3-2
謁見の間をあとにすると、張り詰めていた糸が切れるように、ニコライが深く大きく息を吐いた。
「どうなることかと思ったっス」
「そうだな。まあ……【名付け】はもしかしたらと思っていたが、まさか【祈り】までとはな」
つくづくとエメを見るラースに、エメは首を傾げる。
「【名付け】は、王族とその配下の者のみが使える最上位スキルだ。魂の系譜に連なる魔法だな。お前は国王陛下との魂の繋がりを得た。お前に国王陛下の魔力が注がれたんだ」
エメは意味がよく理解できていないようで、ニコライを見遣った。ニコライは肩をすくめる。
「国王陛下のお力によって、エメ坊ちゃんは魔法やスキルを得やすくなったってことっスよ」
「まあ、大雑把に言うとそういうことだな。それから【祈り】だが、これは王妃殿下の仰っていた通り神の加護を与える魔法だ。直接的な効果で言えば、物理攻撃耐性、魔法攻撃耐性が上がる。あとは、それに付随する中位以上のスキルや上位の魔法を得られるはずだ」
始まった、とニコライが苦笑いを浮かべる。
「それに加えて魔力が強化され、体から魔力が漏れ出るのを防ぐ。固有スキルを使っても魔力の消費を最小限に留めることができる。さらに固有スキルを強化する効果もあるそうだ。二倍とまではいかないが、お前の【癒し手】の効果は増大しているはずだ」
一気に捲し立てるラースにエメがきょとんとするので、ラースはひとつ咳ばらいをした。
「この先、お前が望んで【癒し手】を使う時がくるかもしれない。そのとき、生命力の消費が最小限で済むんだ」
「つまり!」と、ニコライ。「これから坊ちゃんは、坊ちゃんの思うまま、自由に生きていいんスよ」
エメの瞳が揺れる。こんなところで泣かれては敵わないと、ラースは彼を片腕で抱き上げた。さっさと連れて帰らなければ。ニコライはニコライで、よかったっスね、とのん気に笑っている。ラースはひとつ溜め息を落とした。
本来であれば【名付け】も【祈り】もそう簡単に授けられるものではない。多少の危険を伴うためである。
【名付け】により与えられた魔力が受納者の実力に見合わない場合、名付けを受けた者は正常ではいられないと言う。しかしアーデルベルト国王はそれを見抜く目を持っている。魔力を与えるだけの実力がないと判断した場合【名付け】は行われない。それは【祈り】にも言えることだ。この最上位スキルによって与えられる魔力に見合うだけの実力があるかどうか、アーデルベルト国王もクリスタ王妃もそれを見抜いた上で、エメに【名付け】と【祈り】を与えたのである。エメには内に秘めた魔力があるのだ。
* * *
部屋に戻ると、エメはベッドを指差した。
「寝たいのか?」
ラースの問いに、エメは小さく頷く。緊張していたため疲れたのだろう。床に降ろし、ラースが上着を脱がせてやると、エメはすぐにベッドに横になった。
「ドアの前にひとりつけておく。起きたら声をかけろ」
エメが頷くのを見届けて、ラースは部屋をあとにした。
* * *
ラースとニコライが騎士の詰所に行くと、剣の手入れをしていた部下たちが、お疲れ様です、と顔を上げる。
「国王陛下と謁見して来たんですよね」
「ああ」
「すごいな~……。俺だったらビビッて入れないですよ」
「それにしても、小隊長もニコライさんも大変ですね。子どもの世話なんて、騎士にやらせることじゃないですよ」
ハハ、と笑いながら部下が言うので、ラースとニコライは揃って鋭い眼光を向けた。
「それは国王陛下への不敬に値すると知っての発言か?」
「へ……?」
「俺たちがエメ坊ちゃん付きになったのは、最終的には国王陛下のご判断っスよ」
その途端、部下は慌てて頭を下げる。ただの軽口のつもりであったのだろうが、看過できるものではない。
「世話係じゃなくて護衛だと何度言えばわかるんですか」
厳しい声が聞こえ、彼らは振り向いた。書類を手に歩み寄って来るのは、黒髪の若き騎士エミルだった。彼の登場により、その場の空気が一気に凍り付く。
「ラースさん、ニコライさん。明日から僕も教育係兼護衛として付くので、そのつもりでいてください」
「ああ、わかった」
