11.侯爵令嬢6
魔導書にしつこく繰り返され、セシリアは意を決してフェアクロフ公爵令息が出席しそうな夜会に参加した。
母に協力を願い出ると、一瞬間動きが止まったが、その次の瞬間から二倍速で動き出した。母もまた娘の婚活の対象者の照準を公爵子息に合わせたのだろうか。そう思うと、落ち着かない気分になりながらも、あれよあれよという間に夜会会場へ向かう馬車の中にいた。
今回は両親とともに参加する。
「ギルバートも回復してきたし、そろそろ社交界へ顔を出しても良い頃合いじゃないかしら」
母が言うとおり、ギルバートは大分具合が良くなり、敷地内を歩き回れるほどになった。
「そうだね。フェアクロフ公爵子息も言っていたように、セシリアが心を砕いてきたおかげだよ」
「わたくしなど、そんな」
父の言葉に、セシリアはまごつく。
「そういうのはおやめなさい。謙遜あるいは、聞く側の同情を誘う手練手管であるのなら止めませんが、褒められたときは素直に受け止めるものですよ」
珍しく、母が父の前でもしっかりと厳しい意見を口にする。セシリアはぐっと腹に力を入れてうつむきそうになる視線を上に向ける。
「いえ、同情を買おうとしているのではありません。そうですよね。わたくしがなしてきたことをすべて徒労で終わらせないためにもそうしますわ」
「そうです。その意気ですよ」
母は満足そうに微笑んだ。
夜会にて視線をさまよわせると、長身痩躯のうつくしい姿の公爵子息はすぐに見つかった。セシリアがそちらへ視線を向けたとき、ちょうどフェアクロフ公爵子息もこちらを向いた。彼の方から近寄って来て話しかけてきた。
先日はどうもといった程度の挨拶だったが、いろんな者たちから言い含められていたセシリアはこの機会を逃すまいと意気込んだ。
そして、持ち出した話題がよりによって「フェアクロフ公爵さまの家令は領地経営について辣腕だとうかがいましたが、」というものだった。
魔導書は殿方に領地経営云々はご法度だと言った。
しかし、原則には往々にして例外というものがあるのだ。公爵子息がそれに該当するのだろうと語った。
「よくご存じですね」
魔導書が教えてくれたとおり、フェアクロフ公爵子息は領地経営について学んでおり、その教師たる立場にいるのが家令なのだった。
セシリアははやる鼓動を抑えながら、自領に無数にある小さな岩島を再生利用することを考えていると話した。藻を島に広げて肥料を加えれば、一年ほどで定着するのである。農耕するほどの土の厚みはないが、牧草を植えれば放牧することは可能だ。
「災害に遭った者に移住を持ちかけてみてはどうかと考えておりますの」
フェアクロフ公爵子息はなるほど、と頷いた。
「それには、その場所で一定期間は税を徴収しないといったような条件が必要でしょうね」
フェアクロフ公爵子息が即座にそう返したのは、どこの領地でも土地を遊ばせることなく有効活用することが重要視されているからかもしれない。続けて、あれこれと意見を述べた。
「素晴らしいご発案ですわ」
セシリアは勇気を出して話を持ち掛けてみて良かったとしみじみ感じる。とてもためになる話を聞くことができた。いくつか試してみたいと思った。
「父やギルバートとも相談して、フェアクロフ公爵子息から教わったことを検討してみますわ」
世辞などではなく、実際そうしたいセシリアはそわそわし、その様子を見て取ったフェアクロフ公爵子息が笑いをかみ殺した。
「新事業が成功することを祈っています」
「ありがとうございます」
「近く、我が家で茶会を催します。よろしければ、いらっしゃいませんか? 家令もおりますので」
わざわざそう付け加えるということは家令と話す機会をもたせてくれようということだ。公爵子息の気遣いがありがたく、セシリアは喜んで出席の意を告げた。
「カーライル侯爵子息もお加減がよろしければ出席なさってください」
「まあ、よろしいのですか?」
