4-2
食事を終えると、エメを連れてラースとニコライは中庭に出た。体力作りの入り口として、中庭で遊ぶことは一番手軽だ。エメも中庭を気に入ったように見える。
中庭の奥からサバが出て来て、尻尾を振りながらエメに駆け寄って来る。サバは賢いので、突進するようなことはない。エメが両手を広げると、徐々に速度を落としてその腕の中に収まりエメに擦り寄る。もしエメが声を発することができれば、楽しげな笑い声を聞けたかもしれない。
「……先輩……俺、動悸がするっス……」
「あ?」
「まさに可愛いと可愛いの掛け合わせ……幸せを形にしたようなもんじゃないっスか。熟練の騎士でも心臓発作を起こすほどの尊さっスよ……」
「なに言ってんだ、お前」
「はあ……立っているのがやっとっスよ……」
確かに、子どもと毛玉のような犬の組み合わせは可愛いかもしれない。だが、ニコライの言っていることはラースにはよくわからなかった。
「サバー。おーい、サバー?」
不意に奥からサバを呼ぶ声が聞こえた。エメが顔を上げると、短い金髪の少年が中庭に入って来る。サバが少年に駆け寄って行くので、エメが隠れるようにラースにしがみついた。まだ“人見知り”してしまうらしい。
「なんだお前。あ、ラースにニコライじゃねえか」
「アラン様、おはようございまーす」
ニコライがへらと笑い手を振る。
その少年――アランは、ディミトリ公爵家の次男だ。わがままこそ言わないもの、気が強い性格をしている。
「なんだ、そいつ」
アランが訝しげにエメを見遣った。エメは気の強さを感じ取っているのか、少し怯えているように見える。
「弟です」ラースは言った。「名をエメといいます」
「ふうん」
嘘だと気付いているのかいないのか、アランは眉間にしわを寄せるだけだった。それ以上は追及しないらしい。
「おや。ラースにニコライじゃないか」
廊下から聞こえた声に振り向くと、金髪の初老の男性がふたりに微笑みかけている。ふたりは辞儀をした。
「おはようございます、ディミトリ公爵」
声を合わせ辞儀をするふたりに、ありがとう、とディミトリ公爵は穏やかに微笑む。それから、ラースに隠れているエメに気付いて不思議そうに首を傾げた。
「その子どもは?」
「弟です。名をエメといいます」
「そうか、そうか」
ディミトリ公爵はふたりに歩み寄ると、エメと視線を合わせるように腰を屈めた。
「初めまして、エメ。アランと同い年くらいかな? よかったら仲良くしてやってくれないかな。アランは気ばかり強くて友達があまりおらんのだよ」
「父様! 余計なこと言うなよ!」
「ここで会ったのも、何かの縁だ。仲良くしなさい」
諭すように言うディミトリ公爵に、アランは不満げに唇を尖らせた。ディミトリ公爵の屋敷は王宮から程近い。この先、何かと会う機会があるかもしれない。
立ち上がり、ではな、と微笑んでディミトリ公爵は去って行く。ふん、とアランは鼻を鳴らした。
「弱っちそうなやつだな。ま、仲良くしてやってもいいぜ」
胸を張って言うアランの頭に拳骨が落ちた。いつの間にいたのか、彼の背後に兄のリカルドの姿があった。
「なぜ素直に言えないんだ。その子も怖がっているだろう」
リカルドはアランとは対照的に、ディミトリ公爵に似て穏やかな性格をしている。頭脳明晰で、いずれ公爵家の家業を継ぐことになるという自覚を持って暮らしている。
「すまないね」リカルドは腰を屈める。「こんなやつだが、悪いやつではないんだ。仲良くしてくれると嬉しいよ」
視線を泳がせたエメが小さく頷くと、リカルドはどこか満足げに頷いた。立ち上がり、ラースとニコライに言う。
「アランのことを任せてもいいかな」
「はい」
頼むよ、と微笑んでリカルドは宮廷内に入って行く。取り残されたアランは、不満げな表情をしている。
ラースはエメの背中を押した。あまり年の近い者と接してこなかったらしく、心許なさそうにしている。
「お前、いくつだ?」
「十二歳です」
アランの問いかけに、エメの代わりにラースが答える。
「俺より小さいな。俺は十歳だ」
