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消えた部落

作者: 堀本廣






 坂道を登るにしたがって、東の空が広がってくる。南北と東の三方を山に囲まれた部落が見える。北の方に円錐形の形をした山がある。それが茅葺屋根を圧倒している。富士山みたいな山だ。第一印象である。西の方に田んぼが青々と広がっている。

 ここに来るのが目的ではない。漫然と山間部の部落を歩くのが好きだ。歩き疲れて感無量の気分に浸る。

 月に一度は町に車を乗り捨てて山歩きをする。仕事から解放されて、何よりの気分転換になる。

 路傍で小休止して坂道を下る。6月上旬というのに真夏の暑さである。一片の雲さえなく、日陰になる木もない。乾ききった白い道だけが、東の方、部落へと続いている。風もなく暑い日差しが容赦なく降り注ぐ。

 体中汗でべたつく。下り坂なのがせめてもの救いだ。

 1キロばかり下ると、道は小川と合流する。せせらぎの音がさわやかである。喉を潤してタオルを湿らして元気をつけて歩く。

 部落は三方の山に押しつぶされるように、こじんまりとしている。坂を下りきると、そこから田の稲が部落まで伸びている。茅葺屋根の1つ1つがはっきりしてくる。宿があれば一泊する。なければ民家に無理して泊めてもらう。

 部落には鎮守の森や仏閣がある。そんなところを散策する。何よりの気晴らしになる。 

 部落の入り口に来た。田植えは終わった後なのだろう、森閑として人気がない。道路を挟んで家が立ち並んでいる。茅葺屋根の中に瓦葺きが混ざっている。新しい家はない。築4~50年、あるいはそれ以上の家ばかりである。

 人影がない。犬や猫すら見かけない。家の軒下を一軒一軒見て回る。家は古くても手入れが行き届いている。ほとんどの家が窓を開け放してある。どこの家でもいいから一休みしたいが、勝手に入り込むこともできない。誰もいないのだろうか、不安が先に立つ。とにかく家並みの中を歩く。

 道はくの字型に曲がっている。しばらく歩くと、コーラの看板が目に付く。塩と書いた看板が軒下にぶら下がっている。安堵して足が速くなる。土間2坪ほどに日用雑貨が乱雑に置いてある。板の間に清涼飲料水や菓子類が無造作に並べてある。農家の副業のようだ。腕時計は昼の1時を指している。腹も減っている。喉も乾いている。開け放しの土間のくぐり戸から中に入る。薄暗くてひんやりとしている。救われた気分になる。声をかけるが返事がない。土間の奥に入る。大きな声を出す。しんとして反応がない。もう1度声をかける。

 しばらくして「はーい」間の抜けた声が返ってくる。

「すみません、旅の者ですが・・・」叫ぶと,奥で人の気配がする。と思う間もなく、50くらいの女性が幽霊のようにぬっと顔を出す。

 無遠慮に大きなあくびをして「すみませんなあ、寝てたもんで・・・」言いつつ酔っ払いのように歩いてくる。

 「なんでしょう」物憂げに言う。

 休憩したい旨を伝える。

「ま、こっちにおはんなさい」大儀そうに言うと、女性は奥の板の間にべったりと腰を下ろして手招きする。よほど熟睡していたのか、目の焦点がさだまらないまま女性はこちらに顔を向ける。

 紺のもんぺ姿、髪の毛を後ろにかきあげただけの野良着姿は今どき珍しい恰好だと思った。

 目鼻立ちが整い色白の肌は若いころはさぞ美人だったろうと想像する。

「すみませんねえ、徹夜だったもんでねえ」女性は手で顔をごしごしこする。

「何か飲みます」と催促する。

 冷たい水を所望すると、すぐにも冷たい井戸水を汲んでくる。

「ビールがありますよ」誘い水にすぐさま注文する。

 しばらくの間女性は奥へ引っ込むと、2種類ばかりの漬物とビールを持ってきた。すきっ腹に冷えたビールが滲み渡る。2杯3杯と飲み干す。女性はもう1度奥へ引っ込む。しばらくして握り飯を持ってくる。

「召し上がってください。」言いながら「わたしちょっと出かけるもんで、ゆっくりしててください」言いながら外へ出ていく。

 留守を預かる形になって、人気のない店の中を改めて見渡す。奥の部屋に囲炉裏がある。天井は煤で真っ黒。板の間も黒光りしている。裸電球が天井からぶら下がっている。

「今日はここで宿を頼もうか」腹を決めると、握り飯をほおばる。ビールを飲む。

 急に酔いが回る。腹ごしらえも済んで気持ちが落ち着くと、朝からの歩き疲れもあって。横になる。心地よい睡魔に襲われる。

 どれほど寝たであろうか、夢うつつに人のうめき声を聞く。しばらくはぼんやりしていたが意識がはっきりしてきた。腕時計を見る。4時を過ぎている。女性はまだ帰ってこない。またうめき声がする。誰かを呼んでいるようだ。苦しそうだ。

 起き上がって声の主を探す。この家の奥の部屋のようだ。病人がいるのか、女性が速く帰ってくることを願うばかりだ。うめき声は大きくなるばかり。しばらく待ったが女性は帰ってこない。いたたまれない気持ちになる。

 奥の部屋の板戸がよく見える。家の中な薄暗いが目が慣れている。板戸を開けてみようか、逡巡する。と、板戸がガタガタ鳴る。はっとするる。目を凝らしてみると、板戸がきしり、少しずつ開いている。その間から人の手が現れる。

「もし!」思わず声が出る。手は板戸を探るように上に這い上がっていく。板戸を開けようとしている。

 板戸が20センチばかり開くと、人の姿が現れる。白髪を振りみだして、寝間着の帯もほどけそうで、やせた老人が部屋から出ようとしている。物の怪に取りつかれたみたいで、家の中を見回している。

