1章(7) ―― ダマスカス鋼の製法口伝
西棟の会議室は、座る司書たちで埋まっていた。
勉強会が行われる日は、司書業務は早めに切り上げられる。司書を目指す若い司書補もいるから、司書補たちが行う事務作業も同じだ。深いグリーンのジャケットを身につけた司書たちが会議室に並べた椅子に座っている。西域風の人間族が半分と少しを占めるが、色合いの異なる髪や肌、獣の耳や角が生えている者も多い。図書館が世界中から司書を集めているが故の多彩さだった。
勉強会は、図書館の日常のひとつだ。ただし、あくまで聞く側として。
発表する側のガレスは、会議室の前方に立ち、緊張した面持ちで居並んだ司書たちを見つめている。発表者は二名で、一名は【物語】の紹介、一名は投射の紹介をする。ガレスは後半、投射の紹介をする番だった。
たったいま、十五分ほどの発表が終わったところだ。
(……テーマも、発表も、悪くなかったはず!)
ガレスは内心で拳を握る。
ヴァーサからのアドバイスを受けて、自分の得意として剣を選んだ。刺突、斬撃、叩き付け、それぞれに適した剣があることを示し、紹介したのだ。
古来より、ヒトが最も頼りにしてきた武器は、槍と弓であった。射程の長さこそが、獣と人を隔てる強さだ。
ただ、図書館では少々事情が異なる。
狭くて暗い図書館では、長槍や弓は少々取り回しが悪い。戦闘は個人か少人数であるから、槍衾を張ることも難しい。個人武装としての槍は対応力が売りだが、ダイスからの投射では活かしにくい特性でもある。カシウスほどの技術があって初めて『兵器の王』と呼ばれる力を発揮できるのだ。
剣は、種類の豊富さと、扱いやすさで優れる。長短、軽重、選択肢が豊富でいて、剣という概念からは大きく外れない。
……と、そのような発表は上出来だった。結局ヴァーサに桃のジュースを奢り、準備に協力してもらったこともあり、ここまでは順調だ。
(問題は、ここから……)
発表は十五分。その後は、更に十五分程度の質疑応答の時間だ。
質問に答えられるかどうかも、司書の実力のひとつ……レファレンスの業務を考えれば、中心となる能力と言ってもいい。不備や心得違いがあれば容赦なく突っ込まれる時間でもある。
「質問がある者は挙手を」
進行役の司書長が促すと、ぱらぱらと手が上がる。
ガレスにとっての唯一の救いは、司書長からの質問や指摘は、原則としてないこと。最後に短い総評を行うのが通例だった。
(……あまりにも出来が悪いと後で呼び出されるって噂だけど)
ごくりと喉を鳴らし、投げつけられる質問の刃へ、立ち向かうように答えていく。
「どの剣から覚えるのが良さそうですか?」
「刺突が使いやすくて斬ることもできる、グラディウス・ヒスパニエンシスか……少し長いスパタが良いと思います」
「鋼鉄の理解を深めるのに良い資料はありませんか」
「エルメンライヒの<鉄鋼>とか。小説なら<鍛冶屋リンカ>シリーズ。<ダマスカス鋼の製法口伝>はかなり細かいのと、やや不正確です」
「カタナのことを知りたいです!!」
「……語り切れませんが、鍛錬が非常に複雑、扱いも刃筋を立てる必要があって、とにかく難しいです」
「もし刃が通らない【物語】に逢ったらどうする?」
「その場合は……ツヴァイハンダーのような重い剣で叩くか、槍や槌などの武器に切り替えます。あるいは、網みたいな拘束具を使います」
等々。
質疑応答に入り、あっという間に十四分ほどが経過した。ガレスは頬を少し上気させ、当初の緊張などどこかに吹き飛んだように思考を回転させている様子である。時折考える時間を取ったり、つかえたり、丁々発止とはいかずとも、真摯に質問と向き合っていた。
司書長エリテがその鋭い視線を会議室内へ巡らせて、最後の質問者を指名する。
「クライゼン」
「【現実】分野は専門外ですので、恐縮ですが――」
そう前置きして、初老の男性が椅子から立ち上がる。ほとんどが白に染まった髪と、自然に腰の後ろで手を組む立ち姿は、齢三十に満たない司書が多い中で目立っていた。黒縁の片眼鏡が、温和な笑みを飾っている。その穏やかな立ち姿に、司書たちの視線が集まる。
無論、誰もが視線を集中させる理由は、年齢だけではない。
初老の小柄な男――東棟の一級司書、<全てを見たる>クライゼンの質問だからこそ、皆は言葉を止めて彼を見るのだ。恐れる故ではなく、言葉を聞き逃さんとする、積極的な沈黙だった。ガレスの喉が、忘れかけた緊張の味を思い出してごくりと鳴る。まさしく、勇羊族のことわざに言う、『角が凍る』瞬間であった。
「剣という存在の【物語】を知る上で、象徴としての役割は重要でしょう。槍や弓と比べても、やはり剣は象徴的ですな」
会議室の沈黙に、落ち着いた、低い声が行き渡る。そこで一呼吸おいて、老司書は問うた。
「今日の発表は大変素晴らしいものでしたが、その役割については避けていたように思います。理由をお聞かせ願えますか」
司書長が返答を促すが、ガレスは咄嗟に声が出ない。辛うじて、頷く。
(十五分では語り切れないから、今日は【現実】の面のみ話した)
そのように、嘘をつくのは簡単だ。
けれど、ガレスはそうしなかった。
老司書クライゼンは、立ったまま、片眼鏡を通してガレスを見ている。前のめりになりかけた姿勢を正して、視線を見つめ返し、恥ずかしさとか、悔しさとか、冷静たろうとする声に感情が滲むまま、答えた。
「……僕の力不足です。【幻想】を含む投射が、苦手なので」
「なるほど」
クライゼンが小さく微笑んで頷く。
未熟を吐露した司書を、咎めるどころか、良い返答だと思っているのが明らかな表情だった。
「苦手を知るのは結構。しかし、まだお若く、筋も良い。目を背けず、挑戦するのが良いでしょう」
「……ありがとうございます」
受けるガレスもまた、喜びに緩みそうになる唇を引き締める。
激励であると同時に、それは、脅迫でもあった。
「魔剣聖剣の類にはいささか覚えがありますから、質問などあればいつでもどうぞ。おっと、喋り過ぎましたな、失礼」
図書館で誰よりも幻想小説に精通した男は、そう言って一礼し、椅子に戻った。
司書長エリテが手を軽く掲げ、会の終了を告げる。
「時間だ。総評を軽く。ガレス、良く調べている。実践にも言及していて悪くない。だが、クライゼンが言ったように、興味を狭めるなよ」
言葉を切り、集った司書たちを見回して――控えめに言っても睨みつけるように――続ける。
司書たちの心胆を大いに寒からしめる普段の怒鳴り声よりも熱がこもった、静かな声で。
「【物語】が、物語と呼ばれる由縁を忘れるな。……以上。解散」