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第5話 告白 <完>

 アルフォンスの手がソフィの髪を撫でる。彼の手がソフィの顎を持ち上げ、そこへ激しく口づける。

 彼の手はソフィの肩と背を押さえたまま、唇は彼女のまぶたへ、口へ、両の頬へ押し付ける。呆然とするソフィの耳元、首筋、肩から胸元へ顔を動かし……そこで彼は動きを止めた。


「銀の笛を、……まだ持っていたのか」

 アルフォンスはいったん腕を解いてからゆっくりとソフィを抱擁し直し、頬と頬とを寄せる。

 ソフィの胸元には、旅立ちの際に『狼除け』だと言ってアルフォンスが預けた銀の笛があった。


 抱き合っていた腕を放して二人は顔を見合わせ、ソフィは指で笛に触れる。

「ずっと、私のお守りだったの。旅には苦労がつきものだけど、……この笛が鳴らないうちは、まだ続けていられるって思って、頑張ることができた。この笛をくれた人、私を助けてくれた人のことを思い出してね。でも、結局、今の今まで、……」

「鳴らなかったのか、一度も?」

 ソフィはうなずき、笛を口にあてて思い切り息を吹き込む。数度試して、やはり笛は鳴らない。

「鳴らない。あなたと一緒の時だったら笛は鳴るかもしれないって言われたけれど、やっぱり鳴らないのね」

「誰がそんなことを?」

「大聖堂で、私に手紙を持って来てくれた司祭さま」

「……」

 

(あいつめ……)

 アルフォンスは苦笑いして壁を睨みつける。ソフィが不思議そうに尋ねる。

「どうしたの?」

「……お前を侮辱した男に慰謝料を払わせるつもりだったが、大聖堂の修理費用に持っていかれてしまった」

 アルフォンスは肩をすくめる。いつもの調子を取り戻した彼に、ソフィは安堵する。

「でも、無事に解決したわ。ありがとう」

「事実を見せたまでだ」

 アルフォンスは面白くなさそうに頭を振る。ソフィがそっとアルフォンスの手に触れると、彼は彼女の手を強く握り返して言った。

「ソフィ、城の屋根に上ったことは?」

「自分の城でならあるけど、さすがにここでは……」

「じゃあ、行こう」

 

 

 ***

 

 塔のらせん階段を最上部まで登り、窓から外へ、アルフォンスが先に出て、窓からソフィを抱き上げて下ろす。

 塔と塔とをつなぐ平らな屋根の上。胸の高さまで石造りの柵があり、その向こうには城下町の風景が開ける。

「うわあ……」

 ソフィは歓声をあげる。

(すごい。私たちの城だと、周りは畑か森の緑ばかりだけれど、ここは、大きな都市だわ……)

 

 時折強い風が吹き抜けて髪や服の裾をはためかせる。風の音に負けないようにアルフォンスは声を張り上げて言った。

「俺がここに初めて上ったのは十年前、十六歳の時だ。ソフィ、お前、十年前は何歳だった?」

「ええと、十歳」

「じゃあきっと、知らないか、聞いたとしても分かっていなかったな」

「?」


 アルフォンスの顔はまっすぐ前を向き城下の風景をにらみつける。再び、彼は風に向かって言う。

「十年前、俺は重大な過ちを犯した。それで、東の領地に赴き、十年の間、その掌握に専念することを命じられた。事実上の追放だ」

 初めて聞いた話だ。ソフィは驚いてアルフォンスを見る。

「一歩間違えば外交問題だったから、知っている者も多くない。……聞いてくれるか?」

 真剣な瞳がソフィを見つめる。ソフィは金縛りにあったように動けなくなった。


「もし今日と同じくらい空が晴れていれば事件は起きなかった。でもあの日は嵐で、海はひどく時化(しけ)ていた」

 

 その日アルフォンスは、海をはさんだ隣国『西の国』の姫君を迎え行き、帰りの船に乗っていた。アルフォンスが迎えの使者となったのは、彼が『西の国』に留学した経験があり、姫君とも顔見知りだったからだ。

 姫君はアルフォンスの父親の再婚相手、つまり国の王妃となることが決められていた。彼女はアルフォンスと同年の十六歳、国王は四十二歳。親子程の年齢差だが両国の友好の象徴とされた。

 

 道中は順調、しかし船があと一日で上陸というところで悪天候に見舞われた。

「夜の間、風と波にあおられて船は大きく揺れ、……船乗りたちは長年の経験から転覆するほどではないと知っていたが、……とにかく外海の旅が初めてだった姫君には恐ろしい経験だった。半狂乱になって、船と沈むくらいなら自分から海に飛び込んでやるといって走り出す……、俺は必死に彼女をなだめて、気が付けば一晩ずっとそうしていて、穏やかな朝を迎えた。無事に船は港に着いたが、そのとたん、俺は捕縛された」

「どうして?」

「密告があったのだ。俺と姫君が『一線を越えた夜を過ごした』と。が、当時は嵐の船の中、船員たちも持ち場で精いっぱいだった。姫の侍女は恐ろしさのあまり気絶していた。俺たち以外に何があったか、誰も知らない」


 なぜ密告があり、それがまかり通ったのか。港についたとたん捕縛されるというのは、手際が良すぎないだろうか。

 疑い出せばきりがない。が、背後が明らかにされることはなかった。

 

「この件について、姫君はその時の記憶がない、と証言した。それは正しかったと思う。正常な判断力があったとは俺も思わない」

「あなたは……?」

 アルフォンスは柵に両手をついて下を向く。声に力がない。

「当然、姫君の名誉や尊厳を傷つけたり、陛下の信頼を裏切るようなことはなかった、と言った。しかし、俺以外の誰も、俺の証言を確認することはできないんだ……」

 

 

