一人の少女と暗殺者
大冥災。
世界に住む人々なら誰もが知っている、何億人もの人間の命が奪われた、連鎖的巨大災害のことを、畏怖を込めて、そう呼ぶ。
一人の青年はこの被災者の一人だった。
仲間を、育ての親を、友をすべて失った。
彼は政府直轄の暗殺部隊イザナギの最年少部隊長として名を馳せた男だった。紫電というコードネームをもつ暗殺者。
彼に関する情報は少ない。
それはとりもなおさず、彼の標的にされた人間は生還する確率が極端に低いからだ。
任務に忠実で、確実に標的を殺す。
それは政府中枢部にとってみれば、使い勝手の良い駒だった。政敵を排除するのみならず、必要な人間を必要な時に排除することができる。
彼は言われるがまま殺戮を繰り返した。
それしか自分にできることはないと言い聞かせて。
それしか自分の生きる世界はないと思い込んで。
そんな洗脳によって、最強の暗殺者は誕生した。
すべては、ある遠大な計画のために。
その計画に殉じる一つの駒として。
彼には日本政府が管理するマンションの一室が与えられている。セキュリティは政府高官のそれと同じく厳重で、機密が漏れることを防ぐためにと設計されたものだ。
長らく一人で暮らしていた彼の家に一人の来訪者が現れた。
「ここが、あなたのお家なんですか?」
狂った宗教団体を壊滅させてから引き取った小娘は半ば押しかけるように、毎日毎日紫電の家にやってきた。別室を与えたはずだが、と紫電は思う。そして、毎回毎回どうやってセキュリティを破ったのか分からない。
「……貴様、何者だ?」
感情を殺した声で紫電は問う。ただの小娘ではないと直感が告げていた。
「イザナミ」
「名前を聞いているんじゃない。貴様はどこの組織の者か、と聞いている」
「別にどこの組織にも属していないよ」
美しいとしか形容できない銀髪が揺れる。整った顔立ちをしているが、愛想がない。それが紫電が抱いた彼女への印象だった。
「俺は一応国家公務員にあたる。その上、ここに俺がいることは機密情報の一つのはず。それをなぜ貴様が知っている?」
返答次第では始末する気でいる。
死神イザナギの名を冠する組織の者として、老若男女、誰であれ殺しをすることは厭わない。そういう風に教育を受けてきた。
「簡単だよ」
イザナミは手にしたタブレットをいじる。
「割り出したから」
この答えに紫電は絶句するしかなかった。いかに上層部がクズの寄せ集めであろうとも、十代半ばの小娘に破られるほどのセキュリティしか施さなかったはずはない。保身にだけは長けた財務省の連中がこんな小娘に後れを取るはずはないとこれまでの経験が語っている。
「……貴様を試す。この試しを超えられなくば、貴様を殺す」
手加減しながらも殺気を少女に叩きつけた。彼女はそれをそよ風にでも触れているように簡単に受け流す。
「俺の所属コードと俺の組織に関するデータを今から一時間でできる限り調べて入手しろ」
「分かった。合格ラインは?」
「一つでも正確な情報が入手できたら殺さずにおいてやる」
肩にかかった銀髪をリボンで結んだ彼女は持参したタブレットに向かった。真剣な表情で、じっと考えているように見える。
「ギブアップなら早めに言え。……すぐさまここから立ち去れば死は先に延ばしてやろう」
「その必要はないんじゃないかなあ」
タブレットを高速で操作し、出てきた画面を紫電に見せた。
「暗殺組織イザナギの部隊長の紫電さん。組織コード、トリプルゼロ」
一切の迷いなく、そして淀みなく続く声。大きな声ではないはずなのに、その綺麗な声は紫電の耳に響いた。
「国籍不明、出身地不明。武装は日本刀型の多機能ブレードに暗器、爆発物など。相手を問わず暗殺を遂行し、組織最強の暗殺者と恐れられる。異名は黒き死神。最近手掛けた事件は凶都大学の松前教授暗殺」
紫電は息を呑んだ。
正確無比どころではない。組織のデータベースにない情報まで彼女は手に入れている。どんな手練手管を使ったのかは分からないが、逆にそこが不気味だ。
「もういい」
「まだまだ情報はあるよ」
「合格だ、と言っている」
こいつを敵に回すのも、野放しにするのも得策ではないと彼は思った。利用するだけ利用して、用なしになれば始末すれば良い。この少女は紫電の情報を知ってしまった、唯一の民間人だ。
「貴様の腕、一応は信用しよう。……で、貴様の望みは何だ?」
「とりあえず、ここに置いてほしい」
少女とはいえ、その身体は成熟しかけている。出るところは出ているし、凹むところは凹んでいる。裏社会に売り飛ばせば、大金を手に入れられる上物だ。
「俺は男だが」
「知ってるよ」
「少しは危機感を持たなければ、この稼業では生き抜けん」
「それも知ってる」
「俺が貴様を裏市場に売り飛ばせば、大金が手に入るほどだ、と言ってもか?」
「あなたはそうしないでしょ?」
疑いのない目で彼女は断言する。
「あなたは私の力が必要。だから、私を手荒に扱ったり、ましてやよそ者のところに売り飛ばしたりするはずがない。違います?」
まるで心の中を読まれているかのようだ、と紫電は思った。
「置いてくれるだけでいいの。家事はするし、アルバイトもする」
「学校へ行け」
「つまんないよ」
「黙れ。貴様の年齢くらいのガキは学校でお勉強をするのがこの国のルールだ。そうしなければこの家には置かん」
「別に、怠惰なわけじゃないよ。高校大学程度の勉強は全部できるからつまらない、って意味」
紫電は黙り込んだ。
なるほど、これほどの頭脳の持ち主なら学校の教師の教えることなど、既知のことばかりで面白くはないだろう。友達づくりにどうだと問うたが、意味をなさなかった。
「何度でもいうけど、私の希望はあなたの家に置いてくれることだけ。それ以外は何も求めない」
「貴様はいつまでここにいるつもりだ?」
「そうだなあ……」
思案顔になった。年相応の表情が浮かぶ。しばらく考えた後、彼女は
「分かんないや」
とはにかんだように笑った。
その笑顔は紫電にとって、とても眩しく思えた。自分がどう頑張っても得ることのできない、闇に染まっていない人間の笑顔だったからだ。
こんばんは、星見です。
既にここからして原版と異なっています。終わる頃にはきっと別作品になっていることでしょう(終わりは決めているのですが、完全に別作品です)。
ようやく秋らしくなってきました。
ではまた次回お会いできることを祈りつつ……