 老人は1人では立てないのか、板戸にもたれ掛かり「うっ」と絞るように叫ぶ。

 私は目をずらすことも出来ずに、老人の仕草を注意深く見ていた。

老人は絞り出すような低い声を上げながら部屋を出ようとしている。腕と足は痛々しいほど肉が削げ落ちている。骸骨のようだ。

 「すみこお」老人は2度3度叫ぶ。泣いているようなもの悲しい声だ。囲炉裏端の方へ歩こうとする。体を支えるものがないので這いつくばる。

 突然、土間のくぐり戸が乱暴に開けられる。「ごめん、ごめん、お客さん、すんませんなあ」汗をふきふき女性が駆け込んでくる。

 私はハッとして女性の動作を見守る。老人を肩に抱えながら奥の部屋に消える。

「悪かったなあ、葬式の手伝いが長引いてしまってなあ」

 しばらくして女性が出てくる。

「お客さん悪かったなあ。何か飯でも作ろうかなあ」

 女性は私の前にべったりと腰を下ろす。

 私は一晩の宿を所望する。

 女性はええがなと安請け合いをする。


 6時。

「飯はもうすぐだでね」その声に私は外を歩くのは明日にしようと考える。残りのビールを飲む。

「飯、できたでね。こっちへきて」囲炉裏のある部屋に行く。

「わし、あの人に飯食わせるから、お客さん1人で食ってね」言いながら奥の部屋に消える。味噌汁と山菜の山盛りの食事はおいしかった。

 食後、お茶を飲みながらこの部落について尋ねる。

 部落民は百にも満たない人数なので田植えや稲かり、葬式などは部落総出で行う。平家の落ち武者伝説があるが真偽のほどは定かではない。

 昨日も年寄りが死んだので、神社で部落総出で葬式を行っている。

 話は奥の部屋の老人に及ぶ。

「おじですよ」女性はぽつりと言う。それ以上触られたくないようない方なので、話をこの家の家族に触れる。

 両親はすでにいない。今は叔父と自分だけ。子供ができないからあきらめている。

 女性が話をしていると「すみこお」奥の部屋から老人の声がする。

「あんたあ、今行くからねえ」女性が立ち上がる。

「ちょっとごめんなさいね」言いながら奥の部屋に消える。

 しばらく静かになるが、突然「わしも行くといったでしょう。あんた1人だけ行って後に残った私はどうなるの」女性の泣き出しそうな声がする。

 私は聞き耳を立てる。

「いやですよそんな、わしも死にますよ」穏やかでない話が続く。

「行くときは一緒ですよ。来世は本当の夫婦になりたいんだから・・・」

 不思議な会話に興味がわく。話はそれきり途絶える。

 しばらくして奥の部屋から女性が出てくる。目に涙を浮かべている。涙をぬぐおうともせず「声が大きかったもんで、今の話聞かれてしまったねえ」乾いた声で言う。

「そういう話に興味があるんです。差し支えなければ聞かせてください」話を促す。

「でも笑わないでくださいよ。村の者にも話したことがないんだから」

女性は淡々と話しだす。

 おじと私が前世で夫婦でまた生まれ変わる時に夫婦になるなんて、話せば馬鹿にされるもんでね、まともに聞いてくれる人はいないんでねえ、女性は自嘲気味に言う。


 しばらくの沈黙の後、女性は以下のように語る。

 小さいころ、私はおじが好きになれませんでした。おじは私の顔を穴が開くほど見るんですよね。何を考えているのかわからんところもありましたねえ。嫌なおじだと思っていましたねえ。年頃になって東京に行きました。その時はもうこれでおじの顔を見なくて済むと、ほっとしたものです。

 

 女性はぽつりぽつりと話しているが、今まで抑えに抑えていたものが、ふつふつと湧き出すかのように、声に熱が帯びてくる。目に光が宿る。それでも女性は努めて平静を装うように、ぽつりぽつりと、世にも不思議な物語を語る。


 小さいころから,おじは私の顔を穴のあくほど眺めては「澄子」まるで恋人のように言うんですよ。

 私、気持ち悪くて、幼いながらも、いやなおじさんという印象が強かったんですね。

 私が8歳、おじが30の時、物心のついた私の耳に、おじの悪い噂がきこえてきました。飲む,打つ、買うの三拍子そろった嫌われ者だったんですね。

 私の親もこんなおじを身内にもって、肩身の狭い思いをしていました。

ただ、おじは私だけには優しかったんです。欲しいものは何でもくれました。

 毎日遊んでばかりいて、お金がどこから出てくるのか不思議に思っていたのですが、本人は澄まして博打で儲けたというのみで、それ以上追及はしませんでした。でも好きになれなかったことに変わりはありませんでした。

 おじが家に来ると、私は奥の部屋に隠れたもんですね。

 私らの頃はまだ尋常小学校でしてね、学校を出ると就職のために東京に出されました。憧れの東京、小さい胸をわくわくさせました。

 でも、現実は厳しくて、住み込みの店員で、朝から晩まで漕ぎ使われました18歳で結婚したのですが、子供もできず、ぐうたら亭主に愛想をつかして3年で別れました。それ以来結婚は考えず、とにかくお金を貯めようと、女給をしたり、いかがわしい商売にも手を出しました。

 東京の生活に疲れ果てて、25歳の時に故郷に帰ってきました。すぐにも村の若い衆と一緒になりましたが、30の時に相手が死んで、自分の男運の悪さに、ほとほと嫌気がさしました。

 でも生活は苦しいし、親に面倒をかけるのも心苦しいので、今度は大阪に行きました。とにかく必死になって頑張って、40になったときに、何とかまとまった金を作ってここに帰ってきました。親と3人で今のような雑貨店を始めました。それから2年後に父が、そのあと2年たって母が死にました。

 その間、おじはたびたび顔を出して店を手伝ってくれました。私も東京や大阪で苦労して、人間が練れてきたというのでしょうか、そのころにはそれほどおじを毛嫌いしなくなりました。

 おじは頑強な体をしていましてねえ、短気で喧嘩ばやく、、太い眉で睨まれると、蛇に睨まれたカエルみたいに、身も心も委縮してしまうのだと聞いておりました。

 でも私にはいつもニコニコと目を細めて「澄子、澄子」というんです。

私がおじに鼻をくくったような返事をしても、決して怒りませんでした。おじのゴマ塩頭をぺんぺん叩いても、きつい顔はしませんでした。

 仕事らしい仕事もせずに、博打にうつつを抜かして、その方面では恐れられていたと聞いておりました。

 雑貨店をやるようになって、おじは3日に一回は隣町から、雑貨を仕入れてくれるようになりました。こんなこともあっておじを毛嫌いしなくなりました。

 とくに両親が亡くなってからはおじだけが頼りになりました。私が雑貨店をやる前は行商の人が月に1~2度くるだけでした。日用品や塩などは貴重品でしてねえ、私が店を開いてからは、村の人に喜ばれるようになりました。 

 何とか食っていけるだけの収入はありました。おじも村の人から「源さん、源さん」と慕われるようになりました。おじも「おう、おう」とまんざらでもなさそうな顔つきになりました。

 今まで毛嫌いされていたのが、好かれるようになったもんだから少しはまじめになったんでしょうねえ。村の女たちをからかいながら、愛想さえ振りまくようになりました。

 私が村に帰ってきたときは、おじは70近くになっていました。頭が白くなっているだけでそのたくましさや風貌は昔のままでした。

ーーお客さん、隣町からここまでどれくらいかかったかな。えっ2時間!ーー

 おじは10貫目の荷物を背負いながら1時間ちょっとですわ。70歳になってもそんなだから、村の若い衆もおじの健脚に一目置いていました。

 おじの私を見る目は昔と変わりませんでした。いつも目を細めてにこにこしてね、情のこもった声でね、私の顔を見るのが生きがいだそうでした。

 おじが雑貨を背負ってくる日はいつも朝9時に村に着きます。村の人はおじが来るのを待ちかねたように、荷物に群がります。ですから日用雑貨のほとんどはその場で売り切れてしまいます。

 両親が亡くなって1年くらいたった時からおじは毎日のように雑貨を運んでくるようになりました。朝4時ごろにふらりと店にやってきて、朝食を摂って出かけます。9時ごろに荷物を背負って来るのです。1時間ばかり仮眠して11時ごろどこかへ出かけます。夕方5時ごろふらりと帰ってきては、好きな酒を飲みながら、夕食を食べて風呂にはいって、外に出ていきます。。

 こんな毎日が3年ばかり続いたある日、私はたまりかねて,

「源さん、うちで泊ってたら」声を掛けました。

「いや、わしはどこにでも寝るところがあるから」言うだけ言ってさっさと行ってしまうんですね。

 そのうち、私はおじと一緒に暮らしたいと思うようになりました。人間、年を取ると人恋しくなるんですね。

「源さん、お願いだから泊って行っておくれよなあ」懇願しました。

 私の願いなら大抵絵のことは聞き入れてくれます。涙を流さんばかりに頼みました。

「泊ってええが、澄子、迷惑じゃないか?」

「そんなことはない。今の私には源さんしか頼る人がいないの」

その日初めておじは私の顔をまじまじと見ては、

「わしを好きになってくれたんたんか、おおきに」涙を流して、顔をくしゃくしゃにしましてなあ。

 私も情にほだされておじに抱きつきました。

「源さん、一緒に暮らそう」泣き出してしまいました。

 それから、私はおじと心を開く仲になりました。生まれて初めて、本当に人を愛したという気持ちになりました。心の扉を開け放して、生まれ変わったような気分を味わいました。

 おじは言いました。

「わしはのう、小さいころから、澄子のお父うやお母あ、周りの人に迷惑をかけてきた」ぽつりぽつりと語るのです。

 ーー若いころは極道ぶりが自慢だった。体力と腕っぷしだけは人並みはづれておったので、力で人を押さえつけることしか考えんかった。いつも気が荒れていてなあ、人もわしを恐れて近づかんかった。

 そんなわしも澄子のそばにいると、気持ちが和らいでのう、澄子を抱きしめてやりたいほどいとほしくなるのだよ。

 澄子がわしを嫌っていることぐらいは知っておった。澄子に好かれる男じゃないくらい、わしゃあ百も承知していた。

 澄子が東京に行ったときなんぞ、わしは大切な宝物が自分の手のうちから消えてしまったみたいに、寂しく思った。でもなあ、いつかここに帰ってくるとわしゃ、信じておった。

 実際、お前が返ってきた日にゃ嬉しかった。

女盛りで、村の若い衆にちやほやされるほど色っぽくなって帰ってきたお前を見てなあ、眼のふちに陰りがあるのを見つけたときは、澄子は苦労してきたんだと、心が痛んっだものだ。