 事態の決着をつけるため、国王はアルフォンスに神判を命じた。アルフォンスと姫君の代理人とが神前で決闘し、勝利した方を真実として証明する。

 もしアルフォンスが勝てば、疑われるようなことは何事もなかった、と。しかし、負ければ密告の事実があったということになる。

 

「俺は拒否した。神判は法で禁止されているし、模範となるべき王家の人間が掟を破るべきではない。それに、勝ちたくも負けたくもない。が、……」


 アルフォンスの意志は聞き入れられず、決闘の準備は進められた。

 もし決闘に負ければ両人は身に覚えのない罪に問われる。自分はともかく、姫を守るためにも絶対に避けなければならない、と思った。

 しかし勝ったところで、姫には敗北者の汚名を着せることになり名誉は回復されない。しかも、姫の決闘代理人として選出されたのはアルフォンスの一番の親友だった。

 

「ファブリスだ」

 アルフォンスは大聖堂で出会った僧侶の名前を口にした。

「奴と俺とはちょうど剣の腕前が互角で、真剣勝負をしたら、どちらが勝つか本当に分からなかった……」


 衝撃がソフィの胸を打つ。

(それで、あの人はアルフォンス殿下に対して遠慮のない態度をとっていたのだ。でも、どうして聖職者に……?)

 

 ソフィの疑問を承知したかのようにアルフォンスがうなずく。空を仰ぎ、誰でもない何かへ、どこか遠くに向かって話しを続ける。

「で、ここからがすごい所なんだが、ファブリスは……逃げたんだ。決闘の前日に。監視の目があったはずなのに、一体どうやって逃げ出したんだか……」

 ファブリスは世俗の法や支配が及ばない聖域に逃げ込み慈悲を乞うた。聖域では国王の権力があっても手出しはできない。

 そのまま彼は聖域にとどまり、彼自身の意志で聖職者になったという。

 

 対戦者の逃亡により決闘は成立しなかった。国王は決断する。

 船内で起きたことは不問にする。密告を退ける。そして国王は姫とただちに結婚した。

 

「変な話だが、陛下と王妃さまが結婚して最初のお子に恵まれるまでには三年かかっていて、そうすると誰の目にも二人の間の子であることは明らかで……ものすごくほっとしたのを覚えている、申し訳ないくらいに」

 

 疑惑の当事者同士の接触を防ぐため、アルフォンスは東方の領地を継承し、十年の間許可なく領地外に出ることを禁じられた。

 ただ、現実的には国内の各地で、裁判や結婚の立ち合いなど、国王の信認を必要とする仕事は多くある。アルフォンスはしばしば国王の名代を任ぜられ、領地外の地方へ出かけて行った。すべての王命は使者によって伝えられ、決して国王本人と会うことはなかった。もちろん、王妃と会うのは論外である。

 そうして十年が経ち、アルフォンスは王命によらず出歩ける身分になった。

 

「追放の処分を解かれたらどこへ行きたいかと考えていて、最後の二年は、お前に会いに行くことばかり考えていた。でもこうしてお前が来てくれたから、一緒に出掛けるのが最初の旅になる」

 言いながら、アルフォンスはそっとソフィを抱きしめる。

(何てこと……)

ソフィは言葉にならない感情に押しつぶされそうになる。彼女の目から涙があふれだす。

 

「うれしいんだ、お前と旅をすることが。……でも、『こんなことで浮かれるな』と言うもう一つの声が聞こえる。父には要らぬ心労を強いた。友の人生を狂わせた。それに何より……今でも夢を見る。嵐の中、あの人が走り出して海に飛び込もうとする。俺は止める、間に合うこともあれば間に合わないこともある」


 アルフォンスの目が赤い。彼の震えがソフィに伝わる。


「あの夜、自分の気は確かだっただろうか。誰も見ていなかったのをいいことに、都合よく『何もなかった』と自分をもだましているのではないだろうか? 父よりも自分の方が彼女に相応しいと、少しでも思ったことはなかったか? 俺は本当は、重大な過ちを犯したのではないだろうか……」

「……ないわよ」

 ソフィは伸びあがって彼の肩と頭を抱きしめる。

「ないわ。過ちなんて、なかったのよ」

「ソフィ……」

「何度でも言うわ。大丈夫、あなた以上に信頼できる人はいない。それをあなた以上に、誰が証明できるというの? それは神でも人でもないと……」

 きっと、あなただったら言うでしょう。そうやって、私に言ってくれたじゃないの。

 

 続きは、涙になって言葉にならない。


「ありがとう……」

 アルフォンスはソフィをしっかりと抱きしめる。彼女の身体の温かさが感じられる。

 

 涙が止まるとソフィは言った。

「いつもあなたの側にいるわ、あなたのことを助けたいの。あなたが望むなら、夜ごと、夢の番人になって……」

「俺も同じことを考えていた、ソフィ……」

 アルフォンスは彼の頭を抱えるソフィの腕を解き、彼の手で彼女の両手を包み込む。目をじっと見つめる。

「ずっと傍にいる。傍にいてお前を守ると……そう思っていた。昼と言わず夜と言わず、風のない時も嵐の時も、生涯をかけてお前を愛して守る、と……」

 

 『今度こそは』という彼の言葉が聞こえてきそうで、ソフィは思わず強く目を閉じる。しかし、まぶたに口づけされると、不安はどこかへ消えてしまう。


 彼の腕の中で聞く言葉は心地よく響く。

「愛している、ソフィ。私をあなたの、生涯の伴侶にしてくれるか?」

 ソフィは彼の胸から顔を上げて、そこに静かな覚悟を見つける。

「はい……私でよければ」

 ソフィが身体を投げかけ、アルフォンスが受け止める。風が音を立て、二人に向かって吹きつけた。


<完>


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