第十話 「友が残したモノ」
「遅いぞッ!」
微睡みの向こうから響く声に、ふと目が覚める。
天井から吊るされた証明はその役割を果たさず、カーテンを閉め忘れた窓から差し込む、朝の冷たい光だけが部屋を照らしていた。
「こんな時間から…」
アイギスの口から思わずこぼれたのは愚痴。漸く朝日が登り始めたと言うのに、すでに体を追い込むのは騎士志望の学生達。
毛布の温もりを捨てて立ち上がり、寒さに身構えながら窓を開ける。
「そんなものかッ!」
教官か上級生か、監督をしているような男が再び声を張ると、歯を食いしばりながら二十人あまりの学生が石畳を踏みしめる。
昨日荷物を積み込んだばかりの部屋、荷物を部屋に入れると、姉も王女殿下も足早にどこかへ行ってしまった。
流石にこれ以上は手伝えない、と。
遅くまで自分で荷解きをし、住みやすいように支度をした。
少し勉強をしようと思っていたが、疲れてそのまま眠しまっていた。
授業の時間割はあらかじめ配られた紙に書かれている。
初日は特別な時間割だそうで、北の棟で教官や上級生との顔合わせがある。
まだ随分時間に余裕がある。やかましいかけ声で目が覚めてしまったためだ。
「試しに行ってみるか」
ふと、そう思い、着替える。
父にもらった剣を手に、部屋を出て階段を駆け降りる。
一階につき門に手をかける。
「待ちなさい!」
後ろから飛んできた声に、肩を弾ませる。
振り返ると、軽装の騎士がこちらに駆けてきていた。
学園の警備官だろうか。
「君、新入生だろう?園内での帯剣はまずいよ」
騎士の目が、アイギスの左手にある剣に向く。
「僕は貴族ですよ、アヴィゲイル家の三男です」
そう答えるアイギスに、剣を見ながら向かってきていた騎士の足が止まる。
弾かれたようにアイギスを見て、もう一度剣を見る。
「失礼した、すまない!貴族家の子息とは思わなかった…しかしアヴィゲイル家とは…外に出るのかい?」
貴族相手でも敬語を使わない。この学園内のルールの一つだ。
「ええ、外で騎士志望の方が訓練をしているでしょう、少し参加してみたくて」
少し驚いたように目を開き、再び騎士がこちらに向かってくる。
「そうか、新入生なのに?すごいな…その剣だと刃こぼれしたらまずいだろう、貸し出しの物を持ってくるよ」
アヴィゲイル家が特注した剣というだけあり、それなりに立派な見た目のこの剣。
しかしこれは多くの貴族がもつ飾り物の剣ではない。「気にしなくて大丈夫です、竜の素材も使った特注品ですから、でもありがとうございます」
「そうか?入学初日を医務室で過ごさないようにな」
騎士の言葉を背に、改めて門を開く。
遠くの朝日が差し込む、まだ冷えた空気を吸い込む。
髪の毛ひとつない頭、筋骨隆々とした体躯、立っているだけで相手を威圧しそうな浅黒い肌色の男。目の前の生徒達の動作に文句があるのか、頭に青筋が浮かんでいる。
声を張りながら鍛錬に精を出す上級生を横に、青筋の教官へ話しかける。
「すみません」
「なんだッ!」
とてつもない声量に思わず耳を塞ぎそうになるアイギス。
「僕も一緒にやっていいでしょうか?」
「君は…お前は誰だ」
教官が静かに、聞こえやすい声量で話すのが珍しいのか、鍛錬を止め、じっと見つめる生徒もいる。
ふと、何人かが動きを止めていることに気づいた教官が再び腹に空気を入れる。
「動きをとめるなッ!全員続けろ」
有無を言わさぬ教官の言葉に、再び声にならない悲鳴をあげながら動き出す。
その光景に満足したのか、教官が再び視線を戻す。
「お前は誰だ、何の用だ」
きっとこの人にとっては普通なのだろう、近くで聞き続けるとしばらく聴力を失いそうな声で話し始める。
「新入生のアイギスです、鍛錬に参加したくて来ました」
「…」
黙ってこちらを見ないで欲しい、いつ耳を劈く大声量が飛んでくるかと身構えてしまう。
「いいだろうッ!やる気十分だ!参加しろッ!」
顎で示すのは上級生達の端、見よう見まねでやれというその姿勢にアイギスは内心ガッカリする。
当然だ、正式な騎士志望の生徒でもなければそのコースに志望するつもりもないのだから。
同じ動きをする上級生を見ながらとりあえず真似をする。剣を手に腰を落とす、右上から左下、斜めに剣を振り下ろす。
上手くやろうと見るアイギス、チラチラとその様子をうかがう上級生と目が合う。
視線と視線がぶつかる。
相手は気まずそうに目をそらす。
何だろうと思いつつ動作を真似るために見続ると、再び視線が合う。
「どうかしました?」
そう話しかけるアイギスに、こんどはチラチラと教官を見る上級生。
何とも言えない表情でアイギスと教官とを交互に見る上級生。
話せないのなら仕方ないと、諦めて目をそらし、再び動作の真似事を始めるアイギス。
これはなかなか辛い。
「そこまでッ!」
教官の一言に周囲の生徒が崩れ落ちる。
荒い息を整えつつ、膝に手を当てる。崩れ落ちるところまではいかないが、それでも息は上がりきっている。
すっかり明るくなった朝日が校舎に差し込む。
火照った体は水分を求めていた。
「水よ」
アイギスがそう呟くと手元には拳ひとつくらいの水が現れる。
冷たいとは言えないそれを喉に流し込む。
「な、なあ、俺にもくれないか?」
少し落ち着いた肺をいたわっていると、横から声をかけられる。
先ほど動作を見ていた上級生が、膝に手をつきながら話しかけていた。
「そんな器用に口に入れられませんよ…」
少し困ったようにそう返すと、息を整えながら口角をあげる上級生。
「それもそうだな、俺はログニス、君は?」
すっかり落ち着いた息を言葉にかえ、笑いながら話を続ける上級生。
貴族では無いのかな。
「今年入学する新入生のアイギスです、よろしくお願いします」
そう返すと、目の前の上級生――ログニスだけでなく、周りの上級生もが驚いたようにアイギスを見つめる。
「お前――」
「よく耐えたなッ!」
ログニスの言葉は横からの闘牛のような言葉の突進により遮られた。
見れば教官が歩いて来ていた。
青筋が立っている、あれは平時からなのか。
「はい、ありがとうございました」
そう返すと嬉しそうに笑みを浮かべる。
ログニスの喉が音にならない悲鳴をあげた。
教官の笑みがそんなに怖いのか。
「この後は剣の模擬戦をするが、君は北の棟で集会のはずだ、また明日も来て良いぞ」
微笑みながら優しく語りかけるその姿は、まさに理想の教官ではあった。
しかし普通に話すのが珍しいのか、上級生はみな目を大きくして見つめていた。
「はい、また来ます、失礼します。」
その返事に頷く教官、もうすっかり朝になってしまったし、汗もかいてしまった。
着替えて支度をしなければな。
ーーー
新入生、アイギスの背を眺めながら、少し昔を思い出す。
アレスト、お前の息子が学園に来たぞ。
海のような青の髪の男は常に俺の憧れだった。
「気を抜くなッ!とっとと模擬戦の支度をしろッ!」




