進化の終着点(案A)
「不老不死なんて、どうでもいいよ」
俺はそう言って笑っていた。
少なくとも、二十二世紀のこの国で生まれ育った俺たちにとって、それはもう“決まっている前提”でしかなかったからだ。
不老化技術は義務教育の一部で教えられる。
胚に対する遺伝子安定処理(ネオテニー化)により、肉体年齢は十五歳で固定される。
これは生理学的な安定性と社会的均質性のためだ。
十五歳前後の身体は、脳可塑性・体格バランスなどが最も良い。
衣類・住宅・食事・医療すべてが最適化される。
社会全体がこの形に合わせてデザインされている。
だから俺は、老化とか死とか、もう遠い昔の出来事だと思っていた。
その日、俺は友人に誘われて新しいセミダイブシミュレーションを体験した。
題名は「Aging」。
かつての人類が避けようとした“老いる”感覚を、完全再現する体験装置だ。
最初はただの冗談だった。
体の重さ、視界のぼやけ、手足の震え。
最初は「リアルだな」と笑っていた。
だが、時間が経つにつれて、笑えなくなった。
呼吸が浅くなり、記憶が抜け落ちる。
指先が震え、好きな言葉が出てこない。
たった数分で、世界の情報量が自分の脳に入りきらなくなった。
頭の中で言葉がこぼれ落ちていく。
——ああ、こうやって人は、世界から切り離されていくのか。
それはただ、恐怖だった。
知識が失われていく恐怖。
長い時間をかけて積み上げてきた思考が、崩れていく感覚。
それは“死”そのものよりも、ずっと静かで、ずっと残酷だった。
プログラムが終了すると、俺は言葉を失っていた。
目を開けても、周囲の光が遠く感じた。
胸の奥で、何かが決定的に変わっていた。
その日以来、俺は「不老不死は退屈だ」という軽口を言わなくなった。
永遠に生きることは、たしかに怖い。
けれど、老化により自分という存在が欠けてゆくことのほうが、もっと恐ろしい。
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社会情勢記録 ― 2200年 人類恒久社会白書要旨 ―
第1章:人口と生存
現在の世界人口は約81億。
出生制限法により、基本的に新生児は認められない。
事故死・尊厳死・特例的自己終了申請があった場合に限り、新たな出生権が発行される。
第2章:身体の固定年齢について
肉体年齢十五歳は、以下の要素により選ばれた。
•脳の柔軟性:可塑性が最も高く、新知識への適応が容易。
•代謝効率:栄養要求が低く、エネルギー浪費を防ぐ。
•生理的均衡:ホルモンバランスが安定し、感情制御が容易。
•社会的中立性:性的成熟を終えつつ、権力・衰退の象徴とされにくい年齢。
つまり、この肉体形態は「永続可能な思考体」として最適なのだ。
第3章:教育と労働
教育は人生の初期ではなく、生涯にわたって続く。
政治含む全ての職は流動的で、ひとつの分野に数十年携わったのち、別の分野へ移ることが半ば義務化されている。
「知識の停滞」は最大の社会的罪とされている。
第4章:死と尊厳
尊厳死は希望すれば可能であり、社会的合意のもとで行われる。
しかしその代償として、「その人が生涯に得た知識と技能の写像データ」は保存され、社会AIが参照する。
ただし、人格の再構築は行われない。
記録は記録に過ぎず、情報の断片でしかない。
それが倫理委員会の基本原則だ。
第5章:出生の倫理
不死社会において、新しい生命の誕生は倫理的問題として扱われる。
死なない世界で新たな命を増やすことは、資源の浪費であり、既存知識体系の重複を生むと考えられてきた。
だが一方で、「まったく新しい脳構造を持つ存在が社会に刺激を与える」という意見もある。
これを「創発派」と呼ぶ。
遺伝子操作による不死になるのが先か、アップロードに十分な精度が出るのが先なのかはとても気になるところ。
マインドアップロードが先に完成すると、みんなVR世界の中で生きる様になって、現実世界でほとんどの都市が崩壊していく未来も見える.......
いや、でもやっぱり「生」の感覚は変え難いものとして重宝され続けるのかもしれない←環境への負担と引き換えではあるが。