 澄子が大阪に行った時も、必ず帰ってくると信じていた。ここで小さな店をやると聞いたときは、わしは喜んで町から雑貨を運ぶのを手伝だった。

 この年になるまで、わしは正業に就いたことがなかった。金がなくなれば博打で稼いだ。男一匹が暮らしていくのに、たいして金は要らん。

 賭博場の用心棒になりゃ遊んで暮らしていけるから、わしの生活は荒んでいたが、澄子の事だけは頭から離れんかった。今頃どうしているんだろうか。男に騙されているんじゃないか。会いたい。いつもそんなことばかり思っていた。

 澄子が村に帰ってきて、腰を落ち着けると判ったときは、わしは天に昇るような気持ちじゃった。澄子がどんなふうになってもええ、澄子のために働こう、そう決心したんじゃ。だから隣町からの買い出しは喜んでやったもんだ。

 わしは澄子のそばに居るだけで、心が和んだ。なぜだかはわからん。

 ところが1年前にその理由が分かった。それを澄子に判ってほしいと思うておったが、お前の心が解けぬ限り、話してはならぬと心に決めた。

 澄子、しばらく待っておくれやな。わしだってお前と一緒にここで暮らせたら、どんなに幸せか、うれしくて胸がいっぱいになるんじゃ。


 おじはそういうと、くぐり戸を開けて暗い夜の中を消えていったのですよ。

 朝9時には大きな荷物を担いで帰ってきます。それを待ちかねたように村の人がやってきます。

 こんな日が続いたある日のこと、おじは私の顔をじっと見て、

「澄子、わしを信頼してくれるか」改まった声で言うんですよ。

 私は子供のようにうんうんと頷きました。

「今から、わしがいつも帰るところについて来てくれるか」唐突に言うんですよ。

 私はおじが毎晩隣町まで帰るのだろうと思っておりました。だって、ここにはおじの住むところはないし、それに豪胆なおじの事だから、どんな夜道もへいちゃらで行く人だと思うておりました。

 俺の帰るところまでついてくるかといわれたときは、さすがにためらいましたねえ。

「今から隣町まで行くのは・・・」

 私の言うことを聞いて、おじはカラカラ笑うのですよ。

「澄子はわしがこんな夜更けに隣町まで歩いていくと思うていたか。まあ、そう思われても無理はないがのう・・・」

 おじはししみじみと言います。

「確かに1年前までは、わしは夜道を駆けて隣町まで帰っておった。しかしのう、ちょっとしたきっかけで、鎮守の森の神殿へ出かけるようになった。」

 おじは厳しい顔になると。

「詳しいことは歩きながら話すから、わしと一緒にきてくれ!」

 私はぽかんと話を聞いとったのですよ。それじゃあおじは、拝殿で寝泊まりして、朝早く出かけていたのか。それでも私はためらっていたのです。

 おじは私の様子を見て、笑いながら言うのです。

「ついてくるのが怖いか」

「源さん、今日はここに居て、明日の朝にしたら」私は情けなさそうな顔をします。

「わしが鎮守の森で寝泊まりして、朝早く隣町へ行くと思っているようじゃが、そうではない」おじは言葉を一区切りして言います。

ーーわしはこの村から一歩も外に出とらん。じゃが朝には隣町から荷物を担いでくる。この意味を澄子にわかってほしくてついて来いと言っとるのじゃーー

 おじの催促にもかかわらず、私はまだためらっておりました。おじの言うことが益々わからんようになったんです。

 おじはあきらめたようにくぐり戸から出ていこうとします。その後ろ姿が心なしか寂しそうでした。もうおじは明日の朝は来ないのかもしれない。ふとそんな不安が心によぎりました。

「源さん、待って、ついていく」私はおじの後に従ったのです。

 夜の空は満天の星が輝いていました。三日月が東の空に登っていました。気持ちのいい風が吹いていました。家の前の道を東の方へしばらく歩くと、北に曲がります。すぐにも鎮守の森に入ります。

 おじはどんどんと歩きます。いくら知り尽くしたところでも、夜中に歩くなんて、薄気味悪くて、おじの腕にすがるようにして歩きました。

 歩きながら、先ほどのおじの言葉を思い出しては、理解しようとするのですが、どうしてもピンとこないんですね。ただ、おじが鎮守の森の、たぶん社務所だと思うんですが、1人でどうやって寝泊まりしているのか興味がありましたので、おじの顔を覗き込んだのですね。

 薄暗い中、おじの顔はとてつもなくいかめしく見えて、声をかけるのをためらいました。

 鎮守の森の細い道を少し歩くと、境内に出ます。その少し奥に石段があります。多分2百段はあるでしょう。それを登ります。広々とした神域が広がっています。左手に社務所があります。正月や暮の特別の行儀の時に利用されます。

結婚式とか葬式のときなんぞにも村人が集まります。でも普段はひっそりとしています。しかもこんな夜更け、1人で寝泊まりするなんて、おじの豪胆さには呆れました。

 石段を登り切ってホッとしていますと、おじは社務所の方には振り向きもせず、鳥居に向かって歩くのです。私は心配になって「源さん!」思わず叫びました。

「黙ってついておいで」

 おじの声に私は仕方なく鳥居の奥の石段を上ったのです。百段はありますかねえ。石段を登り切りほんの十歩ばかり歩くと拝殿があります。そこには部屋らしきものは何もありません。吹き曝しですから、冬なんか寒くて寝ることさえかないません。私達は奥の神殿に向かって柏手を打ちました。

 「源さん、どこへいくのよね」言わずにはおれんかったですよ。

 おじはこっちだと言いながら、拝殿の左手に行くのです。拝殿の周囲は、拝殿を真ん中にして垣根がめぐらしてあります。その垣根の破れから神域の中に入るもんですから、さすがに私は「源さん」闇夜に響くような声を上げたのですよ。

 だって、神域には神主さん以外は入ってはいけないことになっておりました。

「神さんの中に入ると罰が当たるよ」おじは私の忠告を無視して、私の手を引っ張ると、ぐいっと垣根をくぐりました。私はもう雷さんでもおこっちるんじゃないかと、目をつむりましたねえ。

「目を開けて」言われて恐る恐る目を開けます。おじが笑っています。

「どうだ、罰があたったか」

 私は気が抜けてその場にへたり込みました。

 おじは私のそばに座り込むと「ちょっと、休むか」息をつきました。

 空を見上げるときれいな星が一杯輝ていました。

 お客さんもここに来る途中で気づいたと思うんだが、おわん型の大きなお山に目に付いたでしょう。

 神殿の奥にその山があってな、神の山といわれとります。つまり神社の御神体なんですわ。いつごろからそう呼ばれているかは誰も知りませんせん。

 古老の話によると出雲やお伊勢さんよりも古いそうです。そんな神さんが祭られている事以外何もわかりません。

 私は気が落ち着かんかったもんで「もう出よう」と言いました。

 おじは笑って言います。「わしは毎晩あのお山に行くんだよ」

その言葉に「そんな怖い事」怖気を振るっちまいましたよ。

 おじはカラカラ笑うと、急にまじめな顔つきになりました。

「わしは澄子を困らすためにここに連れてきたんじゃないぞ。ここで是非聞いてほしいことがあるんでな」話を聞いて納得できんかったら帰るがいい。というんです。

 おじの顔が威厳に満ちてましてなあ。しばらくは神域に踏み込んだ怖さも忘れました。

 暑くもなく寒くもない、虫の音も心地よかったですね。

おじの腰の据わった太い声を聴いていると、罰があたったらそれまでだわと性根を入れ替えたんですわ。

 私が落ち着いたのをみて、おじは次のような話をしたんですわ。


 お前も知っての通り、わしは道楽者だ。今でも大して変わりがない。

 お前のおやじにはえらい迷惑をかけていた。わしは根っからの遊び好きで女にも目がない。博打は打つ。仕事はせん。こんなこと今更言うまでもあるまい。

 じゃがのう、言い訳みたいになるかもしれんが、女遊びをしても決して長続きせんかった。一応、目的を達してしまうとその女は抱きたいとは思わなんだ。

 お前が7つか8つの時に久しぶりにこの部落に帰って、お前を見た。わしは身震いするような気持ちを抱いたのじゃ。欲情といいうか、恋心といってもいい。子供のお前をぎゅっと抱きしめてやりたい衝動に駆られてのう。

