3.侯爵令嬢2
セシリアの「以前の」婚約者であったイームズ侯爵家子息ハロルドは不遇をかこっていた。
長男でありながら、母親の身分が低く、しかも病で夭逝した。すぐに迎え入れられた後妻は男の子を生んだ。彼の立場は非常に危ういものだった。
少なくとも、彼はそう信じていた。
子供の時分はともかく、長じても後妻に冷淡に接すれば、嫌われるのも当然だ。弟に関してもそれは同じことが言えた。彼はなにかと弟をいじめていた。「このくらいで」と彼は言っていたが、やられた方は恨みに思い続けているものだ。
さらにいえば、父親イームズ侯爵との関係も徐々に悪化しつつあった。それはそうだろう。成長しても後妻や異母弟を嫌って態度を取り繕うことすらせず、自分は常に被害者だと主張し続けていればうんざりする。
「わたくしが支えていれば、彼の苦しみをもっと真剣に受け取っていれば違ったかしら」
『ヒロインちゃんが別の攻略対象者とくっついた場合、ハロルドはアンタといっしょになったから、それはないわね』
魔導書はきっぱりと否定した。
どうやら、父は代々の当主の中でもあまり魔導書に助言を求めないようで、この部屋には滅多にやって来ないらしい。それを良いことに、セシリアは魔導書の求めに応じて頻繁に訪れるようになっていた。なにより、魔導書はセシリアにとって有益なことを教えてくれるのだ。記される古語がその、大分、アレな感じなのだが。
「代々の当主のみ閲覧可能なのは、古語で記載されているからかもしれませんわね」
『アラ、そうなの?』
「ええ。ところで、その、ヒロイン、というのは?」
なんとなく、「ちゃん」付けすることができなくて歯切れ悪く言う。
『アンジェラ・エアハートよ。アンタのおトモダチ!』
知った名前がすらすらと並び、セシリアはやはりそうなのかと唇を噛む。
一度目の生で、友人アンジェラ子爵令嬢は、ハロルドの不遇によって傷ついた心を慰めるうち、恋仲になったらしい。けれど、ハロルドにはセシリアという婚約者がいるため、ふたりには未来がない。だから、セシリアを排除する必要があったのだと語った。
『ハロルドルートのエンディングではカーライル侯爵家は不正をしていた挙句、他国と通じていたのが暴かれ、反逆罪で処刑されたんだけれど、それがヒロインちゃんたちのでっち上げなんてねえ』
そうなのだ。
カーライル家はありもしない不正をあげつらわれ、不正隠しをしないようにと隔離している間に、捏造された証拠とやらで反逆罪にまで追い込まれてしまったのだ。
対処しようにも、次々に証拠や証人が現れ、やっていない、知らないという証明は追いつかないまでになった。その間隙を縫うようにして、まず、弟の病が悪化した。生死を行き来し、その心労から母も倒れた。セシリアは父を助けて奔走した。そうこうするうち、父の政敵に追いつめられ、とうとう破綻してしまったのだ。
「おそらく、父の政敵と手を組んだのではないでしょうか」
イームズ侯爵家ではカーライル侯爵家とのつながりを欲していた。なまなかでは婚約解消をすることはできなかっただろう。どちらかというと、我が家の方が力が強い。となれば、愛人を囲うこともできない。アンジェラが愛人の立場で満足するかと言えば、そうとも思えない。
セシリアは魔導書曰く「一度目の生」において、処刑前夜に訪れたハロルドとアンジェラによって、種明かしをされた。
「君は俺のことをまったく理解しようとしてくれなかったね。残念だよ。でも、だからこそ今こうしてアンジェラと幸福に満ちた未来へ歩いて行けるんだ」
「そうよ、ハロルド。あなたの不遇はここでおしまい。あとは幸せになるだけなんだからね!」
鉄格子の向こう、処刑を待つばかりのセシリアは、一体全体なんの茶番を見せられているのだろうと、ただただ呆然としていた。
セシリアの婚約者に身体を密着させながら可憐な微笑みを見せていたアンジェラが振り向いた。
「可哀想なセシリア。でもね、あなたが悪いの。わたし、ずっとあなたが嫌いだった。だって、あなたはなんの苦労もせずに高位貴族令嬢としての特権を享受していたんですもの」
嘲りの笑みを浮かべるアンジェラに、セシリアは唖然となる。
なにを言っているのだろう。
セシリアは高位貴族の家門に生まれた義務を果たし続けている。家が存続するように弟を壮健にしようともしていた。苦手であっても、社交の場に出席した。必要に応じて学んでもいた。それでもまだ足りなかったのだろうか。
「でも、処刑されることによって、罪は償われるわ。良かったわね」
さも、自分たちに感謝しろと言わんばかりの口調だ。
悔しかった。腹が立った。どうして、自分が。なにより、セシリアを嫌いならひとりを対象にすれば良い。家族を巻き込むほどの罪を犯したというのか。
強烈な怒りが込み上げ、全身の血が煮えるほどだった。
けれど、どうすることもできなかった。
泣いても喚いても、結局、セシリアは処刑されてしまったのだ。
命の途切れる瞬間、ぶつ、となにかが断ち切られるような衝撃を受けた。と、思ったら横たわって荒い息を吐いていた。汗まみれで、あまりの衝撃にしばらく動くことができなかった。ようやく目だけで周囲を見渡し、そこが見慣れた侯爵家の自室だと知って泣いた。
そうして、魔導書が言う「逆行」が行われたのである。
三年前に時間が巻き戻っても、しばらくは不安で落ち着かなく、ふいに大声を出して走りだしたい気分になった。夜毎に悪夢を見る。今すぐに逃げ出したい。もちろん、そんなことはできない。自分だけが助かっても仕方がないからだ。なんとかしなくてはという一心で、侯爵家に伝わる魔導書に縋ったのである。
そうして良かった。魔導書に事情を話し、協力を約束してもらったときから、ずいぶん気持ちが落ち着いた。
『わかるわあ。そうよね。こんなハナシ、誰にもできないわよね』
「そうなのです」
魔導書がすんなり理解したのに驚いた。魔導書らしく、セシリアの理解の範疇を越えることをときおり綴るが、ともあれ、有益な助言をもらえそうである。