3.悪役令嬢、命名
◇◆◇◆◇◆
「満足か?」
時間にして数分、癒しの時間を堪能した後、改めて互いに椅子とベッドの端に位置を戻すと、アドリアンが何時ものように無表情に尋ねる。
「はい……ありがとうございます。アドリアン様」
私はまだ名残惜しそうに熱が残り、脚が笑っている身体をシーツで隠しながらそれに答える。
エリザベートとしての習慣が染みついているのか、こんなときでも私の口は勝手に丁寧で柔らかい淑女を演じてくれる。有難い話だ。
「ならば良い。この程度のことであれば何時でも言ってくれ」
何時でも、という与えられた言葉を直ぐにでも行使したい欲求に駆られるが、程々にしなければと理性がそれを飲み込む。
忙しさを押して、私の欲求に答えてくれる彼の懐の深さと大きさには感服するしかないが、あくまでこれは彼が出産で弱った私を気遣ってのものである。
だから、無際限に求めてはいけない。物理的な物はいざ知らず、人間の感情である愛も欲求も、全てのものは有限なのだから。
「ところで、今日はこちらにも用件があるのだが、良いか?」
いつの間にか部屋に入ってきていた侍女が用意した紅茶を頂くというクッションを挟んだ後に、アドリアンが切り出す。
『要件がある』と言う切り出しは、結婚後のエリザベートがアドリアンから良く聞いた言葉だ。
「勿論、どのような要件でしょうか?」
というより、それ以外の会話が少なかったな……と思いつつ紅茶のカップをサイドテーブルに戻す。
余談だが、前世では紅茶の類はペットボトル飲料程度のモノ以外は嗜んでいなかったが、ここ数日に出された紅茶はどれも美味であった。
「うむ、侍女からお前の容体が安定したと聞いてな。」
そう言って彼が侍女を見やると、茶器を片付けていた侍女が退室し、部屋の外に控えていたらしい、自身とは別の給仕服を着た大柄の女性を連れてくる。
彼女はこちらに近づくと、その手の中、柔らかなシルクに包まれたーーー我が子をこちらに預けた。
勿論頭では理解していた。あの日私はこの子を産み、私が療養に入っている間、専属の乳母が世話をしていると。
腕に落ちた重みは、驚くほど軽かった。布越しに伝わるほのかな体温。小さな呼吸。規則的な寝息。
……私、本当に産んだんだな。
とっくに頭が理解していたことを、身体が今更に実感する。
喉の奥が熱くなり鼻の奥がつんとする。理由もなく勝手に瞳が熱を持つのが、何だかベタで腹立たしい。
そうしてあっさりと、怖いくらい簡単に、私は彼女の母であることを受け入れた。
「予後は健康そのもの、つい先ほど守印の儀も終わったので連れて来たのだ。……お前はまだ抱いたことが無かっただろう」
「お心遣いありがとうございます……よく眠っておりますのね」
安らかに目を閉じる顔から少し上に視線を向けると、既に柔らかな毛髪が生え始めていた。色は夫の暗いブラウンとは異なり、エリザベートの緋を強く受け継いでいる。
そう、この子はエリザベートの特徴を強く受け継いでいるのだ。
「私の子、私と同じ髪の色の……女の子」
生まれたのは男児では無かった。
ダレンス家は伯爵家だ。貴族の跡継ぎは「男児」であることが暗黙の前提で、娘にはその役割は無い。
家督と領地と爵位は男系で継承され、娘は嫁入りして原則として夫方の家に入る。
この事実をエリザベートは世界の常識として当然のように理解している。
が、朝倉杏奈の前世では古い時代の、封建的な継承観に基づいた価値観であった。
そう、この子の存在で、ダレンス伯爵家の継承問題は何も解決していないのだ。
この手の中の嬉しさが消える訳ではない、決してないが、その下に無形の不安が泥のように沈殿する。
不意に、口が動いた。
「アドリアン様、医者から聞きました。此度の出産で、私の身体は大きく消耗し、傷ついたと。……次に子を成せるかは不明であると」
「聞いている」
淡々と言葉を紡ぐ度に、先ほどの紅茶で満たされていた身体の熱が、急激に冷めていくのを感じる。
言った言葉は既に医者から伝えられていた事実で、私はそのことをあまり気にしていなかった筈だ。
「きっと、もう私では、お役目を果たせません。ですから、私の事情で、ダレンス家の選択肢を狭めないでください」
強い意志を以て言葉を放つ裏で、私は自身の身に起きた事態に驚いていた。
――側室を取る、別の妻を娶る。アドリアンに推奨したのはそういったことだ。
それ自体はこの世界では当たり前に行われていることだ。しかしそれは実家から政略結婚の道具として差し出されたエリザベートに残る最後の役割を奪われることになる。