「アラン様がでかいだけです」
「おい! ラース! 俺はそいつに話し掛けてんだぞ!」
どぎまぎと手を組んだり離したりしているエメを指差して、アランが語気を強くして言う。
「失礼しました。エメは声が出せないもので」
ラースの言葉に、アランは少しだけ面食らったような顔をしたあと、ふうん、と小さく呟く。ラースは、エメが身構えたのがわかった。声を出せないことで何かを言われるかもしれないと思ったのだろう。しかしアランは何を言うでもなく、サバのリードを手にする。
「サバと遊ぼうぜ。来いよ」
そう言って、アランは中庭の奥に向かった。この先はサバが駆け回るために広くなっている場所がある。
エメは遠慮がちについて行く。アランは肩掛けの布のカバンを地面に放り、その中から平らな丸い板を取り出す。
「これはフリスビーっていうんだ。見てな」
得意げに言ったアランが、フリスビーを投げた。すると、嬉しそうにしながらサバがそれを追い駆ける。高度が低くなったところで飛び跳ね、フリスビーを口で捕まえた。それをくわえ自慢げにアランのもとへ持って来る。
アランがまた投げると、サバは楽しそうに追い駆け、同じように口で捕まえて持って戻って来た。
「簡単な遊びだろ? お前もやるか?」
アランが問いかけるので、興味を惹かれていたらしいエメは頷いた。フリスビーを受け取り、えいや、と言わんばかりに投げる。しかしそれはうまく飛ばず、彼らのそばに落下してしまう。サバも不完全燃焼という顔をしている。
「俺のお手本をしっかり見てな」アランはまたフリスビーを手にする。「こう持って、助走をつけて投げるんだ」
アランの飛ばしたフリスビーは勢いよく飛んで行く。サバは捕まえたそれを、誘うようにエメに差し出した。
「いいか? 持ち方はこうだ」
アランはフリスビーを持って見せる。エメは見よう見まねでフリスビーを握り再び投げるが、ひょろひょろと飛んですぐ地面に落ちる。サバがそれを拾い、エメのもとへ持って来た。励ますような顔をしているような気がする。
「握力と腕力がなさすぎだな。フリスビーはやめようぜ」
そう言ってアランはフリスビーをカバンにしまい、別の物を取り出した。ゴムボールである。
「これなら簡単に投げられるだろ」
アランに差し出されたゴムボールを少し見つめたあと、えいや、と空に放る。飛距離は出ないもの、フリスビーよりは遠くに飛んで行った。サバが嬉しそうにそれを追い駆け、地面に落ちたボールを口にくわえる。尻尾を振りながら戻って来て、エメにボールを差し出した。
しかし、エメは受け取っただけで投げるのをやめる。
「坊ちゃん方、お茶にしないっスかー?」
ニコライが明るい声で言った。ラースも、これ以上にエメがボールを投げるのを止めようとしていた。おそらく、エメはかなり疲れてきている。ニコライに薄く微笑んで見せるが、ひたいには汗が滲んでいた。
ラースがエメを抱え上げると、アランは首を傾げる。
「いつもそうやって運んでるのか?」
「エメは体力値がかなり低いんです」
「ふうん」
深く追及してこないところは、さすが公爵家の令息といったところだろうか。踏み込む領域を見極めているのだ。
ラースは、貴族というものにあまり良い印象を持っていない。貴族が口にすることと言えば、まずは財力自慢だ。親はもちろんのこと、その子どもも親の財力をさも自分のものかのように語る。財力がなんだと言うのだろうか。
その点、ディミトリ公爵家が財力自慢をすることは一切ない。公爵家には財力自慢する必要がないほどの実力がある。それは公爵家を知る者はすべからく認めていることだ。しかしディミトリ公爵はそれに驕ることもなく、家業での実績を着実に伸ばしている。だがその権力は、王家には匹敵しない。匹敵しないように、ディミトリ公爵がうまくやっているのだ。王家に匹敵してしまうと、快く思わない者が出てくる。ディミトリ公爵家にとって安易に敵を作ることは得策とは言えない。それをうまくコントロールすることが、ディミトリ公爵の実力を証明しているだろう。
