13.侯爵令嬢7
※登場人物の簡易説明を一番下に入れました。
フェアクロフ公爵家茶会に、セシリアは公爵令嬢と示し合わせて開始予定時間よりも早めに到着した。
使用人に案内されたのはガーデンパーティ会場から少し離れた小さなテーブルで、公爵令嬢はすでについていた。
公爵令嬢に弟を紹介していると、呼び出されたフェアクロフ公爵子息がやって来た。
それぞれがあいさつし合い、落ち着いた後、公爵令嬢は兄に蛙を入れたのは純粋な好意からであったが、考えなしの行動であったことを謝罪した。
なにが始まったのかと、目を丸くするギルバートに目配せすると、聡い弟はすぐに事情を呑み込んだ。
「蛙が好きとは令嬢としてはずいぶん変わり者だな」
何分、昔のことではあるものの、妹がしおらしく頭を下げているのだ。言うべき言葉が咄嗟に見つからず、公爵子息はそう言った。
「姉もよくわたしの病床に草花を持ち込んでいろいろ教えてくださいました。これがお前に作っている薬草茶の薬草だと。姉も土がついた根ごと持ってきたのだから、変わり者の令嬢です」
「あら、弟御思いのお姉さまですわ」
公爵子息はセシリアの擁護をしようとして妹に先を越された。それでも、薬草は根を使う場合もあるからと言った。それに、草花を観察するのなら、根までもしなければならないとも。
セシリアはこの機を逃すまいと随行して来た侍女に合図を送った。
「こちらは?」
「本日のお茶会の贈り物です」
セシリアは植木鉢にゴマノハグサを丸ごと持ってきたのだ。
「成長すれば人の子供の身長ほどにも伸びますので、移し替えて下さいませ」
以前供した薬草茶はこの植物の根を乾燥させたものを処方したのだと話した。
「湿った腐植土と日当たりの良い場所か半日陰の———」
うららかな木漏れ日を浴びながら公爵家のうつくしい陶磁器でお茶を飲みながら説明していたが、その穏やかさは唐突に破られた。
「あ、いたいた! ジェイラスさま!」
「お客さま、そちらはご遠慮くださいませ」
聞き覚えのある女性の声がする。公爵家の使用人が礼儀正しく、けれど確固たる意志を持って阻んでいる。けれど、女性は怯まない。
「ううん、大丈夫です。ジェイラスさまはこちらにおられましたわ」
自分の意思がすべてだと言わんばかりである。
「そうではなく、今はごく私的な会談中でございまして」
「だって、セシリアもいるじゃない。あら、そちらの方はどなた? まさか、ギルバート?」
招かれざる客はアンジェラだった。セシリアはぎゅっと目をつぶった。フェアクロフ公爵子息は攻略対象者のひとりだ。つまり、アンジェラは彼とも親交を深めようとしているのだろう。と、温かい手が自分の手に重ねられた。見れば、ギルバートが心配そうにしている。
「姉上、大丈夫ですか?」
「え、ええ。ちょっと驚いてしまって」
ギルバートを安心させるようにセシリアはこわばる顔になんとか笑みを作ろうとした。
「そうですわよね。突然の騒乱ですものね」
フェアクロフ公爵令嬢は冷厳と言う。使用人の口ぶりからも、制止を振り切ってやって来たのだと分かる。公爵家の茶会を失敗させかねないと危惧したのかもしれない。
「あら、セシリアったらそんな繊細ではなかったでしょう? 大丈夫、大丈夫」
「我が家の正当なお客さまが大丈夫かどうかはそちらが判断することではありません。連れて行きなさい」
フェアクロフ公爵令嬢はアンジェラにぴしゃりと言い捨て、後者は使用人に向けて命じた。もはや、アンジェラに対しては口で言っても従わないだろうと判断したのだ。
フェアクロフ公爵令嬢は叶うことならば敷地内から追い出したかったに違いない。けれど、礼を失したとはいえ、アンジェラは招待状を持つ正式な招待客であった。
公爵家の情報収集能力は優秀であったのが仇となり、セシリアの数少ない友人ということでしばらくは同じテーブルにつくこととなったのである。
そうして、茶会は波乱含みで開始した。
アンジェラはまるで攻略対象だったことを思い出したかのようにギルバートになにかと話しかけた。対するギルバートは礼儀を失わない程度に返答をしてセシリアとほかの招待客が会話できるように取り持とうとしてくれた。
すばらしい対人スキルである。これがついこの間まで病弱がゆえに社交に参加していなかった者とは思えない。
後から顛末を聞いた魔導書が『これぞ攻略対象者のハイスペック!』と感激していた。
歓談するうち、ホストである公爵令嬢がテーブルにやって来た。席に着いた者たちひとりひとりに声をかけ、それがまたそれぞれに応じた話であるものだから、セシリアはその話術に感心していた。
しばらくして第二王子殿下が遅れてやって来、みなが立ちあがる。
アンジェラの視線が釘付けとなっているのが分かった。
