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1-1

 アーデルトラウト王国国王直属騎士団が制圧したため、盗賊団が少年を取り戻しに来ることはない。しかし、少年が要保護人物であることに変わりはない。一仕事終えたばかりであるというのに、ラースは少年の護衛に充てられた。それも、少年が眠るベッドの真横に、である。

 部屋の外には別の護衛騎士がいる。これでも騎士団の中で小隊を担うほどの経験値は持っている。座ったままでも仮眠は取れるし、かすかな物音でも目を覚ます自信がある。しかし、ラースは眠らずに本を読んでいる。

 それというのも、彼がこの部屋に来たときに、少年がうなされていたためである。放っておけばよかったものを、ラースはなんの気まぐれか、少年を落ち着けようと思ってしまった。赤ん坊をあやすように胸元をたたいてやると、少年の呼吸が次第に落ち着いた。ようやく安堵したように眠る少年に、このまま朝まで見守ってやろうという気になってしまったのである。親心というのはこういう感情のことを言うのだろうか。そう言えば、もう子を持っていてもおかしくない歳だったな、などとぼんやり考えていた。

 とは言え溜め息は漏れる。一仕事どころか大仕事をこなして来た。いかに鍛えられた体と言えど、疲労は溜まっている。明日の任務をニコライに投げればいいか、とラースはまたひとつ深い溜め息を落とした。


   *  *  *


 少年が目を覚ましたのは早朝のことだった。護衛の交替のために来たニコライのノックのかすかな音で起きてしまったらしい。どうやら熟睡はできなかったようだ。

「気分はどうだ?」

 ぼんやりしている少年に、ラースは努めて優しく問いかけた。少年は怯えてこそいないもの、無感情な顔をしている。ニコライが困ったようにラースを見遣った。

 色のない瞳でふたりを見た少年が、小さく口を開く。それから、困惑したように首に手を当てた。

「……声が出ないか」

 冷たく言うラースに、ニコライが顔をしかめる。少年の境遇を考えれば当然かもしれない、とラースは息をついた。

「名前は?」

 紙とペンを差し出すと、少年はうつむいてしまう。ラースにとっては予想通りの反応だった。

「……字も書けない、っスか……」

「みたいだな」

「困ったっスね……。どうしましょう、先輩。もう少し様子を見たほうがいいんスかね」

「ああ……そうだな。団長に報告に行ってくれ」

「了解っス」

 サッと簡素に敬礼をして、ニコライは部屋を出て行く。

 ラースも一度、詰所に戻らなければならない。護衛とは言え仰々しい鎧を着ていては少年が落ち着かないだろうと、ベルンハルト団長が所持を許してくれたのは一本の使い慣れた剣だけだった。ついでに着替えもしたい。

 呆然としていた少年が、ふと手元に目を落とした。その視線は、昨夜、ラースが少年を保護したときに装着した青い宝石の埋め込まれた腕輪に注がれている。

「説明がまだだったな」ラースは言った。「これは固有スキルを封じる碍魔がいまの腕輪だ。つまり、いまのお前の手は傷に触れても反応しない。ただの人間の手と変わりない」

 少年が青い瞳を見開く。

 彼の手は「癒し手」である。生まれた頃から、少し傷に触れただけでダメージごと回復していた手。望んでいても、望んでいなくても。その固有スキルを封じるということが少年にとってどれほど重要なのか、ラースには深い理解があったとは言えなかった。

「もう誰かの傷を癒すためだけに生きる必要はない」

 ラースにとってはなんでもない一言だった。だから、少年が泣き出したことに気付いて心底から驚いた。

 騎士小隊を任されるほどの経験値があろうと、ラースは泣かれると弱い。ラースが最後に泣いたのは、五歳のときのことだったと記憶している。アーデルトラウト王国国王直属騎士団の一員であった父を怒らせて強か殴られたときだ。それ以来、ラースは一度も泣いていない。実の母が亡くなったときですら、涙は出なかった。