 お前は無邪気にわしの手を取ろうとする。お前の手が触れたとき、触っちゃあならんものに触った時の身震いに襲われた。思わず手を引いてしまった。


 おじは照れ隠しするようにいいましたねえ。

うつむきながら、次に何をどう話そうか、必死になって言葉を探しているようでした。


 わしとしたことが・・・。

そう思いながらお前の手を握ろうとしたんじゃが、できんかった。2度3度とお前にあってからもできんかった。

 物心がつくようになって、お前がわしを毛嫌いするのはわかっていた。お前に嫌われても、何をされても、わしはお前の機嫌を取ろうと必死じゃった。考えてえみりゃ、極道もんに恐れられている大の男が、子供の機嫌を取ろうとしとったんじゃ。おかしなもんだわ。

 やがて年頃になって、お前が部落を出ていくときは、わしは気落ちしたが、わしは相変わらず極道をしておった。

 お前が村に帰ってきて駄菓子屋をやりだしたとき、わしは嬉しかった。兄と兄嫁がなくなって、お前が1人になったとき、わしは隣町まで夜、歩いて行ったもんだわ。でも本心は澄子のそばに居たい。お前のそばに居たい。お前と一緒に暮らせるのなら、わしはどうなってもよいとさえ、思うようになった。

 そんな気持ちが嵩じたある晩のことだった。わしは酒をあおりながら、隣町まで帰る気がせず、明日は荷物を運ばんでもいいという思いもあった。

 この神社までやってきて、ぐでんぐでんに酔うまで飲み干したのじゃ。でもなあお前恋しさに胸が一杯だったから、いくら飲んでもちっとも酔わんかった。イラついておったし、胸の内がくしゃしゃくして、何かをぶち壊してやらんと気が済まんかった。

 拝殿の中で一杯やってたもんで、神殿の大社造りの屋根が黒い化け物のように見えたのさ。気が荒いうえに豪胆なわしは、神殿の中に入りこんでやらんと気が済まんようになってね。ふらつく足で神殿に入ったもんじゃ。

 神殿は神主さんしか入らん場所だ。中がどうなっているのかさっぱりわからんし、真の闇だ。手探りで入った。板の間を手で探りながら歩いた。ここは神主さんが祝詞を上げる場所だと思った。少し行くと,階段がある。けつまずいて倒れた。

 この時だったよ、体中がびりびりする。しびれのようなものを感じたのは。倒れた時の痛さではない。酔ってはいるが、わしの頭の中はさめておった。

 這いつくばって階段の後ろに回ったんじゃよ。そこは神殿の真ん中あたりだろうなあ、なんとなく感で判った。木の囲いがあった。人の背丈ぐらいあったがわしはそれを飛び越えて中に入った。手探りで歩くと、板の間は切れて土間になっていた。一間四方の土間だ。その真ん中に木の箱があった。手でつかむと何かを覆ている蓋だと判った。わしはくそったれと思って、木の箱を摂ってやったのさ。

 真っ暗闇だからしかとは判らぬが石の棒のようなものだ。地面に直接つい立ててあった。つるつるした手ざわりだった。

 これがご神体か、手品の種明かしを見たような気持だったなあ、がっかりはしたがその時だった。手が電気のショックを受けたみたいになってビリビリしてきた。わしはその場に弾き飛ばされたみたいになって尻もちをついてしまった。さすがのわしも青くなった。罰が当たったと思った。観念して両手を合わせたもんさ。

 それ以上何も起こらんので、図々しくなって、またご神体に触れてみたのだよ。ピリピリする手触りが体中に走る。怖いのを、そのままじっとしとるとなあ、何かしら心が静かになってくるのだよ。

 今までのイライラした気持ちが消えいくし、酔いがさめて疲れもなくなっていく。体中が朝起きた時のような、ものすごく充実していくんだ。

 わしは静かにご神体に箱をかぶせて、敬虔な気持ちで合掌したんだ。

 神殿を出ると、裏山のご神体さんへ歩いた、引き付けられるような、そんな気持ちじゃった。神殿の丁度真北、山裾辺りは今まで人が入り込んだ跡がないせいか、深い雑木林に覆われておった。月の薄明かりを頼りに山裾を登った。10間ほど登ると、大きな岩がゴロゴロしとる。

 わしは一体何のために登ろうとしとるのか考えたりしたが、どういったらよいのか、登ってみたいという焦りみたいな気持ちが強くて、それに引きずられて登っているって感じだったなあ。

 前方数歩のところに大きな岩がある。お前も知っての通り鏡岩だ。鏡のようにてかてかしておって、お日様が当たると鏡のように反射したと言い伝えられていた。

 今は見る影もなく、大きな丸い岩を半分に割ったような形をしているだけだ。わしはその岩に手を触れてみた。ピリピリする感触が、神殿の岩のご神体と同じだった。

 鏡岩の裏に小さなくぼみがあった。そこからすうすうと風が吹き出してくる。わしはその周りの石を取り除いた、ぽっかりと穴が開いて、風がそこから吹き上げてくる。

 ここは神の山だから、もしかしたら、この中にお宝があるんじゃないかと、本来の極道ぶりが顔を出した。蛇が出るか、鬼が出るか、ええいままよと穴の中に飛び込んだのさ。

 人1人が何とか通れるような穴が続いている。自然にできた穴なのか、誰かが作ったのかはわからん。ごつごつした穴の中で頭をぶちながら這っていった。下りになっていた。しばらく行くと、ゴツゴツした岩肌の感じがなくなった。真っ暗だから何が何だか判らんが、岩肌が次第にすべすべしてきた。穴も大きくなって、立って歩けるようになった、

 わしは興奮しておった。これは大昔誰かが掘った穴に違いない。この奥に金銀財宝があるに違いない。

 先が見えんのでゆっくりと歩く。どれだけ歩いたろうか、歩く度に下りが急になってくる。注意して歩かんと滑って転びそうになる。

 やがて階段になる。つんのめりそうになり怪我をするところだった。

体中が燃えるように熱くなってくる。風が下から吹き上げてくる。長い階段だった、一歩一歩用心して降りる。

 やがて階段が切れて、大理石のような、すべすべ床に変わった、わしは手さぐりで歩いた。20歩ほど歩くと壁になっていた。手探りで壁を探ると,四角の大きな広場だと判った。出入口は下ってきた階段以外にはない。

 広場の中をどんなに歩き回ってもなにもない。わしはがっかりした。


 広場の真ん中あたりで、あお向けて大ノ字になった。

ここは一体何なんだと思いあぐねたが、一向に判らん。ただ神の山の真下なのだろうと察しはついた。

 しばらくそうしていると、体の芯から発散するような熱が漲ってくる。全身に精気があふれてくる。若い時代に戻っていくようだ。なんともいえぬ幸福な気分に浸っていたんじゃ。

 目をつむった。真綿に包まれたような静かな気持ちにどっぷりと浸ってなあ。

と、突然目の前が白くなっていく。目をつむっているのだぞ。わしはびっくりしたがそのままじっとしておった。白いものが輝いているのじゃ。それをわしはじっと見ておった。

 お前も覚えてえろうが、子供のころ、見るもの、聞くものすべてが真新しく見えて興味が尽きなかった。目を輝かしてじっくりとみておった。それと同じような思いが、心の中にふつふつと湧き上がってくるんだよ。わしは子供のように目の前の光に見入っていたのじゃよ。

