何事かと気になってカーテンを開けてくれさえすれば、どんな人だろうと警察に通報してくれるはずだった。
けれど、私の悲鳴にも似た懇願の声は、言い切ることなく闇夜に途切れた。すばやい反応をみせた犯人の一人が、私の口をふさいだのだった。私は暴れまわったが、群がるように他の男たちも加わり、私は引きずられるようにして路地裏へと運ばれた。
人が立ち入ることのない建物間の小さな区画に運び込まれると、男たちはようやく私の口、肩、胸、腰、足から手を放した。モノでも扱うかのように、地面に落される。
私はすかさず叫ぼうとしたが、その途端に喉元へナイフを突きつけられた。それは、月光に反射して銀色に光っていた。くしゃみでもすれば、気管へ貫通するほどの距離にナイフは差し出され、完全に私は身動きができなくなった。周囲は建物の壁に囲まれ閉鎖的で、出入り口は運ばれてきたときの通路しかなかった。
男たちは砂利の多いアスファルトに私を寝かせると、私の股を開かせた。ナイフを私に突きつけている男が、もう一方の手で私のスカートをめくってみせると、私の下着が見えたことに男共はわざとらしい歓声上げた。私は悔しさと恥ずかしさから目を背け、歯を噛み締めた。
「何でこんなことされているか、まったく分からないって顔だな」
私を取り囲んだ男たちの誰かが、そう言った。それを合図に、帽子や縁の太い眼鏡、マスクなどが夜空に投げ出される。男たちに見覚えはなかったが、話を聞くに、いつか私が交際を断った輩であるようだった。
「清純ぶってツンツンしてるから、こうなるんだよ」
「どうせ、どっかの社長とヤリまくってるぜ」
「はっ、結局は金かよ。きったねーぜ女ってのは」
「どれ、本当に清純か調べてやろうぜ」
「あの邪魔なガードおやじもいないことだしな」
「まあ、いくら筋肉があったって、後ろから不意に殴れば誰だって一発だよな」
その時の私は、父がどうなったのかを想像することすらできなかった。
男たちは顔を合わせてゲラゲラ笑い、卑猥な表情で私を見下ろした。私は記憶を辿ったが、私に告白をしてきた男たちに、こんな下品な男たちは一人もいなかった。どうやら、今まで私が告白に耳を傾けてきた男たちは、みんな皮をかぶっていたのだと思った。
私の返事にかすかに眉をひそめ「そっか、残念」と笑ったあの人、「ちゃんと返事をくれたことが嬉しい」とお辞儀までして泣き去ったあの人、私が気に病まぬよう失恋を笑い話にしていたあの人、その各々が表だけの出来事で、屈託なく微笑む男らの裏には恨めしいほどに隠微な獣が隠れていると知った。
知らぬ間に、私の頬を涙が伝っていた。
「おほ、いいねえ。泣いてるよ」
――……。
「泣いてるのって、そそられるよな」
――……男なんて。
「おお、どうしたのかな? 何か辛いことでもあったあ?」
――男なんて全員クズ野朗だ。
「人生相談なら、俺でよかったらのってあげるよー?」
――みんな、地獄に行けばいい。
「夜は長いんだし、好きなだけ愚痴ろよ!」
――男はみんな死ねばいい!
「まあ、喘ぎしかでないだろうけどなあ! ははは」
――殺してやる! ぶっ殺してやる!
私は殺される危険性すら考えずに、大きく唸りを上げた。自分でも驚くぐらい怒りに満ちた声だったので、男たちも少なからず息を呑んだ。もうどうなってもいいと未来を投げ捨て、私は男のナイフを持つ手に不意に噛みついた。噛み千切ってやるつもりだったが、寸前のところでためらいが出てしまい、指はすぐに私の歯から脱げ出した。芋をひっこぬいて勢いあまったかのように男は後ろへ尻餅をつき、放したナイフは傍らで音を立てて落ちた。
「くそ女が!」
「マジゆるさねえぞ!」
指を噛み千切り損ねた私は、もう負けだった。逆上した男は私の胸倉を掴み、一発殴った。あまり痛くはなかったが、口の中に血の味がにじんだ。私が声を上げずに無表情でいると、男はもう一度拳を振りかぶったが、それを他の男らが止めた。
「凸凹顔の女なんて犯したくないぜ」
男は赤く滲んだ指を服で拭い、舌打ちすると「その代わりに、最初は俺がやる」と言いながらベルトを緩めた。股間をあらわにした男は、迷いのない足取りで、私の股の間に詰め寄ってきた。他の男らは気持ちを煽るように私の胸を揉んだ。痛いだけだった。
世界が終わるような感覚がしていた。素性も知らぬ男に初めての唇を、いともたやすく奪われ、次々とそれぞれの男らから唾液を無理やり口移しされた。ただ「殺してやりたい」と「死んでしまいたい」を心のなかで繰り返し、今ここで世界が崩壊すればいいのにと願った。
「やっと勃起したぜ。ったく指噛みやがるからよお。落とし前はつけてもらうぜ」
もう男は上機嫌になっていた。傍らのナイフで私の下着を丁寧に切り裂くと、股の間に顔をうずめた。そして、私の股間を指でいじったり、舌でなめたりと散々に扱ったあと、ひょっこりと顔を出して、
「間違いない。処女だ」
と、言った。男らはギャハハと笑い、まじかよ、驚いたなあ、責任とれんのか? と煽り立ててさらに笑った。
「俺なんかが初めてでさ――」
男は顔を静かに近づけてきた。その動作とともに、私の股に何か固いものが当てられたのが分かった。
「――ご・め・ん・ね」
男は屈託のない笑顔でそう言った。まさに、私が今まで騙されていた『男の表』の顔だった。悔しくて、憎くて、噛み締めた下唇から皮膚をやぶって血が流れた。
「はは、口から血でちゃってるよ」
「カンケーない、カンケーない」
「よし、じゃあ、いっくよー」
男はそう言い、何かの選挙でもするように挙手をした。それが、挿入の合図となり、男は思いっきり腰を前へ突き出した。それと同時に、私は自壊していくような叫びを上げた。人間でも獣でもない、意味不明の絶叫だった。
人生で、一番最悪な夜となった。