しかし、それでも。例え居場所を失うことになっても、ダレンス侯爵夫人として、私情で当主の判断を狭めてはならない。これは感情論ではなく、立場に応じた責任の問題なのだ。
身体と心が別物のように動いたのは、恐らく、これが杏奈では無く、そんな暗い激情と覚悟をはらんだエリザベートとしての言葉だからだ。
「私はそれほど器用な男ではない」
数瞬の静寂の後に放たれた言葉。
それがエリザベートの思惑を切って捨てた。
「ですが」
「確かに家督を譲ることは出来ないが、それでも私とお前の子だ。元気に育ってくれれば、それで良い」
そう、アドリアンは淡々と言った。
「いざとなればいくらでも手はある。だから気負うな」
「アドリアン様……」
彼は、器用ではないと思っていた、が、それは間違いだった。
あの出産の日から今日まで、私の回復に努めながら、子供を見た私が何を言うかを予期して、答えを用意していたのだ。
もう体に冷たさは感じない、それどころか、先程から熱が高まり続けているのを感じる。
「どうかしたのか?」
「いえ、少し、時間を……」
その熱を冷ますのには、わずかばかりの時間が必要だった。
◇◆◇◆◇◆
「娘に名を与えたい」
私が数分のインターバルを貰った後で、そうアドリアンが切り出した。
この国、ルミエール王国では守印の儀、生後間もなくの魔法使いによる厄除けの処置が終わると、子に名前を付けるという決まりがある。前世でいう予防接種のようなものだ。
そう、前世の杏奈としては驚くことだが、この世界には魔法が存在する。
貴族の間では一般的な教養であるらしく、地方の末端貴族のエリザベートも基礎的な魔法が使える。
また、ダレンス家が居を構える首都近郊には、中央貴族の子息達や王族も通う魔法貴族学校が存在するらしい。
……何か引っかかる気がするが、今は先に考えることがある。
問題の娘の名について、私にはまったくアイデアが無いのだ。
「何か、お前の方で決めているものはあるか?」
無表情のまま、アドリアンがそう言う。
恐らく彼の方はちゃんと考えてきている筈だが、ちゃんと私の考えも聞いてくれるのだ。
しかし申し訳無いが、私も、エリザベートも色々あって失念していた。なので、
「アドリアン様がこの子の為を想って付けた名前であれば、それが最善と私は思います」
「そうか」
「ええ」
……誤魔化した。
誤魔化しがばれているかどうかは、目の前の無表情なナイスミドルからは読み取れない
このポーカーフェイス、貴族社会では腹の探り合いとかで役に立つんだろうなあ。
アドリアンは一拍置き、腕の中の子へ目を落とした。
その視線は表情の硬さに比べて幾分か柔らかさを含んでいる気がした。
「うむ、では」
短く言って、彼は淡々と告げた。
「我らが娘よ、お前の名は―――
―――え?
夫に悟られぬように驚愕の言葉を飲み込む為に、満身の努力が必要であった。
思えば、ずっと記憶の隅に引っ掛かりはあった。
それはダレンス、という家名であり、エリザベートとして持ち得る知識の一端であり、そして……
あの日、事故の前に思い出した、乙女ゲーム。
乙女ゲーム『セイクリッド・アカデミア』で、幾度も主人公の前に姿を表す。
主人公を幾度も苦しめ、時にはゲームオーバーまで追い詰める。ハルはその苦労を、怒りを込めて話していた。
キャラの名前も大半は朧げな筈なのに、彼女の名は覚えていた。
それは、彼女が必ず登場のシーンで名乗りを上げるからだ。
自分の記憶が目の前の光景と点と線で繋がる。繋がってしまう。
『おーほっほっほ!道を開けなさい、私こそが伯爵令嬢――――』
ゲームのテキストで何度も見た、悪役。
ルミエール王国。聖ルミエール中央魔法学院。魔法。聖女。―――全部、全部知っている。
そして、私は理解した。
この世界は――ゲーム、『セイクリッド・アカデミア』の世界だ。
―――アナスタシア・ダレンス」
腕の中のアナスタシアは自分が破滅の未来を約束された悪役令嬢であることを知らず眠っている。
彼女を抱く私は、それを知っている。悪役令嬢の、母親だ。
2話もお読み頂きありがとうございます!お陰様で[日間]ローファンタジー 60 位にランクイン出来ました!
今後も精進していきたいと思いますので、何卒、応援の程をよろしくお願いいたします。
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