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1.侯爵令嬢1

 

 カーライル侯爵家には代々伝わる魔導書がある。

 気まぐれに予言が記されるのだと言われている。ときには、問いかければ答えが返ってくることさえあると称されている。そうして、その魔導書は侯爵家を守ってきた。

「当主でない者がその魔導書を開けば、わざわいが降りかかる」

 と、まことしやかな言い伝えがある魔導書だ。


 その魔導書の力を今、カーライル侯爵令嬢セシリアは必要としていた。




 セシリアはこのところ、夜ごとみる悪夢にさいなまれていた。


 どうしてこんなことになったのだろう。

 カーライル家は何代か続けて宰相を輩出する名家である。その後を継ぐ予定の弟ギルバートは生まれつき身体が弱かった。いわゆる、虚弱体質だ。

 どうして弟がそんな境遇に生まれついてしまったのか。なんなら、自分だったらよかったのに。女性の身であるならば、少々身体が弱くとも問題なかった。


 ギルバートはとても頭が良い。きっと、宰相の務めも立派に果たすことだろう。だというのに、物事は往々にしてそう上手く事が運ばないものだ。


 それでも、多少の問題があっても、カーライル家は高位貴族の家門であり、その地位は盤石だ。

 だから、初め気づいたときには、すぐに軌道修正ができるものだと思っていた。けれど、ひとつに取り掛かっていると、次は違う方面から問題が起きた。そちらへ向かうと、その次はまた別のところで事件が起きた。あれよあれよという間に、加速度的に事態は悪い方へ傾き、奔走するうちに手の施しようがなくなっていた。


 なにが起こったのか、まだ、はっきりと理解していない。けれど、今のままでは、あの通りの結末を迎えるということだけは、分かっていた。

 猶予ゆうよしている余裕はない。


 セシリアは、いずれ訪れるであろう悲劇を避けるために、起死回生を望んでカーライル侯爵家に伝わる魔導書を手に取ることに決めた。


 病弱な弟に代わって、領地経営を手伝っていたことが幸いし、ある程度の裁量を任されている。魔導書のこともそれを保管する部屋の鍵の場所も伝え聞いていた。


「お前が男だったら」

 父に、ため息交じりにそう言われたこともある。

「お父さま、お気を確かに。ギルバートは長じるにつれ、壮健になりつつあります。あの子の聡明さが我が侯爵家にきっとより良い結果をもたらすことでしょう」

「そうだな。親のわたしが信じてやらなければ。済まないな、セシリア。いつも君には苦労をかける」

「いいえ、わたくしとて、カーライル家の一員ですもの」

 そう言うと、父は穏やかに微笑みを返してくれた。

 セシリアが女だてらに領地経営のことなどを手伝っても、鷹揚に受け入れてくれる。


 逆に、母カーライル侯爵夫人は苦々しく思っているようで、しきりに茶会や夜会といった社交に連れ出そうとした。


 セシリアはそういった場所が苦手だった。なにを話せば良いのか分からないのだ。だから、いつも気持ちを出さない貴族の微笑(アルカイックスマイル)を浮かべて、ひたすら相手が話すことに相槌を打つことにしている。それなりに知人はいるが、友人と言える者はごくわずかだった。そんな状態であるのに、結婚相手を探せというのは難易度が高すぎる。


 配偶者や婚約者を持たない貴族の子女が社交界で行うものの第一が婚活である。家門のためになる相手を見つけるのだ。たまに「運命の相手に出会った」という非常に恵まれた者もいると聞く。


 イームズ侯爵家から婚約の打診があって、話がまとまってようやく解放された。けれど、婚約者を得た後も、母はなにかと口うるさかった。

「あなたも男性まがいのことをせずに、女性らしく振る舞いなさい」

 母は扇の縁取りのレースの向こうからこちらを品定めするような目つきを向けて来る。貴族の婦人特有のものだ。セシリアはこれが好きではなかった。




 セシリアは今、保管室の鍵をこっそり持ち出し、人目を盗んで入室していた。


 室内はそう広くないが、壁一面に架けられた棚にはいろんなものが陳列していた。窓を挟んで逆側の壁には中央に上半分にガラス戸がはめられたタンスがある。仕切りを取り外された中央部分に鎮座する古書がおそらく、目当ての魔導書だろう。


 ガラスに手をかけ、そっと横にスライドさせようとした。が、動かない。

「ああ!」

 ここへ来て、ガラス戸の鍵を要求されるのだ。父の執務室の鍵置き場に、果たしてこの戸を開ける鍵はあるのだろうか。


 セシリアは諦めきれず、ガラス戸の下の小さな引き出しを順々に開けて行った。

 そこにうつくしい木彫りの小箱があった。ある予感のもとに開けてみると、ビロードが敷かれ、その上に鍵が載せられている。そっとつまんで取り出し、ガラス戸の鍵穴に差し込むと、かすかなきしむ音を立てて開錠した。


 ガラス戸を横に滑らせ、セシリアは魔導書と対峙する。爪先でつついてみても、とくに火花が散ることも煙が立ち上ることもない。引っ込めた手を見つめても、やけどの跡もない。

 セシリアは意を決して魔導書を手に取った。


 表紙を開くと、そこには————白紙があった。めくってもめくっても、なにも書いていない。

 題名も、目次もない。真っ白だ。

 落胆がじわじわと足元からせり上がってくる。喉に熱い塊が押し込められたような感覚に陥り、何度か深呼吸をしてやり過ごす。


 そうしてから、セシリアは魔導書に語り掛けた。長い長い話を始めた。

「わたくしはカーライル家の娘セシリアです。当主ではないのに、魔導書をひも解くこと、どうかお許しくださいませ」


 セシリアは三年後に処刑されるのだ。自分だけでなく家族全員である。

 罠を仕掛けられた。そして、処刑されて命を失ったはずなのに、なぜか三年前の現在に時間が巻き戻っていたのだと語った。


 セシリアはこのところ抱えていた鬱屈を吐きだすことができて、幾分、気持ちがすっきりした。それだけでも、危険を冒して魔導書と対峙しただけはあると思えた。


 ふと、白紙のページに視線を落とすと、どうしたことか、古語が浮き出てきた。

「え?!」


『これぞ、逆行!! やり直し令嬢、キタァァァァ!!』




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