 やがて白い光の中に、今まで見たことのないような景色が映し出された。とてつもなく大きなピラミッドなんだ。

 写真で見たエジプトのピラミッドそのままじゃが、それよりも遥かに大きくて、全体が金色に光っていた。頂上には、これもまた大きな水晶が載っかていた。

 わしは我を忘れて見とれていたのじゃ。これは一体なんじゃ。そう思っているうちに、視点がピラミッドの下の方に移っていく。

 そこには昔のローマの都のような大理石で出来た建物が幾層にも並んで立っている。わしが目を凝らしていると、ちょうど写真を拡大するように建物と建物の間の道路や、そこを歩く人間を映し出した。人々の着ているものは、これも映画にでも出てくるような昔のローマの人が着ていた、袖の長いスカートで、それも真っ白に光っておるのじゃ。わしは天女の羽衣を連想してなあ、これは神様の国かいなあとびっくりして、見とれておったのじゃよ。


 おじはここまで話をして、まじまじと私の顔を見とれていました。

「澄子、わしはとんでもない世界に入り込んでしまってなあ、それからわしが見たものはなあ、一言でいうと、あの世界でわしとお前は夫婦だったということじゃ」


 おじはまじめな顔で言うのです。私の顔色をうかがいながら、のっけからとんでもないことをいうもんですから、わたしは目をパチパチさせておりました。私が黙っていたもんで、おじは話の続きを始めました。


 後々、わしは自分を納得させたことは、今見ているこの景色の世界は夢でも幻でもないということだった。その証拠を見せろと言ってもそれは無理だ。わしの勘だ。とだけ言っておこう。だからこそ、わしはお前を信じ、お前もわしを信じてくれると思うからこそ話すんじゃよ。

 そこでわしが見たものは、2人の男女の暮らしぶりだ。仲睦まじく平和に暮らしておったが、子供がなくて寂しい限りだった。わしはこの夫婦を知っておった。どういったら良いかなあ、それを見ているわしにはなあ不思議なことだがなあ、彼らの小さいころからよく知っておった。

 丁度、自分の小さいころのことは自分が一番よく分かっているみたいにな。

 その夫はわし自身じゃった。そしてなあ、その妻は澄子だったのよ。

 1つのたとえでいうとなあ、映画館に入るわなあ、上映中の映画を途中から見ると、その前の筋書きは何もわからん。だけど1度見た映画なら途中から見ても今どの辺をやっているかよくわかる。

 つまりな、これはわしとお前の前世なんだよな。1度は経験しておるから途中からの場面を見せられても、自分が生まれてから死ぬまでの経験はわかっているから、これは誰なんだとすぐわかる。とはいってもその夫と妻は全くの別人だよ。丁度な、役者がな舞台の上で乞食をやったり王様をやったり、美人をやったり,ブスをやったり、色男をやったりしても、中身は元の役者本人という意味だよ。

 これ以上の説明は出来ん。あとはただわしを信じて神の山までついてきてほしいということだ。

 不思議なのはそれだけではなかった。若い夫婦は中年となり老人となる。そして死ぬ。それまでの人生がわしの目の前で続いておった。4~50年も続いておったかなあ、映画と違うところは、その景色の1日はわしらの世界の1日と同じ長さだったということじゃ。だからわしはその景色を4~50年の間、観ておったということだ。

 しかし、神の山を出たときは1時間くらいしか過ぎていなかった。

 わしが死にお前が死ぬと、目の前の景色は元の白い光に変わった。それからだんだんと暗くなっていた。わしは手探りで神の山を出たのじゃ。相変わらず月が出ていて星が瞬いていた。

 わしは神殿の奥で膝を抱いて寝たのじゃよ。

 目を覚ましたのは、朝の冷たい露で、くしゃみをしてのう。それで起き上がったのじゃ。辺りを見回してもうびっくり仰天してしもうた。なんと草むらに寝とったんじゃ。朝の日が開けやらぬ薄暗い中、わしは身震いして立ち上がったのじゃ。そこは隣町の高台にある神社の裏山だった。

 わしはしばらくの間呆然としておった。何が何だかさっぱりわからん。あまりにも不思議な経験だ。人に話すと馬鹿にされるか相手にされないと思って黙っておった。

 わしはその足で品物を仕入れると村に帰ってきた。

 それから毎晩わしは鏡岩の洞窟に入ることにしたのだ。目を閉じて無念無想の境地に浸ることができるようになってなあ、眉と眉との間に、映画のスクリーンのような場面を観るようになった。声も聞こえる。

 ある時は大昔のヨーロッパの荒々しい場面や田舎の牧歌的な光景が現れたり、ある時は中国のアヘン戦争の真っただ中だったり、場面は一貫していなかった。でもなあ、わしとお前との関係は、ある時は夫婦、ある時は兄弟、ある時は親子としてつながっていたのじゃよ。  

 毎晩見る風景は、見るたびに時代が新しくなっていくようで,だんだんと現在に近づいていたのじゃ。長い長い時間の間わしらは転生を繰り返して,今に至ったという事じゃ。


 おじは神の山に目を向けて、言葉を切りました。私は不思議なものでも見るように、おじの顔を見ておりました。話が唐突すぎて、腹の内に収めることができませなんだ。おじの気が狂うたと思うたほどでした。でも、話し方が真剣でしてねえ、私は魅入られるように聞いておりましたよ。


 月が空の上に登っておりました。周りがひときわ明るくなりました。大社造りの神殿が、大きく背伸びしているように見えました。

 しばらくおじが黙ったままでいました。私は神殿を眺めておりました。

その時神殿は何のためにあるのかと、ふと思ったのです。

 1日の平安無事を祈る。家内安全、恋人や親子、夫の無事を祈る。今年もええ年になりますようにと手を合わせる。ただこれだけだと、こんな仰々しいい建物は要らんでしょうが、それに祈ったからと言って絶対に叶えられるとは限らんでしょうが・・・。

 私はいろんなことを考えたんですわね。そりぁ神社や仏閣があるおかげで部落の絆は強くなりますわな。でもなあそれが目的ではないと思うておりました。

 おじの言う通り、神社は私らの予想をはるかに超えた大きな目的のために作られたんじゃないだろうか、などと考えたりしました。

 おじが思い出したように、ぽつりと話をしだしたもんで、私はその分厚い唇を見つめました。


 わしが最後に見た光景はなあ、わしらの転生の中で、最も陰惨なものじゃった。でもそれは、わしらが幸せになるための生みの苦しみの時代だったのかもしれん。

 戦国時代だった。織田信長が天下統一を成し遂げる中で、最も信長を悩ましたものの1つに一向宗があった。長島の一向宗なんぞは有名じゃが、越前の一向宗も盛んじゃった。

 その一向宗の中にわしとお前がいた。わしら2人は名もない百姓衆だったのさ。わしは一向宗には何の関心も示さなかった。周りの豪族の侵略から身を守るために、一向宗で部落の結束を固めねばならなかった。嫌でも念仏を唱えねばならんかったのじゃよ。

 わしと違ってお前は骨の髄まで熱心な門徒宗じゃった。だからわしも嫌でも念仏を唱えねばならんかった。

 わしらは夫婦だったが子がなかった。その寂しさを紛らわすのにお前は念仏三昧の生活に入っていった。

 わしはそんなお前に飽き足らず,ほかに女を作ったり、博打に手を出したりで、畑仕事もせず放浪の生活を送っていた。生活はそりゃひどいもんじゃった。

 おじは見てきたような言い方で、身振り手振りを交えて、話をしておった。


 食べるもんがなあ、粟や稗ぐらいしかなくて、川で魚を捕ったり、山で獣を捕まえたりして、何とか食つなぐのが精いっぱいじゃった。

 わしが部落から消えたもんでなあ、お前のおやじはお前を信者仲間の者と一緒にさせたが、その生活も長続きせんかった。

 そのうち、長島の一向宗が、女子供に至るまで惨殺され、次は越前が潰されるとの風潮が広まった。動揺する者、結束を固める者とに分かれるようになった。

 そんなある日、わしは百姓衆がたむろする飯場小屋で濁り酒をあおっておった。仲間と下世話話をしているとな、見知らぬ男が入ってきた。誰が入ってこようが気にする者なんぞいない。その百姓風の男は、辺りをじろじろと見まわしておった。うんくさそうにわしがその男を見ると、男はわしのそばに腰を下ろした。

