第3話 週末の焚き火は、ちょっと軽め
金曜の夜、会社からの帰り道。
佐藤悠真は軽自動車のハンドルを握りながら、ため息ではなく小さく笑っていた。
「今週は……まあ、なんとか乗り切ったか」
今週は珍しく残業が少なかった。
上司の無茶振りも一つだけ、後輩の愚痴も短時間で終わった。
プロジェクトの進捗も予定通り。
完全に疲れ果てた先週や先々週に比べれば、だいぶマシだ。
それでも、週末のキャンプは予定通り。
「頑張ったご褒美」として、いつもの山奥の無料キャンプ場へ向かっていた。
心のどこかで、こうも思っていた。
「……今回は、疲れてないから門は開かないかもな」
焚き火を囲んで心が限界まで疲れ果てた時にしか、光の門は開かない。
それがこれまでの二回の経験則だった。
今週はそこまで追い詰められていない。
だから、期待しすぎないようにしよう、と自分に言い聞かせていた。
キャンプ場に着いたのは午後六時半。
まだ少し明るい空の下、いつもの手順でソロ設営を始めた。
テントを立て、ペグを打ち、焚き火台を設置。
薪に火をつけ、炎が徐々に育っていくのを眺めながら、クーラーボックスから缶ビールを取り出した。
プルタブの音が、静かな森に響く。
一口飲んで、肩を回す。
体は軽い。心も、先週ほど重くはない。
「ふう……今週は頑張ったよな」
スマホでインスタを開く。
先週アップした湖畔の星空写真が、いいねを千二百近く集めていた。
コメントは相変わらず。
「この場所マジでどこですか!?」
「秘境すぎて羨ましい……」
「写真加工? それとも本当にこんな綺麗な場所があるの?」
悠真は苦笑しながら、返信はせずにスクロールした。
バズるのは嬉しいけど、特定されそうで怖い。
加工はいつも以上に慎重にやっている。
焚き火の炎がパチパチと心地よい音を立て始めた。
俺は焚き火台の前にあぐらをかき、炎を見つめた。
オレンジ色の揺らめきが、顔を優しく照らす。
「……今回は開かないかな」
正直にそう思った。
今週は疲れ果てていない。
心が「もう限界だ」と叫んでいない。
ただ、週末のキャンプを楽しみに頑張ってきただけだ。
門が開く条件を満たしていない気がして、少し残念な気持ちが胸に広がった。
それでも、炎を眺めていると自然と心が落ち着いてくる。
現代の喧騒が遠くなり、森の静けさが体に染み込んでいく。
缶ビールをもう一口。
持ってきたソーセージを串に刺して、火で軽く炙る。
脂が落ちて炎が一瞬大きく跳ねるのが、なんだか楽しい。
夜が完全に落ちた頃、星がちらほらと見え始めた。
俺はスマホを片手に、焚き火をバックにした簡単なキャンプ飯の写真を撮った。
「#週末ソロキャンプ #焚き火でビール」
軽く加工して下書き保存。
その時——
焚き火の炎が、わずかに色を変えた。
青みがかった白い光が、炎の中心に混じり始める。
煙がゆっくりと渦を巻き始めた。
「……え?」
悠真は目を丸くした。
心臓が少し速く鳴る。
今週は疲れ果てていないはずなのに。
「頑張ったご褒美」くらいの気持ちで来ているだけなのに。
煙の渦が大きくなり、光の輪郭がはっきりしてくる。
直径二メートルほどの、光の門。
向こう側に見えるのは、いつもの異世界の森。
木々の葉が微かに光を帯び、遠くに湖の水面が星明かりを反射している。
「開いた……」
驚きと嬉しさが同時に込み上げてきた。
疲れ果てていなくても、週末にキャンプに来て焚き火を囲んでいれば、門は開くんだ。
条件は「疲労MAX」だけじゃなかったのかもしれない。
少し心が「リセットしたい」と願っていれば、十分なのかも。
悠真は立ち上がり、軽いバックパックにランタンとクッカー、食料を詰め込んだ。
門の前に立ち、深呼吸する。
「よし、行ってみよう」
一歩踏み出すと、体が柔らかい光に包まれた。
次の瞬間、俺は異世界の森の中に立っていた。
夜風が頰を撫でる。
甘い草と木の香りが、肺いっぱいに広がった。
現代の焚き火の匂いとは全く違う、澄んだ自然の匂い。
肩の力が、するっと抜けていくのがわかった。
「……あぁ、来た」
星空が、息をのむほど美しい。
天の川が太く輝き、無数の星が瞬いている。
現代の空では絶対に見られない密度と明るさだ。
湖のほうへゆっくり歩いていくと、水面が星を映してきらきらと光っていた。
湖畔にシートを広げ、ランタンを灯す。
持ってきたコーヒー豆を小型ミルで挽き、クッカーで丁寧に淹れる。
異世界の澄んだ水で淹れたコーヒーは、香りが濃くて深かった。
一口飲むと、胸の奥が温かくなる。
スマホで撮影。
湖面に映る星空と、湯気の立つコーヒーカップ。
背景の木々を少しぼかし、空の色を微調整。
「#秘境湖畔 #週末のご褒美キャンプ」風のキャプションを考えて下書きに保存。
炎のない静かな夜。
でも、心はとても穏やかだった。
今週の仕事の小さなストレス、インスタのコメントで少し焦った気持ち、すべてがこの星空の下で優しく溶けていく。
「疲れてなくても……来れたんだな」
小さく呟いて、悠真は微笑んだ。
これからは「疲れ果てた時」だけでなく、週末に「頑張った自分へのご褒美」として来ることもできるのかもしれない。
その事実に、ほんのり安心した。
異世界の夜は長く、静かだった。
門はまだしっかり開いたまま、現代の焚き火の光を小さく見せている。
俺はコーヒーをもう一口飲み、星空を眺め続けた。
心が、ゆっくりと癒されていくのを感じながら。
(第3話 終わり)




