世界が壊れた日
「気が付いたかね?」
紫電が目を覚ましたのは診療所と思しき建物の一室だった。
「驚いたよ。いきなり気を失うものだからね」
老人は人の良い笑みを浮かべて、彼に切ったリンゴがのった皿を渡す。
「なぜ俺を殺さなかった?」
それを受け取らず、紫電はまず問いを投げた。
「そう尋ねるのも無理はない、か。我々の目的は君を殺すことではなく、活かすことだからだ。きれいごとだと思うなら、利用すると思ってもらって構わない。いずれにせよ、我々には君を殺す意志は全くない」
紫電はいまだに覚えている。
あの日の空を。あの日の熱さを。あの日の悲しみを。あの日の苦しみを。
あの日は一人の少年の世界が壊れた日だった。
「その方がまだ信用できそうだ。で、貴様らは俺をどう利用する?」
「君が人を殺すことではなく、人を生かすことにその力を使ってくれさえすればいい。我々が希望するのはそれだけだ」
「……俺が人を生かす、だと?」
死神イザナギの名を継ぐ者が人を生かすなど思いつきもしなかった。
「この世界に正義の味方はいない。人の形をした魑魅魍魎が跋扈する世界だ。貴様らはまだ現実から目をそらすのか? 地震兵器とやらが仮にあったとして、この大震災がそうだとして、誰が貴様らを助ける?」
「その通り。この世界は腐りきっている。だから、我々の代で終わらせなければならない。違うかね?」
「終わらせる? そんな大それたことが貴様らにできるとは到底思えん」
「そうだな」
老人は一呼吸置いてから、言葉を紡ぐ。
「確かに、終わらせることができる確証はどこにもない。むしろ、犬死することさえあるだろう。だがね、私はそうしたいんだ」
老人の双眸に強い意思が宿る。
「できるかできないか、は問題じゃないのだよ。いつだって選ぶことができるのは、するかしないかだけだ。君とて同じではないのかね?」
暖かい燈火を宿した瞳は静かに紫電を見据える。
「無謀に過ぎる」
「そうとも。だが、それが諦める理由にはならない」
横たわる紫電の心はざわついた。いつでも理論に従って、理性的に物事を判断してきたつもりだ。
感情を殺し、気配を殺し、人を殺す。
それが暗殺者の極意だと組織で叩き込まれ、そして最強の暗殺者は誕生した。そして、最強が最強と言われる所以は感情がまともにはたらいていないからだった。
今、彼の心は動いている。
長い間、強制的に鎖で雁字搦めにされていた心が動いている。
「利害関係で構わない。私は君に助けてほしいのだ。助けられる人と命を。結果的にできなくとも構わない。動いてみてくれないか?」
温もりをもたらす言葉の波が彼を縛っていた鎖を少しずつ融かしていく。
なぜなら、その言葉はかつて彼の師が彼に伝えた最後の言葉と同じだったから。
こんばんは、星見です。
新年度が始まり、多忙です。組織の仕事というのは、一人でどうこうなるというものではないですね……
さて、そんな新年度ですが、張り切って定期的に更新を続けていきたいと思います。
原作は6万字くらいで終わりましたが、今作はその倍は続くと思います。
ではまた次回お会いできることを祈りつつ……