 男はへつらうようにわしに酒をねだるもんだから、わしはじろじろ眺めながら酒を注いでやった。

 男は酒を一気にあおると、薄汚い顔に作り笑いを浮かべて

「お前あさん、一向かい?」囁くように言うんだ。

「ああ、だがわしは門徒には興味はねえ」

「ほう、そうかい」男はニタニタ笑うと

「銭はどうだい?」

「銭?」

「一向についてお前さんが知っている事、喋ってくれたら、銭やるがよ」

「お前さん、何者だい」

「いや、別にな、甲斐が信長にやられてしまってよう、わしはとるもとりあえず、ここまで逃げてきたってわけだ。わしも一向に入りたいもんでなあ、詳しい事知りてえんだよ」

 男は大事そうに懐から銭を取り出すと、わしに差し出した。

わしは喉から手が出る程銭が欲しかったもんで、男が訪ねるまま、一向宗の指導者や村の主だった者など知っている事全部を話したのさ。

 のちのち、わしはその男が織田の間者だと知った。信長は越前に攻め入る前に、多くの間者を潜り込ませて情報をかき集めておった。

 一向宗門徒を1人残らず殺す策を練っておったのじゃよ。だから織田軍が侵攻した時には一向宗は袋のネズミだった。

 わしは織田軍が進撃する前に、お前を助けようとした。しかしお前の信仰は頑なだった。たとえ殺されようとお浄土に行ければ本望だと言い張った。それのみかお前はわしを軽蔑しておった。

 わしが荒れた生活をしておったので、白い目で見ていたのではない。

阿弥陀への信仰がないからなんじゃ。お前とのいさかいが数日続いた。

 わしはお前が好きじゃったが、お前の頑な信仰心に嫌悪感を覚えて、仕方なく越前を離れた。

 織田軍の一向潰しは徹底しておった。女、子供に至るまで容赦なく殺戮された。村はことごとく焼かれて寺は跡形もなく消し去ったのじゃよ。


 「さて・・・」

「今話したことを信じるかどうかは澄子の自由だが、一緒に洞窟に入ってほしいと思って話したのじゃ」

 おじは言葉をつづけました。

今わしが話したことがたわごとと思おうならそれでも良い。しかしわしの話に嘘がないと確かめてほしんじゃ。

 「それに」おじは真剣な顔で

わしと一緒に来てくれなかったら、今生のわしとお前の因縁はここで切れる。震える声で言うのでした。後は私が返事するまで黙ってしまいましたよ。


 私は複雑な気持ちでしたなあ。今聞いた話はあまりにも突飛すぎて、信じろというほうが無理でした。ついてこなければここで別れると言われて、私は泣きたい気持ちになったんですよ。

 若いころは毛嫌いしていたおじですが、今の私にはなくてはならん人でした。もうおじとは離れまいと心に決めておったんですよ。

 私が子供のように、こくりと頷くと、初めておじはにこっとしました。

「それじゃ、いこうか」


 神殿の裏山ーー神の山はひっそりとしていました。でも人を威圧するように聳えていました。

 神の山、古老の話によりますと、日本のどこの神社よりも古く、大昔は神様が住んでおったとの言い伝えがあります。考えてみれば、戸数わずか百戸足らずのこの村に、お伊勢さんにも負けない神社があるなんて不思議なことなんですよ。

 私たちは神殿に奥から山に入りました。草木がぼうぼうでしたが、おじの先導で鏡岩の下まで歩きました。鏡岩の奥に人1人がどうにか入れるような穴が開いていました。まずおじが入ります。私はここまで来て,もうためらいませんでした。入口は狭いけど奥に進むにつれて広くなっています。ゴツゴツした岩肌もなくなりました。私どもは懐中電灯を持っていました。

 足元の壁もつるつるしていました。懐中電灯の明かりを頼りに歩きました。

つるつるの床も壁も岩でしたが、真っ黒で、まるで那智石で固めてあるようなんですよ。

 奥の方からさわやかな風が吹いてきます。それを頼りにゆっくりと歩きます。洞窟は少しずつ下りになっていました。おじの言う通り30分くらい降ると、突然大きな広間に出ました。

「ここが終点だ」おじの声に、改めて周りを見回しました。大きなホールみたいです。

「あれを見ろ」おじの指さす方向をみると、天井に小さな穴が開いているんですよ。よく見ろと、おじに催促されて、目を凝らすと星が見えます。

 ホールの中は何もありません。ただ広いだけです。真っ黒な岩に覆われているだけです。30分くらい歩きましたから、体はホカホカしていました。

 しばらくして気づいたことなんですが少しも疲れが出ないのですねえ。そればかりか体の芯から、かあーっと燃えてくるようなんです。顔や手がピリピリして、すごく気持ちがいいんです。

「真ん中に座ろう」おじは私の手を握って胡坐をかくんです。手を握られて、私は一瞬堅くなりましたが、言われるままにおじのそばに座りました。

 懐中電灯を消したおじは、私に目を瞑るように言いました。

「さっき、わしが言ったこと、今にわかる」囁くように言います。

 私は目を瞑りました。おじの手の温かさを気にしながら、じっとしておりますと、暗闇だった目の前が少しずつ明るくなってくるんです。同時に体中がビリビリして、電気が体中を駆け巡っているって感じましたねえ。それがだんだんと強くなっていくんですねえ。

 目の前がますますあかるくなっていくんです。もやもやした感じから霧が晴れるように、からっとした気分に変わってきました。

 疲れなど感じません。若い時に還っていくような気持ちでうきうきしてきます。体が軽くなって宙に浮いたようになるんです。そう思ったとき、目の前がサーと明るくなって、鮮やかな光景が広がってきました。

 ピラミッドがあります。金ピカに光っていて、大きな水晶の球がピラミッドの上にあって光っているんです。おじの話が本当だってことがこれで判りました。私はその光景に魅入っていました。

 やがて2人の男女が映し出されて、私には女は私だと判りました。今の私と似ても似つかない顔つきでしたが、はっきりと私だと判りました。

 そうですね、どういったらいいのか、私の小さいころの写真を見ても、私を知っている人なら、すぐに私と判るでしょう。

「どうだ、判ったか」おじの声がします。私は素直に頷きながら、次々と展開される光景を見ておりました。

 今、こうして話をしていても、不思議なんですねえ。


 女性は声を途切らせながら、物思いにふけるように言って。言葉を継ぎ足していきました。


 あの時私は確かに50余年の人生を眺めていた筈なんですね。ところが現実はわずか1時間しか経っていなかったんですね。あの時の私の人生が終わると、目の前も暗くなりました。そして私は深い眠りに入りました。

 気が付いたら、おじの言う通り隣町の神社の裏山に居ました。おじと2人でいたもんで、2人で朝市で、品物を仕入れてここまで歩いてきました。

 夜になって、洞窟に入る日が3か月ばかり続きました。

 おじの言うことはすべて本当でした。私たちは、1万5千年のあいだ、いろいろな国ん生まれては死に、転々と生を繰り返してきました。身分も、貴族やら、百姓、商人、王様と様々で、夫婦であったり、兄弟、姉妹、友人、親子など、こんな職業があるのかと思うような不思議な体験もしました。

 長い転生の中で、私は、何かが不足していることを知りました。それは現在の人生においても同じですが、それが何であるのか見当もつきませんでした。

 おじも同じ思いだったと見えて、私たちは1つ1つの前世を話あったものです。

 最後の前世を見たのは、半年前でした。

 越前の一向宗は私たちの前世の中で最も悲惨なものでした。私が生まれてから死ぬまでの光景が目の前で展開します。胸がつぶれるような思いでした。

 私は熱心な信者でした。一向宗に帰依せん者は地獄に堕ちると本当に信じておりました。毎日毎日念仏三昧でしたねえ。家族のことも顧みず,阿弥陀仏にすがっていれば、極楽往生間違いなし、今の私から見ると、狂っていましたねえ。