 泣くときの感情はとうに忘れてしまった。だから、泣かれるとどうしたら良いかわからなくなってしまう。

 騎士小隊長として情けなくも、三秒ほど硬直したあと、ラースは少年のとなりに腰を下ろし彼の肩を抱いた。

 少年は静かに泣く。もしも声が出ていたのなら大声を上げていたのだろうか、とラースはそんなことを考えていた。

「あっ!」

 ドアが開くのと同時に聞こえてきた声に、少年が目を丸くする。ラースは思わず眉間にしわを寄せた。

「先輩! なに泣かせてるんスか!」

 戻って来て早々にニコライが騒ぐので、ラースは深く重い溜め息を落とす。少年はラースとニコライを交互に見た。


   *  *  *


「僭越ながら、本日から御傍に仕えさせていただきます、ユリアーネと申します。どうぞ、お見知り置きを」

 彼女は確か、今年十八になったばかりだ。化粧をしてドレスを着れば貴族の令嬢と見間違えるほどに可憐な見た目をしている、というのはニコライの総評である。

 ベルンハルト団長が少年に宛がったのが、この若き侍女ユリアーネである。恭しく辞儀をするユリアーネに、少年は困惑してラースを見上げた。当然の反応である。

 ラースはひとつ息をつき、その視線を流した。

「まずは着る物だな」

 少年は盗賊団のアジトから連れ出したときのまま、ボロボロの服を着ている。捕らわれていたのだから致し方のないことだろうが、この格好で王宮内を出歩かれても困る。

 失礼します、と声が聞こえて顔を上げると、別の侍女ふたりが衣装ラックを引っ張って部屋に入って来る。その衣装ラックには端から端までいっぱいに服がかけられていた。

「さあ!」と、青い瞳の侍女。「どれにいたしましょう!」

「お好きなものをどうぞ!」と、もうひとり。「どれをお選びいただいても、きっとお似合いになりますわ!」

「……お前たちな……」

 ラースは思わずひたいに手を遣った。どこからどう見ても、ユリアーネを除いたふたりは完全に楽しんでいる。

 確かに、少年は可愛らしい見た目をしている。緑がかったグレーブラウンの髪はぼさぼさだが、整えたらそれなりになるだろう。彼の身形を整えるのは楽しいかもしれない。

 少年が困ったようにまたラースを見上げた。今度ばかりは流しては可哀想だと、深く溜め息を落とす。

「ニコライ。選んでやれ」

「了解っス!」

 ビシッと敬礼をして、ニコライが衣装ラックを物色し始める。ふたりの侍女が期待のこもった眼差しを向けていた。

「うーん……やっぱり髪色に合わせて……。でも瞳も綺麗だしなあ。いや、やっぱり髪かなあ」

 などとブツブツ言いながら、ニコライは衣装ラックと少年に交互に視線を遣る。真剣そのものである。

 ややあって、ニコライは落ち着いた茶色の服を選び出した。それを少年に当て、満足げに笑う。

「これっスね! これが俺のおすすめっス!」

 ニコライは服飾に関するセンスがある。休日にはお洒落をして出掛ける姿をよく見かけた。そんなニコライが選んだなら間違いない、と侍女三人組がさっそく少年の着替えに取り掛かった。いつの間にかユリアーネも加わっている。

 丸襟のシャツに、縁に飾りのついた襟の茶色のジャケットを羽織る。膝丈のズボンを穿かせれば一丁上がりだ。

「まあっ! お可愛らしい!」

「よくお似合いですわ!」

 賑やかな侍女ふたりに混ざっていたユリアーネは大人しくしているが、彼女の表情にも満足感が表れている。

 少年がラースを見上げた。ラースは肩をすくめる。

「似合ってるじゃねえか」

 そのとき、ほんのかすかに少年が笑った気がした。

「さて」ニコライが手を叩く。「お腹空いてないっスか?」

 少年は首を横に振った。昨夜この王宮に来てから、おそらくそれ以前より少年は食事を取っていないはずだ。

「まともな食事は出なかっただろうからな」ラースは言った。「食事に良い印象がないんだろう」

「うーん、なるほど……」

「……では」と、ユリアーネ。「果物や、もしくはジュースなどはいかがでしょうか」

「ナイスアイデアっスね。用意してもらってくるっス」

 意気揚々と部屋を出て行くニコライに、ラースはまた溜め息を落とした。何を乗り気になっているのだか。

 ふと、ニコライを見送った少年が、どこか心細そうな表情を浮かべていることにラースは気が付いた。見知った顔がいるということは、それだけで安心感に繋がるようだ。

 ラースは促すように少年の肩に手を置く。痛々しいほどに痩せ細り、骨張っていた。ずっと鎖に繋がれていたのだろう。足取りもどこか覚束ない。

 またひとつ溜め息を落とし、ラースは少年を抱き上げる。

「疲れたときはそう言え。その辺に倒れられても困る」

 少年は少し申し訳なさそうにラースの肩に手を遣った。

 アーデルトラウト王国の王宮は広い。国力がそのまま形になったような場所だ。弱った少年の足ではどこにも行けないほどの広さがある。ベルンハルト団長の計らいで少年の部屋は騎士の詰所の近くに用意されたが、その道のりですら歩いて行けるか怪しいほどに少年の足は弱っていた。

 ラースは、部下たちに畏怖の念を懐かれているということは自覚している。顔が怖いと言われるのはいつものことだし、態度が威圧的なところも部下を怯えさせる一因だ。部下の鍛錬に手を抜いたことなど、一度として有り得ない。そんな鬼教官のような小隊長が片腕に子どもを抱いて歩いているという光景は異様で、部下の騎士たちどころか他の使用人たちも目を丸くしている。しかし、当の本人は集まる視線など気にしていない。

