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第十一話 帰る場所

 今夜も提灯が灯る。


 私は戸口で一度立ち止まり、深く息を吸いこんだ。夜気の底に、肉の煮える匂いと酒の香が混じっている。提灯の赤が湿り気を帯びて揺れていた。

 「ただいま」と、小さく呟いて暖簾をくぐる。


「いらっしゃい」


 耳に馴染んだ店主の声が降ってくる。鍋の音、狐の尾のちらつき、煙の匂い、客たちのざわめき。その渦の中に腰を落ち着ければ、まるで最初からここにいたように馴染んでしまう。


 湯気をまとった酒をひと口含んだ瞬間、腹の底からほどけていく。熱が骨に染み渡り、その時、ふと気づく。

 あれから、もういくつ夜を越えてきただろうか。


 人気のない路地裏の燈が誘う。夜が深くなりすぎたせいか、提灯の赤が、やけに黒く見えた。眼の前に湯気が香る。


 そうして気がつけば、今夜もまた同じ席を選んでいる。片方には黒羽織のじいさん、もう片方には…… 人間の格好をした女。彼女は白い頬と静かな目を隠すように狐の面を被っている。


「ようやく、ここまで来たね」


 顔をあげるが、誰も口を開いていなかった。騒がしい店内で大将の笑い声が通り、口元が緩む。私の耳の奥だけが凪いでいた。


 私はただ箸を持ち、いつものように料理を口へ運ぶ。香ばしさ、甘み、ほのかな苦味。どれも変わらぬ味。だが胸の奥で、時だけが確かに流れていた。


 外は雪が舞いはじめているだろう。客の背に染みついた寒気を、湯気がやわらかく包みこんでいる。盃の表に映る灯は、三年前と同じ赤い色をしていた。


 あのとき、行き場をなくして歩き回った私が、今はこの席に腰を落ちつけることを当然のように思っている。そして、それを当然のように受け入れる妖怪たちがいる。

 時は過ぎ、季節は巡る。提灯は灯り、暖簾は風に揺れた。


 鍋の音が夜に溶けていく。ざわめきの向こうで、狐の面がわずかにこちらを向いた気がした。だが確かめる前に、店主の声が私の名を呼んだ。

 そして私は、盃をあげて応えた。


 気づけば、もう三度目の冬が過ぎようとしていた。

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