おそらくエメに【名付け】が行われ【祈り】が与えられたことは、遠くなく王宮のすべての者の知るところとなることだろう。そうなれば、エメを見る周囲の目も変わり、ラースとニコライが騎士として不本意な任務をしているという誤解も解けることだろう。
「厳重っスねえ」
つくづくとニコライが呟くので、エミルは肩をすくめる。
「彼の【癒し手】は最上位スキルですからね」
「でも、国王陛下にも王妃殿下にも、エメ坊ちゃんを利用しようなんておつもりは一切ないんスよね」
「そうでしょうね。言うなれば、不遇の子どもを助けたい。ただそれだけのことではないでしょうか」
エミルは誰とも視線を合わせない。書類に目を通しながら話をしているのだ。それは昔からの癖らしい。それがエミルの「冷たさ」を助長しているのだ。
エミルの所属はラースの隊ではない。本来ならラースの小隊から教育係を選んだほうが都合がいいのだろうが、エミルほど優秀な頭脳を持つ者はラースの小隊にはいない。
エミルはアーデルトラウト王国国王直属騎士団の中で一、二を争うほどの頭脳を持ち合わせている。教育係に抜擢されたことは、妥当な判断だろう。
「坊ちゃんは他にもスキルを使えるんスかね」
「さあな」ラースは肩をすくめる。「俺は知らん」
「最上位スキルを持っているので」と、エミル。「他にも、中位から上位のスキルを持っていてもおかしくはないかと」
スキルは、経験値や環境で得ることもあるが、固有スキルに付随して得る場合が多い。固有スキルのランクが高ければ高いほど、付随するスキルのランクも高くなるのだ。
「あとで【鑑定】してみたらどうっスか?」
興味をそそられたらしいニコライが言うので、エミルは書類に視線を落としたまま顔をしかめる。
「本人が良いと言うなら」
「保有スキルを自覚しておくことで、後々楽になることもあるかもしれないっスよ」
「まあ、そういうこともあるでしょうね」
「鑑定より顔合わせが先だ。明日の午前でいいな」
「構いません」
「ニコライ、報告に行くぞ」
「了解っス」
ラースとニコライが詰所の奥へ進んで行くと、エミルもその場を離れて行く。凍り付いた空気が緩み、騎士たちはようやく安堵の息をついた。
騎士の中では、エミルが最も取っ付きにくいと言われている。その次がラースだと言われているが、三番目にニコライがくるのだ。ニコライはいつも軽口をたたいているが、その反面、何を考えているのかがよくわからない、と騎士たちは言う。要は本音を隠すのが上手い男なのである。
ニコライはラースの直属の部下である。取っ付きにくい男ナンバー2とナンバー3が並び、そこにナンバー1も加われば、騎士たちの空気が凍り付くのも当然である。
三人とも有能であることは認められているため、敬遠されるようなことはない。取っ付きにくい、ただそれだけのことだ。とは言え、三人とも友達を作るために騎士をやっているのではない。取っ付きにくいと思われようが一向に構わない。任務を遂行するための必要最低限の意思の疎通ができればそれでいい。まったく性質の違う三人であるが、その認識だけは共通のものだった。
* * *
ベルンハルト団長への報告を終えると、ニコライはエメの部屋へ赴いた。部屋の前にいた護衛騎士に声を掛けて部屋に入ると、エメはベッドで静かに眠っている。
(はああ……寝顔がマジ天使……)
おそらくここにユリアーネがいたら、同じことを思っただろう。表面上は冷静を保っているように見えるが、エメに心を奪われていることは一目瞭然である。
ラースもなんだかんだ面倒見が良い。最初のうちは溜め息をつきながら嫌々やっているように見えたが、エメを疎ましく思っているわけではないことはわかっている。子どもを邪険に扱うほどの鬼ではない。
(あの顔で損してるんだよな~)
ラースはいつも仏頂面である。気が付けば眉間にしわが寄っているし、見ようによっては怒っているとも思える。エミルは「無表情だから怖い」と言われているが、それは恐ろしさに近い。対してラースは「何をしても怒られそうで怖い」という総評である。
実際のところ、ラースは並大抵のことではそうそう怒らない。ラースが簡単に怒る人間であったなら、ニコライはラースの小隊には居られなかっただろう。
ニコライはラースを心から尊敬している。命を助けられたあの日から、一生ついて行こうと心に決めたのだ。