第2話 バズり始めた秘境写真
朝の陽光がテントの生地を透かして差し込んでくる。
佐藤悠真はシュラフの中でゆっくりと目を覚ました。
体が軽い。久しぶりに、胸の奥の重しが取れたような感覚だ。
「……昨夜は、夢じゃなかったんだな」
テントから這い出ると、昨夜の焚き火台には白い灰が残っていた。
現代のキャンプサイトは静かで、鳥のさえずりだけが聞こえる。
スマホを確認する。時間は午前七時半。会社からのLINEはまだ来ていない。
昨夜の下書きフォルダを開く。
異世界で撮った星空の写真が三枚。
天の川がくっきり浮かび上がり、木々のシルエットが幻想的に映っている。
色温度を少し下げ、空の青みを抑えめに加工。
キャプションを打つ。
「#秘境キャンプ #夜空がすごい
週末に逃げ込んだ山奥のキャンプ場。
星が近すぎて怖くなるレベルでした。
焚き火の炎をバックにホイル焼きも最高!(次回投稿予定)」
位置情報はオフ。
「日本の某所です。詳しくは秘密♪」と軽く付け加えて投稿。
フォロワーは現在二百人ほど。ソロキャンプアカウントとして細々と続けているだけだった。
朝食はシンプルに。
残りのベーコンと卵を焚き火の残り火で炒め、インスタントコーヒーを淹れる。
湯気が立ち上るのを眺めながら、昨夜の記憶を反芻した。
あの光の門。
異世界の森。
甘い草の匂いと、信じられない星空。
そして、心が溶けていくような解放感。
「疲れた時だけ……か」
トリガーは明確だった。
現代のストレスが限界に達し、焚き火を眺めながら「もう無理だ」と思った瞬間。
それが鍵らしい。いつでも行けるわけじゃない。
それは逆に安心だった。無制限に逃げられる逃げ場では、かえって現実が辛くなる。
朝食を終え、撤収作業を始めた。
テント内のシュラフとマットを外に出して干す。
インナーテントを丁寧に畳み、フライシートを払う。
ペグを一本ずつ抜き、泥を軽く落として袋へ。
ソロキャンプの醍醐味は、この片付けの効率化にある。
すべてを素早く、丁寧に。無駄な動きを減らす。
焚き火台の灰を完全に冷まし、クーラーボックスに収納。
最後にグランドシートを畳んで車へ。
九時前にはサイトは綺麗に元通りになった。
「良い朝だった」と心の中で呟き、軽自動車に乗り込む。
帰宅途中のコンビニでアイスコーヒーを買った。
アパートに戻ると、スマホの通知が鳴り響いていた。
インスタのいいねが、投稿から三時間で二百を超えていた。
コメントも次々と。
「この星空やばい!どこですか!?」
「加工じゃなくて本物? 信じられない綺麗さ……」
「キャンプ飯のホイル焼きも美味しそう! レシピ教えて!」
「秘境すぎる。地図アプリで検索しても出てこないんだけど」
悠真は苦笑した。
予想以上に反応が良い。
星空写真は特にバズり始め、フォロワーが一気に三百五十人まで跳ね上がっていた。
「バレないよう、気をつけないとな……」
午後になり、会社から着信。
有休を取った件で上司から軽い説教が入った。
「佐藤、来週の納期は大丈夫か? ちょっと厳しめだけど頼むぞ」
いつもの無茶振り。
悠真は「はい、頑張ります」と答えながら、心の中でため息をついた。
夕方六時。
残業でデスクに張り付いていると、再び胸が苦しくなってきた。
画面に映るエラーログの山。
後輩が辞めたいと言い出した件のフォローも押しつけられ、頭が痛い。
「……今日も、限界かも」
仕事が終わったのは午後十時過ぎ。
アパートに戻るなり、すぐにキャンプ道具を車に積み込んだ。
昨日と同じ無料キャンプ場へ向かう。
心が疲れ果て、焚き火をしたいという欲求だけが体を動かしていた。
到着は午後十一時半。
夜の設営はヘッドランプを頼りに迅速に。
テントを立て、焚き火台を設置。
薪に火をつけ、炎が育つのを待つ。
缶ビールを開け、一口飲む。
スマホで昨日の投稿を確認すると、いいねが八百を超えていた。
新着コメントに「この写真、AI生成じゃないよね? 本当に日本?」というのもちらほら。
焚き火の炎がパチパチと音を立てる。
煙が夜空に昇っていく。
俺は炎を見つめ、無心になった。
その瞬間——
炎が再び青白く輝き、渦を巻いた煙の中心に、光の門が現れた。
「来た……」
心が少し軽くなるのを感じながら、悠真は門の向こうを覗き込んだ。
同じ森。昨夜よりも少し奥に見える湖の水面が、星明かりを反射している。
ランタンと小型クッカー、ナイフと食料を小さなバックパックに詰め、門をくぐった。
異世界の夜風が頰を撫でる。
空気は甘く、木々の葉が微かな光を帯びているように見える。
門の向こうには、現代の焚き火が小さく見えていた。
「よし、今日は少し探索してみるか」
湖畔まで歩いてみた。
道中、小さな動物のような影が木の陰を走るが、近づいてはこない。
魔物かもしれないが、今のところ危害はなさそうだ。
湖のほとりにシートを敷き、焚き火台の代わりに小型のガスバーナーで湯を沸かす。
持ってきたインスタントの味噌汁と、昨夜の残りの米で簡単なおにぎりを作る。
異世界の澄んだ水で淹れたコーヒーは、香りが段違いに良かった。
スマホで撮影開始。
湖面に映る星空をバックに、湯気の立つコーヒーカップを手前に。
焚き火の代わりにランタンの柔らかい光を入れ、角度を何度も変える。
「#湖畔キャンプ #秘境の朝焼け待ち」風に加工して下書き保存。
「これなら『日本の山奥の秘湖』って説明でいけるはず……」
コメントがさらに増えそうだ。
バズればバズるほど、特定されそうな恐怖もある。
でも、今はそんな心配より、目の前の景色が心地よかった。
星空の下でコーヒーをすすりながら、悠真は小さく笑った。
現代のストレスが、ゆっくりと溶けていく。
会社の上司の顔、納期のプレッシャー、後輩の愚痴——すべてが遠くなる。
「ここは、俺だけの場所だ」
夜が更け、門がまだ揺らめいているのを確認して、悠真は現代側に戻った。
焚き火の炎は弱々しく残っていた。
テントに入り、シュラフに包まる。
スマホの通知音が鳴る。
インスタのフォロワーが五百人を突破していた。
新着コメントには「この湖、行きたい! 場所教えてください!」という熱烈なものが並ぶ。
悠真は目を細めた。
「絶対に言えないよな……」
でも、心は軽かった。
明日も仕事がある。
でも、疲れたらまたここに来ればいい。
秘密のポータルが、俺を守ってくれている。
焚き火の最後の火の粉が、夜空に舞い上がった。
(第2話 終わり)




