第七話 おつかい
「瑞樹、ちょっと頼まれてくんない?」
店主に呼ばれて私は顔を上げる。
「あ、ていうかこの後用事とかない?」
「特にないっすけど、何ですか?」
「空狐が一人じゃつまんない〜とか言うからさ、一緒におつかいに行ってほしくて」
おつかい……店の買い物だとしても客がやっていいもんなのか?
不思議に思う私の顔を見て店主は「大丈夫だよ、多分」と心もとない返事をする。彼が正直者だということは今までの付き合いでわかってきたが、それ故に「多分」が引っかかって困る。
「そろそろ空狐が来ると思うんだけど……あ、噂をすれば」
「見つけたかー? 私の相棒!」
相変わらず天真爛漫な彼女はいつもの席――私の左隣に座る。店主が私を指差してるのを見て、私もぎこちなく笑う。
「……ん? 瑞樹を連れてくの?」
「私じゃ力不足ですかね……」
「いやいや、もちろん大歓迎だけどさ。逆に連れてっていいの?」
「別に害はないと思うけどな〜。川渡るだけだし」
普段はノリとテンションで行動する空狐が困惑してる。そんなのを見て余計に不安になる私を他所に、店主は手をひらひらさせている。
「ま、あんたが良いならいいや。早速行こ、瑞樹!」
空狐は私の手を引っ張って暖簾へ向かう……
「あれ、この暖簾って木霊の時の……」
「じゃあ瑞樹、初めての妖怪の世界楽しんできてね〜」
騙された。そもそも私は〈おつかい〉としか聞かされてないので何をするのかも知らないのに。
でもまさか妖怪側の世界に行くとは思ってなかった。
「ちょっと待って……」
そう言った私の身体は既に暖簾をくぐり抜けていた。足元の感触が一瞬消え、目の前には見慣れない闇夜が広がっていた。
「いらっしゃい瑞樹、ようこそ妖怪の世界へ〜! なんて」
「ほんとに妖怪の世界があったのか…...」
「無かったら私たちはなんだよ。まあ、そりゃ驚くのも無理ないか」
そう、無理もない。というか、相変わらず私は異常事態への適応が早いらしい。眼の前に流れる川は闇夜に紛れて色がわからないが、それ以前に微かにうめき声が聞こえるという状況で、この通り平常心でいられているのだ。
「この川は〝夜哭川〟って名前でね、ちょうど店の裏ともつながってるんだ」
「たしかにちょっと、音が泣き声に聞こえるかも......」
「ここに流れ着くのは妖怪に食われた人間の未練だよ」
「ガチの泣き声じゃないっすか!!」
水面をよく見ると白い影が漂って見える。手のような形をした何かがこちらに伸びてくるが、すぐに空狐の足がそれを制した。
「近づくとこんなんじゃ済まないから橋を渡ろっか」
その橋は木造で、何年前に作られたのかと思うほど古びている。踏み込むとギシと鈍い音が鳴り響く。
橋の真ん中あたりまで来て、急に足が重くなった。足元には橋板の隙間から延びた青白い手が、がっちりと私の足首をつかんでいる。
「うわっ......!」
「おっと」
空狐が素早く振り返り、尻尾で手を振り払う。
「橋の上でも油断しちゃだめだよ。こいつら特に人間好きだから」
「もっと早く言ってよ…...」
「生きてる人間が羨ましいんだよ。私も」
必死で橋を渡り切った先には、ひっそりとした小さな祠があり、苔むした石の手水鉢が据えられている。
「はい、ここで封水を汲むのが今回のおつかいです!」
「そういえばこれ、おつかいだったな」
「あ、入れ物......これでいいや、さっき飲み切ったやつ」
「ペットボトルってマジで言ってんの?」
「洗えば問題ないって!多分......」