第百話 過去
次回は、野雲さん視点で始まります。
それから話を聞いていくに、産田も同じようなものだった。僕と野雲さんに逃げられて憤った彼は、確かに野雲さんの家へ謝罪を呈しに行った。そこで許しを得て肉じゃがを食べたところまでは何ら問題なかったそうなのだが、肉じゃがを平らげた皿を片付けたあと、産田は突然に野雲さんへ告白したという。そして、いきなり抱きつこうとした。
『まあ、ある程度は、そうなるような振る舞いをしたのも事実だけどね』
野雲さんは、のんきにそんなことを言う。
「なんで?」
『うーん、たとえ話をするのなら――そうだ、君ってば蚊を殺したことあるよね? 手で叩いてさ。でも、空中を飛んでる蚊ってすばしっこくて殺すの結構難しいじゃない? そういう時、一度自分から腕を差し出してさ、止まった蚊を叩くんだよね。そのほうが殺しやすいし。まあ、そんな感じ』
「どういう意味?」
僕が訊くと、野雲さんは心の底から出たような溜息をついて、『やっぱり駄目か』と落ち込んだふうになった。
『やっぱり、話さないと理解できないわよね。まあ、私は結構君のこと信頼してるから、話してあげるね』
野雲さんの過去話は、そんな嫌味な前置きから始まった。
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私は本土にいた頃、ずっと周囲からちやほやされていた。小学校のときは、大して裕福な家に生まれたわけでもないのに、クラスメイトからはどこかお嬢様という立場に位置づけされ、卒業アルバムではクラスで一番かわいい人とか、クラスで一番やさしい人とか、クラスで一番本が好きな人とか、クラスで一番大人っぽい人とか、いろんなクラスランキングの一位を取った。私的には、せっかくの記念アルバムの一ページを私が占領したような気分になり、申し訳なかったが、周囲のクラスメイトはむしろ納得してくれていたように思う。
中学生に進学してからは、妙に告白というものをされるようになった。それは、私の意識しない所で、いつも突然に降り掛かった。帰りに靴箱を開けたときだとか、街角を曲がった矢先だとか、ふと鳴り響いた電話に出た時だとか。私はその度に緊張とは程遠い硬直に苛まれ、ただ恐怖してしまった。
一度、友人に相談したとき、「それはいいこと」だとか「うらやましい」だとか色々と諭されたが、同時に、もしも告白に応じれば友人たちと過ごす時間も短くなるのだと言われた。私には友人たちとの時間のほうがよっぽど大切で、それ以降どのようなアプローチを受けようが、無視するようになった。
そして、高校生になり、周囲の人間も一変した。私の回りを取り巻いていた友人たちも散り散りに各地へ通学し、それは私という人間の鎧が取り外されたのも同じだった。
毎日が、男からの求愛で埋め尽くされていた。きっぱり断れない私も悪いが、「返事をくれ」と迫られたら断りにくいことも確かだった。そして、私には処理できないほどに恋の案件が溜まったとき、ついに私は父親へ泣きついた。
『おれの目が黒いうちは、明美はやらん』
父は事情を悟ると、私の手元にある求愛情報をひとつずつ紐解いて、相手方を辿ると、かたっぱしから説教をしていった。たまには相手の男と口論になったり、取っ組み合いになることもしばしばあったが、青年時代から欠かさず肉体を鍛えている父に適う男はいなかった。
そうしているうちに、波が引くような感覚で、私へ近寄る男はいなくなった。