「もちろんです。カーライル侯爵ご自慢の姉弟にお会いできるのを楽しみにしております」
弟だけでなく、自分のことも褒めてくれたフェアクロフ公爵子息にセシリアは再度丁寧に礼を言った。
「あなたがカーライル侯爵令嬢ですのね。わたくし、フェアクロフ公爵が娘アレクシアですわ」
フェアクロフ公爵子息とすっかり話し込んだ後、セシリアは充足感に満たされながら夜会にて情報収集に努めていた。そんな折、フェアクロフ公爵令嬢から話しかけられた。
今までにないことに戸惑いながら、セシリアはていねいに礼をして挨拶をした。
「お兄さまから伺いましたわ。我が公爵家の茶会に出席されるとか」
ぱらりと扇を開いて口元を隠す。その裏側で唇の両端を吊り上げてでもいるのだろうか。
「聞けば、ご病弱と噂の弟君もご出席なのですね。心配申し上げますわ。カーライル侯爵令嬢は最近はよく社交界へ参加されておられますが、元々あまり出席されていなかったご様子ですが」
弟は身体が弱いのに出席できるのか。セシリア自身も社交を苦手としているのに、大丈夫なのか、と要は嫌味を言われているのだ。
「ご心配、いたみいります。ところで、お茶会はお庭で催されるのでしょうか?」
「そうですわ。公爵家では今、花々がうつくしく咲いておりますので、おいでくださった方々の目を楽しませましょう」
「まあ。では、フェアクロフ公爵令嬢のお好きな蛙もいらっしゃるかしら」
セシリアはフェアクロフ公爵子息から聞いていた切り札がどんな効力をもたらすかを知ろうと、早々に切ることにした。
「ど、どういう意味かしら」
「お兄さまから伺いましたの。ご幼少のみぎり、蛙に親しんでいらしたとか」
公爵令嬢はさっと顔を赤らめた。
セシリアはそのときふいに思いついた。
公爵令嬢はセシリアが適当に言ったとおり、本当に蛙が好きだったのではないだろうか。
「本当に蛙がお好きだったのではないですか?」
気が付けば、セシリアはそう声を掛けていた。
「え?」
公爵令嬢は珍しく戸惑った素の表情を浮かべる。このとき、セシリアは公爵令息の援護によって、公爵令嬢の強固な壁にひびを入れたのである。魔導書が聞けば『アンタ、なんで公爵令嬢を攻略してんのよ!』である。もちろん、そうしようと思ってしたのではない。
「わたくしも経験があります。わたくしは健康そのもので育ちましたが、弟は身体が弱いのです。ですから、公爵令嬢も少しでも病床のお兄さまのお慰めになれば良いと思われたのでは?」
セシリアはなるべく誠意をこめて話した。フェアクロフ公爵令嬢は逡巡ののち、観念したように答えた。
「そ、そうですわ」
セシリアがふと思いついた考えは的を射ていた。公爵令嬢はいたずらをしたのではなく、身体が弱かった兄を励ますために、好きな蛙を見せようと思ったのだ。しかし、それは兄には上手く伝わらなかった。けれど、こうして兄に近づく女性を品定めするほど、好きなのだ。
「では、まず、誤解を解きましょう」
「でも、」
「謝罪されたくはない?」
「そうではありません! そうではないのですが、お兄さまはわたくしと目も合わせてくれません。お話しするなど、とてもではないですが」
セシリアはしばらく待ったが、公爵令嬢は続く言葉を持たないようだ。「できません」とは言いたくないのだ。セシリアにはその気持ちが良く分かった。アンジェラやハロルドのことは恐ろしい。けれど、彼らの企みを阻止しなければならない。「できない」では済まされないのだ。
「では、わたくしがお茶会のときに兄上さまがお好みになった薬草茶に用いた薬草をお持ちしますわ」
「どうして協力して下さりますの?」
「実はわたくしもやらねばならない困難なことがございまして、そのことに助言を下さる方がおられますの」
だから、これは恩返しの一環なのだ。
「ご自身へ返さなくてもわたくしがほかの方のお役に立てることができれば、喜んでくださる方なのですわ」
言って、セシリアは微笑んだ。それに勇気づけられるようにして、公爵令嬢は頷いた。