8 追ってくるシナリオ
「……はっ、」
私は彼を見た途端、息が吸えなくなり、その場で硬直してしまう。視線もまるで縫い付けられたように動かすことが出来ない。
「……セレ?」
「どうしましたか? ……ミーシャ? っ呼吸が止まっていますよ!」
私の異変に気づいた王子達が声を掛けてくれるけれど、いくら話そうとしても何故か口から音は出ない。
私はなんとか彼から逃れようと、その人とは反対の方向へ指をさして、あちらに行きたいと伝えた。
「……向こう行きたいんだね?」
私の硬い表情を見てとったのか、ジェラルドは真剣に、笑い飛ばしたりせずに聞いてくれた。
そのことに心が温かくなるのを感じつつ、私が頷いて同意を示すと、ジェラルドは片方の手を取って、アルフレッドは背中に手を添えて歩いてくれた。
「こんにちは。すみません、そこのお嬢さん」
そのときだ。後ろから声が掛けられたのは。
……逃げ遅れてしまったわ。
私がよく知っている声に、呼吸も止めたまま、どうしようと思考がぐちゃぐちゃにかき混ぜられたようになる。
「お嬢さん?」
再び声が掛けられる。……いつまでも振り返らないわけにはいかない。でも、顔を見られるわけにもいかない。そのため、私は振り向きざまに魔法で目の色を変えて、顔には認識阻害の魔術をかけた。
認識阻害は、その魔術をかけたものの印象を残さないようにするものだ。だから、この魔術を使うのは流石に怪しまれそうかもと思ったけれど……お忍びの貴族などは使うこともあるし、顔を見られるよりはよっぽどマシだと判断した。
そうして振り返った先には――私の父である侯爵の側近が立っていた。
「ああ、すみません。どうやら人違いのようです。探している人と後ろ姿が似ていたもので」
その言葉にほっと安堵するのを感じつつも、それを顔に出すようなことはせず、微笑むにとどめておく。
……ええ、側近の表情を見ても、私だということはバレていなさそうだわ。認識阻害の魔術は、かけられた部分がモザイクのように見える。おそらく、側近は瞳の色で探している人ではないと判断したのではないだろうか。
……何故彼がここにいるのだろう。隣国の侯爵当主の側近である、彼が。
そう考えたとき、私は一つの推測に辿り着いた。
……彼は、私を侯爵家に連れ戻すために来たのではないだろうか。彼とは長い付き合いだし、仲もそれなりに良いため、私の考えを読んで行動するのには適任だと思える。事実、隣国の王都にいることを当てられてしまった。
私はそこまで思案すると、さっさとこの場を離れてしまおうと考える。
「そうか。では、私も急いでいるためこれで失礼するよ」
最後まで気を抜いてはいけない。私はバレないように、それらしく口調を変えてみた。
「それは失礼しました。ありがとうございます、では」
そうして彼が遠くへ行き、見えなくなったのを確認すると、ふっと体の力が抜けてしまった。
前に倒れそうになったところを、ジェラルドに支えてもらう。アルフレッドも私の背中を撫でて、落ち着かせようとしてくれているようだ。
「……ありがとう、ございます」
礼を言った私に気にしないでと答えた後も、二人は険しい表情を崩さなかった。
「彼は、誰でしょう? 危険人物ですか?」
「……いえ。ただ、私が避けたかった方でして」
「……そう。……ねぇ、セレに害がある訳ではないのだよね?」
「そう、ですね」
一応、連れ戻されるのそうだと捉えるのなら『害』になるけれど……ジェラルドの言うものとは少し異なる気がするので黙っておく。
「……今日はもう、町歩きは終わりにしようか。店に戻ってゆっくりしよう?」
ジェラルドの言葉を聞いて、私は未だに力が入らなさそうな体に苦笑して、申し訳なく思いながらも提案に頷いた。
すると、不意に体に浮遊感を感じた。何処かで、きゃあああ! と黄色い悲鳴が上がる。思わず耳を塞ぎながら状況を確認すると、どうやらアルフレッドが横抱きしてくれているらしいことが分かった。所謂、お姫様抱っこである。
「わわわ、歩けますよ」
「いや、脚に力が入っていないでしょう? 今のままでは立ても出来ないのでは?」
私は正論を言われて押し黙った。そして、そんな私の表情を見たアルフレッドは何故か満足げな顔だ。
……だが、一つ言わせてもらおう。
正直、両手に花からのお姫様抱っこは辛い。
それから店に向かっていると、ふと思った。
もし王子があの側近が誰なのかを調べたら、すぐに私が侯爵家の人間であることはバレてしまうだろう。これだけを聞くと絶望的に思えるが……
側近である彼は、場所に応じてさまざまな変装をしている。王都から遠くの異国まで、本当に色々なところへ調査しに行くからだ。変装した彼には付き合いの長い私でも気づけないだろう。
今日、私が気づけたのは本当に偶然である。昔に一度彼がその変装をした姿を見たことがあり、向こうより先に気づくことができたのだ。
だから、彼の変装を見ていなかったら私でも気づけないほどの変装を、王子が見破れるかといったら……否、だと思いたい。
……私はなんとしてでも乙女ゲームから逃げたいのだ。なぜなら――
「着いたよ」
そこで、ジェラルドのいつもより優しい声が耳に入った。どうやら考え込んでいる間に着いていたようだ。店に入ると、アルフレッドは壊れ物を扱うかのように丁寧に下ろしてくれた。
……うん、体も大分回復したようだ。
……なら、私がまずしないといけないのは。
「ごめんなさい! せっかく誘ってもらったのに……」
私は前世で鍛えた90度のお辞儀をして、謝罪する。
「いや、大丈夫だよ。それより、あの男はなんだい?」
「あいつも何か魔法を使っているようですし、何より言動といい行動といい怪しすぎるのですが」
「ええと……」
私は彼らの追及に、言葉を詰まらせた。
……正直、言いたくない。自分が隣国の侯爵令嬢だとバレてしまうかもしれないからだ。侯爵家には連れ戻されなくない。乙女ゲームの舞台には二度と立たないと決めたのだから。
そして、そんな私の様子を見てとったのだろう。ジェラルドは「なら、」と質問を変えてくれる。
「言いにくいのなら……そうだね、さっきの願い事の権利で教えてくれないかい? 無理ならまた別のことを聞くけれど」
……違ったようだ。どうやら、追及することに変わりはないらしい。けれど、彼は私を気遣ってくれているので、町歩きを台無しにした責任も含めて、出来る限りの誠意を見せたいとは思う。
「……そうですね。言いたくはないです」
「では、セレについて聞こうかな? セレが何処から来たのか、何歳なのかとか。自己紹介をして?」
私はジェラルドの提案にこくりと頷いた。
「……それなら。ええ、大丈夫です」
本当はこれも言いたくなかったのだけれど……でも、ほんの少しだけなら。
「改めてまして……ミズキです。隣国エリード王国から来た16歳で、魔術師として働いています。全属性持ちで、母国ではそれなりに強いとは言われましたので、多少力はあるのだと自負しております。……あとは——」
そうして、言葉を続けようと口を開いたとき、カランコロンとドアのベルが鳴った。私はCLOSEの看板は掛けておいた筈だけれど、と入り口へ目を向ける。
そこには、少年――いや、少年のように見える青年が立っていた。見慣れた、子供のようにふわふわと跳ねる、サンディブロンドの髪が目に入る。その柔らかなベビーピンクの瞳は嬉しそうに輝いていた。
「ソフィー!!」