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雪宮の家

「全く、ろくに連絡も寄越さなかったくせに突然帰ってきたと思えば、急に結婚式の支度を整えろなどと」


 女性の声で、琴葉はぱちりと目を見開いた。


 見知らぬ木の天井が視界に飛び込んできて、頭がぐるぐると混乱する。


「しかも、制約の祝詞は勝手に挙げてしまった、ですって!? いくらご当主様がお許しになっていたとしても、きくはそのような不躾な子に育てた覚えはございません!」


 なおも続く小言の声を聞きながら、琴葉はぼんやり思案した。

 ここはどこだろう。かけられている布団も見覚えのないものだが、安心する香りがする。そうだ、確か弓弦家との縁談を打診されて、その後火事が起きて。清一郎が助けに来てくれて、何か大切な話を……

 そうしてだんだん覚醒してきたところで、琴葉の知る声がした。


「あまり大声を出さないでください。彼女が起きる」

「そ、それはそうね……気をつけます。けれども、出させているのは貴方ですよ!」


 琴葉は布団から身を起こした。


「ええと……ご迷惑を、おかけして」

「ああ、目が覚めてしまったか。悪いな」


 眉を下げた清一郎が近付いてくる。簡素な着流し姿の彼を見るのは初めてで、琴葉は何故かひどく動揺した。


「気分は? どこか痛むところはないか」

「は、い。特には」


 清一郎は琴葉のそばに腰を下ろした。


「ここは俺の生家だ。きみの大切な筆やインク、紙は見つけられる限り別室に運ばせた。神棚と祖霊舎は持ってこれたが、飾り棚や生活用品までは持ってこられなかった。許してくれ」


 琴葉は目を丸くした。

 あの大火事の中、そこまでしてくれた清一郎に頭が上がらない。自分が気を失った後ここにいるということは、琴葉のことも運ばせたということになる。自分の足で逃げ出さなければならなかったところ、とんでもない大荷物だ。


「私、なんという、ご迷惑を」

「いや、謝るとしたら私の方だ。荷物もきみも、私の独断でここへ運ばせた。周囲を黙らせるのに一番手っ取り早い方法をとったつもりだが、不便をかける」


 清一郎の言葉に、琴葉は首を振った。

 この人はどこまで、優しくしてくれるつもりなのだろう。

 それも全て、「妻」になるものの特権だとしたら、身に余る、あまりに贅沢な幸福だと琴葉は思った。


「清一郎さん。状況説明も良いですが、私のことも紹介したらどうなんです」


 彼の後ろからぷりぷりと怒る声がした。

 清一郎は頬をかいて、すみません、と女性に対して頭を下げた。


「そこにいる女性は母方の遠縁に当たる者で、家のことを取り仕切っている。実質は私の育ての親、のようなものだ。今は虫の居所が悪いようだが、元来楽天的で細かいことを気にしない人だ。これからはきみの気の置けない友人、くらいに思っておいてくれたらいい」


 琴葉は慌てて正座した。考えうる限りで、一番最悪な婚家の身内との出会い方である。恐縮し切って縮こまる琴葉に、彼女は「固くならなくていいんですよ」ところころ笑った。


「琴葉さん、初めまして。『きく』と申します。私が怒っているのは琴葉さんに対して、ではありませんのよ。こんな素敵なお嬢さんに、火事の土壇場で断れないような求婚をした挙句、その場で婚姻の祝詞を挙げて強引に結婚を成立させてしまった、清一郎さんに対して腹を立てているんです。御免なさいね、情緒のない子に育ててしまって」


 私には気を遣わないでね、と琴葉に対してはにこにこ笑顔を振りまいたきくは、清一郎の方をきっと睨みつけた。話し方から察するに、幼少の頃から彼の面倒を見てきた、乳母のような存在なのだろう。

 清一郎は肩をすくめている。

 琴葉は自分の名乗りをする番だと思った。


「筆村琴葉、と申します。筆ノ森神社で、小さな札屋を営んでおりました。この度は、清一郎様が雪宮家のご令息であることも知らず、私を助けてくださるというただ一言に甘えて結婚をお願いし、あまつさえお屋敷で寝かせていただくなどという――――」

「いや、ちょっと待て」


 清一郎が慌てて琴葉の言葉を遮った。


「結婚を申し出たのは私のはずだ。事実の捻じ曲げはよくない」

「いいえ、あの場で結論を出したのは私です。貴方様が雪宮家のお方と知っていたら、すぐのお返事などしなかったのに……良家の婚姻は、本人どうしの一存で決められるものではありません。それくらいは、私も承知しております」


 琴葉は自分が世間知らずだという自覚がある。だが墨島の家を筆頭に、自分が見てきた数多の家で、結婚というものが思い通りにならないものだということは知っている。

 だからこそ自分は弓弦の婚約をどう破談にするか考えていたのだし、市井で道ならぬ恋が成就する恋愛小説などが流行るのはそういうことだ。

 琴葉は当然のことを述べただけなのに、どういうわけか清一郎は酷く憮然とした顔をした。


「その為の、準備時間だった。他家に口は出させない。雪宮家前当主への説得も、白藤家の了承も済んでいる。君が負い目を感じる必要はどこにもない」


 その言葉と表情が、どこか傷ついたようにも見えて、動揺した琴葉は続ける言葉を思いつけなくなり、口をつぐんだ。


「――まあ、結婚だのなんだのということは一旦忘れて、今はとにかくゆっくりなさればいいわ。私は琴葉さんを客人として歓迎いたします。それでいいわね?」


 ぱん、と両手を叩いて口を挟んだきくの言葉に、清一郎がほっとした顔をする。


「そうだな。火事からまだ半日しか経っていない。もう少し休んでいてくれ」


 清一郎が立ち上がり、部屋を出ていった。


 「難儀な子ねえ」と呟いたきくの言葉の意味が、自分にはわからなかった。

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