 騎士の詰所には、使用人のための食堂が隣接している。使用人たちのためとは言っても、かなりの広さがある。使用人と騎士の数を考えれば当然のことである。

 食堂に入って行くと、おや、と穏やかな声が聞こえた。短い茶髪の人物――若き騎士団長ベルンハルトが歩み寄って来る。部下の騎士と立ち話をしていたらしい。

「この子が?」

「そうです」

 短く頷いたラースに、ベルンハルトは少年と目を合わせるために少しだけ腰を屈めた。ラースも決して低くはないが、ベルンハルト団長はかなりの高身長だ。

「不自由はしていないかい」と、ベルンハルト。「必要なことはなんでも教えてくれ。特に、このラースはこき使ってくれて構わないよ」

「……団長」

「おっと、会議に遅れてしまう。頼んだよ、ラース」

 戦場に立っているときとは打って変わって、ベルンハルト団長は穏やかでありながらとても適当な人である。部下のほうがしっかりしているように見られるのが常だ。

 ラースが、もう何度目かわからない溜め息を落としたところで、ニコライがお盆を手に彼らのもとへ来た。ラースは少年を床に降ろし、椅子へ促す。

「どうぞ! 搾りたてっスよ!」

 ニコライがテーブルに置いたジュースを警戒するように眺めたあと、少年はおもむろにコップを手に取った。ゆっくりと飲み始めるが、眉根を寄せてすぐ口を離す。

「あれ? お気に召さなかったっスか?」

「……最低限の栄養源として、果物を与えられていたのかもしれないな。最も手軽な食材だからな」

「そっかあ……難しいっスね……」

 ニコライは唸りながら顎に手を遣る。ややあって、閃いた、というようにポンと手を叩いた。

「良いこと思い付いたっス!」

 そう言うや否や、ニコライは少年に背中を向けて屈む。おんぶに誘っているのだと少年が理解するのに数秒を要した。遠慮がちに乗る少年に、ニコライは笑みを深める。

「先輩、ついて来てくださいっス!」

「なんで俺まで……」

「文句ばっかり言わないっスよ~」

 ニコライが向かったのは厨房だった。お喋りをしていたらしい侍女が三人、不思議そうに彼らを振り向く。

「いかがなさいましたか?」

 ベテランのメイド長が首を傾げ、問いかけた。ニコライは少年を床に降ろしながら、満面の笑みで言う。

「なんか坊ちゃんの口に合う物ないっスかね!」

「あら……」

 これのどこが「良いこと」なんだ、とラースは頭を抱える思いだった。結局のところ丸投げではないか。

「そうですわね……」と、メイド長。「いま、ちょうどクッキーを焼いているのですが、いかがでしょう」

「それは良い考えっスね!」

「もうすぐ焼き上がりますわ。よろしければ、こちらに座ってお待ちになってくださいませ」

 メイド長に優しく促され、少年が椅子に腰を下ろす。柔和な彼女の表情が、少年に安心感を与えるのかもしれない。

 壁に寄り掛かったラースは、もう溜め息が止まらなかった。そんな上司に、ニコライは唇を尖らせ小声で言う。

「なーに溜め息ついてんスか。これも立派な任務っスよ」

「子守りがか?」

「違うっスよ。この子は要保護人物。俺らは護衛っスよ?」

「護衛が飯の世話までするのか」

「だあーって放っておいたら可哀想じゃないっスかあ」

「結局は子守りじゃねえか」

「頭の堅い人っスね。先輩、子ども苦手っスもんね」

 にひひ、とニコライが笑うので、ラースは八つ当たりを込めてその尻を蹴った。いて、とニコライが声を上げる。

 それから十分ほど待ち、ようやくクッキーが焼き上がった。メイド長とふたりの侍女が丹精を込めて作ったのがよくわかる仕上がりだ。

「さあ、できましたよ。どうぞ」

 クッキーをかごに詰め、メイド長が少年に差し出す。少年は怪訝そうにかごを見つめ、それからおそるおそる手に取った。しかしなかなか食べず、クッキーを眺めている。

 ラースはメイド長に目配せした。メイド長は薄く微笑んで、さあさ、とふたりの侍女に言う。

「あなたたちもお食べなさい。上手に仕上がっていますよ。ニコライ様もおひとついかがですか?」

「いいんスか! やったー!」

 いただきまーす、と声を合わせた三人がクッキーを頬張るのを、少年は観察するように見ていた。美味しそうに食べる三人に、少年はおそるおそるクッキーを口に運ぶ。それから、口に合ったのか少しだけ表情を明るくした。

 それを見て、メイド長とニコライはホッと安堵する。

 またかごを差し出して、もう一枚と誘うメイド長に、少年は二枚目に手を伸ばした。しかし、それを食べ終えるとうつむいてしまった。

「もうよろしいのですか?」

 心配そうにメイド長が言う。少年は小さく頷いた。

「胃が食べ物を受け付けないのかもしれませんわね」

 痩せ細った少年の体を見る限り、まともな食事を取ってこなかったということがうかがえる。それも当然だろう。盗賊団にとって「癒し手」はただの便利な道具に過ぎず、人間としての扱いを受けてこなかったのかもしれない。盗賊団のアジトで少年が押し込まれていた部屋は、人間が暮らす環境としては劣悪だった。

「ま、無理に食事を取ろうとすることはないっスよ。ちょっとずつ慣らせばいいんス」

 明るく言うニコライに、少年はホッと胸を撫で下ろした。それを見て、捕らえられていた頃はやりたくないことを強いられていたのかもしれない、とラースは思った。


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