ここで少々席替えが行われる。公爵家の兄妹は別々のテーブルについてホスト側の役目を果たしていた。王子がやって来たからには兄妹は同じテーブルにつく。当然の仕儀である。だが、なぜか、そのテーブルにセシリアとギルバートの席も作られ、呼ばれた。
いつもなら体調不良でも口実にして逃げ出していた。しかし、ギルバートはこの茶会が社交界のプレデビューとなったのだ。彼のためにもセシリアはその場に踏ん張って残ることに決めた。王族と身近に接するのは侯爵子息にとって絶好の機会である。
ずっと恐怖に苛まれていた。
数年の時が巻き戻ったということは、また「あの時」を迎えるのではないか。ふたたび裏切られ、焼けつくような痛みを味わうのではないか。そして、自分が原因で家族にも不幸がもたらされるのではないか。
そう考えると心臓が握りつぶされるような心地になる。
でも、乗り越えなくては。
自分は、前へ進むのだ。あの最悪な日の、その向こうへ。
緊張に身体が硬くなるセシリアの手をギルバートが取り、スマートにエスコートする。やんごとないお方に近づくことに畏敬する侯爵令嬢は周囲から慎ましく好ましく映った。さらには、それを支えようとする弟の侯爵子息の姿は立派に見えた。
そのふたりの後ろを、当然の顔をしてアンジェラもついてきた。しかし、また使用人に引き留められ、そこで悶着が起きる。
第二王子はもちろん、公爵家の兄妹は泰然として動じず、何事も問題は起きていないとばかりに振る舞っている。
「カーライル侯爵令嬢、素晴らしい贈り物をいただき、ありがとうございます」
フェアクロフ公爵令嬢は先ほどの説明の続きを聞きたいと言った。セシリアが口を開こうとしたとき、アンジェラが後ろから声をかけてきた。彼女はまだ立ったままである。さり気なく、使用人が腕を伸ばしてそれ以上前に出ることを阻んでいる。
「あら、セシリアはなにを差し上げたの?」
笑顔を浮かべながら不穏な雰囲気をまとう公爵令嬢に気づいているのか、分かっていて知らん顔をしているのか。
「わたくしは薬草の鉢をお持ちしました」
公爵令嬢の傍らに置かれている鉢にテーブルに着席した者たちの視線が集まる。
「やだ、そんな地味な鉢。公爵家のお茶会にはふさわしくないわ」
アンジェラは殊更声を上げて笑った。
「いいえ、わたくしが心底欲しているものですわ。ありがとうございます」
すかさず公爵令嬢が礼を言う。アンジェラは黙るほかない。
「それとこちらはレシピです」
セシリアは用意周到に薬草茶の作り方やゴマノハグサの育て方をメモして来たのだ。それを、初老の男性が音もなく進み出て受け取る。
「紹介しましょう。我が公爵家の家令です」
公爵令息がセシリアに向けて言う。
「まあ、フェアクロフ公爵家の名高い家令さま!」
セシリアは感動のあまり目を潤ませた。領地経営で辣腕を振るうという噂の家令である。
「後でお話を伺うと良いでしょう」
「ぜひ! フェアクロフ公爵令息さま、ありがとうございます」
公爵令息のほうを向いてセシリアは両手を握り合せながら礼を言った。先日、夜会で話していたことを覚えていてくれたのだ。公爵令息はやわらかくほほえんだ。
第二王子が口を開こうとしたが、声を発することはできなかった。また、アンジェラが先を越したのだ。
「まあ、家令と話がしたいなんて、変な方ね」
「我が公爵家の家令は有能でしてよ」
間髪を容れずにフェアクロフ公爵令嬢が返す。
「カーライル侯爵令嬢は領地経営に興味をお持ちと伺いましたので、お喜びになると思っていたのです」
公爵子息が第二王子に説明する。
「ほう、それはすばらしいな」
「わたしがずっと病床にあったものですから、姉上は侯爵家を支えようと尽力なさっておいでなのです」
ギルバートが如才なく言い添える。
「しかし、カーライル侯爵子息はずいぶん、壮健であらせられるご様子だ」
「お陰さまをもちまして」
第二王子の言葉にギルバートは会釈するようにす、と目線を落とした。
公爵令息がセシリアが持ってきた薬草は自分が侯爵家を訪れた際、薬草茶を淹れてくれたものなのだという。
「なるほど。そういった薬草類で弟君を支えてこられたのだな。カーライル侯爵も後継に憂いがなくなり、重畳だ」
第二王位継承者である王子に保証され、公爵家の面々がそれを聞いたことからも、カーライル侯爵家の地位はこれで確固たるものとなった。
なお、アンジェラはいつの間にか、家令の見事な手腕によって隔離されていたのだが、セシリアは王族と同テーブルであることに緊張し、気づくことはなかった。
※登場人物
セシリア・カーライル:侯爵令嬢。
ギルバート・カーライル:セシリアの弟。
ハロルド・イームズ:セシリアの元婚約者。
アンジェラ・エアハート:子爵令嬢。ヒロイン。
ジェイラス・フェアクロフ:公爵子息。
アレクシア・フェアクロフ:公爵令嬢。第二王子の婚約者。
エドワード・エントウィッスル:第二王子。
ブレンダ・コフィ:伯爵令嬢。ガードナー伯爵令息の婚約者。
エリオット・ガードナー:伯爵子息。