貴族の令息を、使用人たちが使うような食堂に通すことは本来ならあまり好ましいこととは言えないだろう。しかしアランはそれでいいと言う。そのほうが気が楽だからと。
「まあ、アラン坊ちゃま」メイド長が顔を綻ばせる。「お久しぶりでございますね。ご健勝そうでなによりです」
「アダイラも元気そうだな」
公爵家の屋敷が程近いこともあって、アランは何度も王宮に来ている。メイド長とも深い顔馴染みなのだ。
メイド長が朝焼いたパウンドケーキと紅茶をアランに出した。エメの前には紅茶しか出されないので、彼は不思議そうに首を傾げる。
「エメは食べないのか?」
「先ほど食べたばかりですので」
ラースが代わりに答えると、ふうん、とアランは呟く、
「お前の腕、細すだろ。ちょっとぶつけたら折れそうだ」
アランの視線が腕に注がれるので、エメは少し顔を引きつらせた。あまり腕輪を見られたくなかった。固有スキルを封じるものだと、おそらくアランなら知っていると思ったからだ。しかしアランは腕輪を気にする様子はない。
「男なんだから、たくさん食べて大きくならないとだぞ」
エメはどこか困ったように笑う。
「ラースの弟なら、将来は騎士になるんだろ?」
「弟は魔法使いです」
「ふうん。でもお前、体力なさそうだな」
そんなことない、と言うようにエメは肩の高さで拳を握り締めるが、アランは彼の二の腕をむんずと掴んだ。
「こんなに細っこくて生きていけるのかよ」
エメはまた眉尻を下げて笑う。アランの言う通り、エメは体力がなく一日を過ごすだけでも一苦労だ。魔法使いは体力値より魔力値を伸ばしたほうがいいとエミルが言っていたが、体力値も大事だとニコライは言っていた。実際、冒険に出るときには体力が必要になるだろう。
「俺、このあいだダンジョン攻略していたんだよ。下位だけどな。だからモンスターはあんまり出て来なくて、父様に戦力を証明することができなかったんだ」
エメが興味を惹かれたらしいことに気付いて、アランはダンジョン攻略のことを嬉々として話す。エメは時々こくこくと頷いて、その話に聞き入っていた。
* * *
それから一時間ほど経って、ディミトリ公爵とリカルドが戻って来た。帰るぞ、とアランに声を掛けると、エメもアランも残念そうな顔をした。しかし、ただの貴族である彼らが用もないのに王宮に長居することはできない。アランは少し不貞腐れたような顔になりながら立ち上がる。
「じゃあな、エメ。またな」
手を振り食堂を出て行くアランの背中が見えなくなると、エメがへなへなとテーブルに突っ伏した。
「体力がなくなるまで遊ぶんじゃない」
呆れて言いながら、ラースはエメを抱き上げる。サバと遊んだことに加え、アランとお喋りを楽しんでいたため、エメの体力が尽きかけているのだ。
「ま、それだけ楽しかったってことっスよ。子どもらしく楽しそうにしてるのを見ると、こっちも嬉しくなるっスね」
ニコライの意見には同意するが、体力が尽きかけるまで堪えるのは褒められたものではない。ラースに抱え上げられたエメは、ぐったりと彼にもたれかかった。
エメはベッドに入るとすぐ寝息を立て、そのまま朝までぐっすりと眠り続けた。心配したユリアーネがたびたび様子を見に来るが、その物音でもみじろぎひとつしない。よほど疲れてしまったのだろう。
ベッドのそばの椅子に腰掛けたラースは、昼間のことを思い出していた。アランは齢十。子どもにしてはとても思慮深い。さすが公爵家だ、とそんなことを考えていた。
エメにとっては初めての友達だ。アランが貴族らしく業突く張りな子どもだったら、エメから遠ざけていただろう。しかしあの公爵の教育で性格のひん曲がった子どもになるとは思えない。もし他の貴族の子どもと同じような、財力自慢をするような子どもだったら、エメも仲良くなりたいとは思わなかっただろうが。
ラースとて、エメの心の傷を癒せるなら誰でもいい、というわけではない。エメは幼い。自分の領域に入れることを許す人間を選べないかもしれない。エメの初めての友達がアランでよかった、とラースは思った。