 織田の軍勢によって滅ぼされる最後の時、私たち女子供は念仏堂にこもっていました。織田の足軽が乱入してきました。まず子供が、大根でも切るように皆殺しにしていきました。必死になって念仏を唱えておったのですが、足軽の狼藉に取り乱して、逃げ惑ったんです。足軽たちは血走った顔で女たちを手籠めにしていきました。

 私は色白の美人でした。若かったもんで兵たちに何度も侵されました。必死になって念仏を唱えていたんですが、そんなもの何の役にも立ちません。

 兵たちは獣のようにあざ笑うと、私の髪の毛を引きずり回して、あらん限りの屈辱を加えました。

 最後に私たちは念仏堂に押し込められて焼き殺されました。堂内に煙が充満すると逃げ惑う者、扉を開けようと、全身血まみれになりながら体ごとぶつかっていく者、放心してその場にへたり込む者なんかで、最後の最後まで念仏を唱える者はおりませんでした。

 私は,死の間際とめどなく涙を流しましたねえ。

・・・阿弥陀仏様は、本当に私を救ってくれるんだろうか・・・

 生き仏の顕如様を信じておりました。阿弥陀様を信じて、念仏を行ずれば極楽往生が叶うと信じておりました。

 家族であり、夫であったおじとの夫婦生活に満たされない日々が続いておりました。阿弥陀様にすがれば心が満たされると信じておりました。

 現世で救われなければ、せめてあの世で、そう信じて、家族のことも顧みず

念仏三昧の日を過ごしていました。

 今の生活を守るために、仏敵織田信長を倒さねばならないと言い聞かされておりました。それを信じて、百姓衆は、顕如様,いえ、阿弥陀様のために命を捧げました。

 堂内に煙が充満して、意識が薄れていく中で、迷いから覚めたような現実に引き戻された辛苦を味わっておりました。

 もう死ぬ、と悟っていながら、何か気持ちだけが冷ややかになっていくんですね。

・・・本当に救われるのかしら・・・

・・・阿弥陀様は、人じゃない。お日様のような仏様じゃ。貧しい者にも富める者にも、良い者のも悪い者にも分け隔てなく、慈悲の心を注いでくださるのじゃよ・・・

小さいころに聞いた説教がよみがえってくるのでした。

・・・阿弥陀様には救いはあるのだろうか・・・

 私は気を失いかけて、床に倒れました。堂内はすでにごうごうたる火が燃え盛っていました。火に焼かれた肉の臭いが充満し、それでも生き延びようとして逃げ惑う者、表に飛び出そうとして、足軽の長槍に突き刺される者・・・。

 私は死ぬ瞬間まで泣いていました。悲しいだけではありませんでした。

 私の前世の体験はこれで終わりましたが、それでも私とおじとの間には、何かしっくりこない、しこりのようなものがありました。おじは心を開いたつもりでしたが、それでも踏み切れないものがありました。

 言葉ではうまく言えません。私たちはそれを捜そうとしました。

 それがはっきりと判ったのは1か月ぐらいすぎた後でしょうか。

私たちは1日も欠かさずに洞窟のホールに入りました。最後の前世を目の当たりに見てから、私たちは祈るような気持ちで、ホールの中で目を瞑っていました。答えを見つけ出そうと必死でした。でも最後の前世の光景以来目の前には何の景色も映りませんでした。

 そして、あの日、ホールの中でおじは「今日こそは、わしらの求めているものが判る筈じゃ、じゃがその後何が起ころうとも驚くなよ」

 私にはおじの言う意味が呑み込めませんでした。ただ言われるままに目を瞑っていたんですよ。

 すぐにも電気に触れたようにビリビリする感触が体中に走りました。目が覚めるような白い光が広がっていきました。久しぶりに映画のスクリーンのような光景が展開しました。

 波の音が聞こえてきました。長蛇のような長い白浜に、私が男の人と、子供を間に挟んで立っていました。

 白いカーディガンのような衣装を身に着けていました。男の人はおじであることはすぐにわかりました。

 自分で言うのもなんですが、私は天女のように美しく優雅でした。おじはすらりとして、素晴らしい美男子でした。子供は私たちの間にできた子です。

 声がします。目を瞑っている私の横にいるおじの声が天から降り注ぐように聞こえてくるのです。

 「ごらん、わしらの未来じゃ。目をもっと上に・・・」

 いわれるままに目を上げました。白浜の光景が小さくなります。街が眼下に広がっています。

 街・・・何に例えたらよいのでしょうかねえ。木造や鉄筋のビルは1つもありません。黄金に輝くドーム型の屋根が点在しています。その中を人が出たり入ったりしています。自動車のような乗り物はなく、とても静かな光景でした。

街はずれには、私が最初の前世で見た金色のピラミッドが、頂上に巨大な水所の球を載せて,朝日に光輝きながらたっていました。

 私は驚きの声を上げました。おじの声がします。

「未来は1千年後にやってくる。わしはやがて死ぬ。お前も死ぬ。2つの魂は一向宗の時、お前が聞いた極楽浄土へ行く。。そこで1千年の間、傷つき疲れ果てた魂をいやす」おじの声がやみました。

 1千年・・・。私は絶句しました。またなんと長い間極楽浄土に居らなばならないのか・・・。

 私はため息をつきました。

「澄子、お前はすでに味わっているはずだよ。前世での50年間は、目が覚めてみればただの1時間だった。あの世に時間は存在しない」

 しばらくしおじは言います。

 わしらが生まれ変わる未来はアメリカでもロシヤでも中国でもない。今ある国はすべて滅んでいる。日本も、山梨県を境にして、北の方は海の底になる。日本の国もない。わしらが最初の前世で見た国、太平洋のど真ん中にあったムー大陸が再隆起する。その印がすでに表れている。

 わしらは新人類の祖となる。わしらの間に生まれる子供は新人類の大いなる者となる。そして・・・、わしらの魂は1つとなって、金星で生まれ変わる。

 おじの声に私は驚くことばかりでした。でも眼下に広がる神の国のような光景に見とれていますとね、うれしくなって「源さん!」叫んだのですよ。

 やがて目の前の光景も薄れて、白い光になりました。それも消えていきます。目の前が真の闇になりました。私はおじの手をぎゅっと握りました。母の懐に抱かれているような安心感に浸って、深い眠りに入りました。

 目が覚めた時は隣町の神社の裏山におりました。これからまた1日が始まる。そう思っておじを見ました。そして私は驚きの声を上げました。

 白髪の今にも朽ちそうな、骨だらけの老人の姿がありました。自分で立てないのか、涙を流して私の方に手を差し出しているんですよ。

「源さん,なんで!」私は思わずおじを抱きしめました。あのたくましいおじの姿はどこにもありません。私は泣きました。

「澄子、泣かんでもええ、お前がわしを信じてくれたからこそ、わしが望んでこうなったのじゃ」

「でも、どうして」

「わしは越前の時、多くの人を殺める原因を作ってしもうた。今世でも多くの人を困らせてしもうた」

 おじの声は続きます。

 わしは業の深い男じゃ。1千年後に本当の夫婦になるためにはわしは自分の犯した罪を1日も早く償わねばならん。人を苦しめただけわしも苦しまねばならんのじゃ。だから早うあの世に行って、お前が来るのを待つことにしたのじゃ。

 その声を聴いて私は取り乱しました。

「そんなの嫌だよ。死ぬときは一緒だからね」この時ばかりはおじに武者ぶりつきました。この時ほどおじを好きになったことはありません。

「わしと一緒に死ぬと、あの世でつらい思いをするぞ」おじは言います。。

 私はうんうんと子供のように頷きました。

 それ以来おじの面倒を見ながら、こうした暮らしているんですよ。


 女性は長々と話をしていた。しばらく間をおいて、

「私らが死ぬのは今日なんですよ。村に死人の出た翌日の夜が一番いいって、おじが言うんですよ」

 女性はいい訳のように言います。

 死者の弔いに、村人の敬虔な祈りが、神の山に良い影響を与えるんだそうです。神の山の洞窟に入って、私たちはあの世に旅立ちます。今夜、そうねえ

後30分くらいしたらしたら出かけます。

 女性は卓上時計を見ます。真夜中の1時過ぎである。

「そろそろ出発しますよ。お客さん、よかったら一緒にきますか?」

女性はいたずらぽっく笑う。

「是非、連れて行ってください」私は頼む。

 女性は奥の部屋に入る。一人取り残されて,余りにも不思議な話の余韻に浸る。世間にはこういった話が沢山あるに違いない。尋ね歩いて記録しておこうと思った。そして、日本の各地に点在するといわれる、太古のピラミッドの中に入れると思うと、興奮するのだった。

 奥の部屋の襖が開いて、女性が老人を背負って出てきた。まるで大きな赤ん坊を背負っているみたいだ。土間を降りて、杖を突きながら「お客さん、懐中電灯を持ってくれるかい。そうだ、もう2度と戻ってこんから、電気も消しといてくれやな」それだけ言うとすたすたとくぐり戸の外に出ていく。

 私は言われるとおりにして後に続く。

 老人とはいえ、人1人を背負っているのに、女性の足は速い。地面をすべるように歩く。私は女性の後ろから懐中電灯を照らしながらついていく。

 ものの10分も歩くと左手を回る。少し登りになっている。やがて神社の境内地に入る。長い石段の上に鳥居の頭が見える。月明かりに照らされて幻想的に見える。

 石段を登る。女性は一歩一歩石段を確かめるように登っていく。私は女性の体を後ろから押し上げるように登る。老人の体が手のひらに伝わる。

 息切れしないようゆっくりと登る。

石段を登り切って、鳥居をくぐって境内に足を踏み入れた時、ようやく女性の足が止まった。ほっと一息入れる。境内にはかがり火の燃えカスがくすぶっている。つい先ほどまで人がいた証拠である。社務所には誰もいないが、冷たい雰囲気はない。

「昨日,火葬があってね、この境内の右手にある墓地に葬られましたのさ」

村中がこぞって飲み明かして、自分も手伝っていたと女性は話す。

「さっきくぐった鳥居ね、あれ明治の代になってから取り付けられました」

「えっ?」女性の唐突な声に思わず驚きの声を出す。

 女性はくすくす笑いながら「神社ってどこにも鳥居があるでしょう。でもあれって大昔、朝鮮から伝えられた風習だそうですよ」

 本当は鳥居なんてなかったそうです。わたしら、拝殿から神殿を拝むでしょう。それも本当ではないそうですよ。女性はまじめな顔で言う。

 神社はたいていこんもりとした山がある。これが本当の神殿で、その山に登るために、その目印になるように神殿があったそうです。おじがそう言っていました。

 女性は背中のおじを見つめる。


 石段を登り切って境内地を歩く。拝殿の前に出る。その奥に神殿がある。月明かりで薄暗く見える。目を凝らして見つめる。

 神殿はお伊勢さんに勝るとも劣らないほど大きい。こんな片田舎にこんな立派なものがある。驚きを新たにする。

 女性は拝殿の左わきの垣根の破れから中に入る。玉砂利を踏みしめながら拝殿の裏手に回る。

 神の山、5百メートルほどの高さがあろうか、黒々と聳え立つ。一瞬ギゼーの大ピラミッドを思い浮かべる。円錐形の形をしている。

 神殿の裏に回る。雑木林に入る。岩肌がごつごつとして歩きにくい。登るにつれて雑木林が少なくなる。岩や石がゴロゴロしだす。

 「あれが鏡石」女性の指さす方向を見ると、高さ4~5メートルはあろうか、丸い石を真っ二つに割って、磨いたような岩が立っている。

 鏡石まで行くと女性はその裏に回る。人の背丈ほどの岩のくぼみの黒い影を指さす。

「私たち、先に入るから、30分くらいしてから入ってくださいな」

 女性はニコッと笑う。なんともいえぬ優しい顔である。

「ほら、源さん行くよ」老人は女性の背中からちょこんと顔を出している。その顔は涙でクシャクシャである。

「お気をつけて」と私。

「ありがとさんね、もうここでお別れだ。私の話聞いてくれてありがとうね」

 女性は岩のくぼみに入っていった。


 月が出ている。風がない。夜・・・。粛漠とした気分の中、独りでいるのは最高だ。

 世にも不思議な物語・・・。たとえ女性の作り話であってもかまわない。

夢のある物語が好きだ。現実の厳しい生活から一時的でもよい逃避できる喜びに浸れるのがうれしい。

 太古のピラミッド。それが目の前にある。たとえ何が起ころうとも後悔はしない。早く穴に入りたい。腕時計を見る。30分は経った。

 岩の窪みの黒い影に入る。人1人がどうにか入れる程の穴が開いている。聖なる山だから誰にも知られずにきたのだろう。心地よい風が吹き上げてくる。穴に入る。

 懐中電灯を照らしながらゆっくりと歩く。ゴツゴツした岩肌が続いている。それもやがて滑らかになる。下り坂である。灯りで周囲を照らす。どんな石でできているのか不明だが、磨き上げたようにつるつるしている。大理石をはめ込んだようだと思いながら注意深く観察してみる。継ぎ目がない。高度な技術に感嘆する。胸がときめく。

 遥か大昔に現代文明を超えた、優れた文明が栄えていた。それに今、手に触れようとしている。

 はじめ丸い穴だった穴は四角に変わっている。つるつるした岩肌の感触を確かめながらゆっくりと歩く。長い長い穴である。やがて石段となり突然大きな空洞に出た。これが女性が言っていたホールであろう。高さ10メートル。幅も10メートルほどあろうか、神の山の地下にこんな大ホールがあろうとは誰も想像しまい。女の人も老人もいない。2人はあの世に去っていったのだ。

 女性の言葉を思い出す。

・・・ホールに入ったら、明かりを消して真ん中に座って瞑想すること・・・

 いわれた通りにする。

しばらくすると、体中がビリビリしてくる。突き刺すような感覚である。体の芯から熱が吹き出してくる。汗が噴き出す。尾骶骨が熱を帯びてくる。それが背中を伝わって腹から胸、胸から頭のてっぺん、百会へと登っていく。体中が焼けるように熱い。

 暗い目の先に、朝日のような、白い光が跳ね返ってくる。光のシャワーだ。目がくらむ。太陽の何百倍も明るい光が襲い掛かってくる。体が軽くなる。

「ああ・・・」思わず感動の声を上げる。真っ白な光の中に自分がいた。

 安らかな気持ちが胸いっぱいに広がる。何という至福感。涙が出る程の感動が体中に漲ってくる。

 光のシャワーはますます激しく振りそそぐ。5感が麻痺してくる。体がない!そんな感じである。意識だけがはっきりしてくる。心に思うことが目の前に鮮やかに浮かび上がってくる。意識が拡大していく。

・・・すばらしい!・・・尽きぬ感動に胸が震える。

 神だ。私は神になるのだ!。熱に浮かされたようにつぶやく。心に想像することが何でも現実のものになるのだ。そんな自信が突き上げてくる。

 私は歓喜のただなかにあった。

やがて光のシャワーは弱くなり消えていく。目の前も暗くなる。気の遠くなるような睡魔に襲われる。


 気が付くと、朝もやの中、朝出発した隣町の神社の裏山に横たわっていた。しばらく呆然として起き上がることすらできなかった。

 あの至福感はこれからも何度でもあじわえる。そう思いながら起き上がる。

 あの2人は死んだ。だから神の山の秘密は自分だけのものだ。

 1日休息をとってから部落へと歩く。2時間ばかり歩いてあの坂道まで来た。ここから部落が一望できる・・・。

 私は呆然とした。三方の山々に囲まれた部落がなかった。神社の裏山の神の山もなかった。 私は慌てて駆けだした。部落のあったところまできた。

 小高い丘になっていた。神社と思しき場所は雑木林になっている。

・・・部落が消えた・・・私はその場に立ちすくすだけだった。


                       ・・・完・・・


 お願いーーこの小説はフィクションです。ここに登場する個人、団体、組織

     等は現実の個人、団体、組織等とは一切関係ありません。

     なおここに登場する地名は現実の地名ですが、その情景は作者の創

     造であり、現実の地名の情景ではありません

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