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1章(6) ―― 草記

「それにしても、好きだよねー、剣。男の子って、なんでみんな武器が好きなの?」


 ヴァーサが呟く。無言で見守るのにはすぐに飽きたらしい。

 ガレスは切りのいいところまでペンを走らせて、一度置く。ふむ、と勿体付けて考える素振りで一秒ほど稼いだ。


「……有用だと思ってるだけで、好きなわけでは」

「嘘」

「う。……実際、好きだけどさ。理由を聞かれても難しい」


 ガレスの声に誤魔化す調子はない。ヴァーサにも、表現の難しさは伝わったのだろう。不満げに唇を尖らせはしても、文句は言わない。


 勉強会の準備に思考の大半を割いていながら、少女の疑問に、思考は勝手に回り出す。剣。武器。白兵武器。それらを主体に投射する今の戦術は確かに自分で選び組み上げたが、思えば、剣に対する感情は図書館に入る前からあったのだ。


「……昔」

「うん?」

「村に、一冊だけ本があってさ」


 ガレスの思考が辿り着いた過去は、故郷の村の情景だ。

 町外れの、古く広い屋敷。年老いた、物好きな男が一人住んでいた。


「【物語】を恐れて、騎士や司書がいない村じゃ、本を勝手に置くのはご法度だ」

「出てくるのが兎とか鹿ならいいけどね」

「ただの狼とか熊でも、村が亡びるからな」


 それで?とヴァーサが促す。


 ガレスの脳裏には、図書館の基礎教養として記憶術を修める前の、淡く、あいまいで、胸を締め付けるような、過去の光景が広がっていた。


 日差しを避けた薄暗い部屋の中、大きな書見台に載せられた書物が、ただ一冊。

 頁はぼろぼろで、虫食いで読めない箇所もある。表紙だけは、遍歴の装幀師に依頼したとかで、銅で補強された革張りの、中々立派な装幀だった。


「他の本は全部司書に差し出したけど、一冊だけは守り切ったって爺さんは言ってた」

「根性あるー。……実際、辺境で【物語】が出るのってどのくらいの確率?」

「<アレクサンドリア>大結界が、九割集めてて……残りの一割が、世界中の本に分かれて顕現するわけだから。一冊二冊本を持ってたところで、確率は変わらないだろうな」

「ガレスのダイス運でも勝てそうなくらいか」

「表現に悪意があるぞ」


 <アレクサンドリア>大結界。

 それこそが、図書館を図書館たらしめる理由の、最たるひとつだ。


 ありとあらゆる書物から発生する【物語】。その発生を引き寄せて、図書館の内部に限定する。世界が【物語】で溢れてしまうことを防いでいる、巨大な結界であった。


 もちろん、【物語】を相手取る仕事の常として、絶対はない。図書館の公称によれば、世界で発生する【物語】の九割方を集めているという。余談だが、この数字が、図書館に各国から送られる『人類の叡智に対する善意の寄付』の根拠だ。


「話が逸れた。えっと……その一冊が、<草記>だったんだ」

「地味な。一冊選ぶなら、普通は神話とか、騎士物語になるんじゃないの?」

「支配権が問題にならないような、辺鄙な土地だったし」


 <草記>は、かつてあった、人と妖魔の戦争に関わる多くの者の一代記をまとめた本だ。

 ヴァーサが首をかしげる通り、英雄譚と同時に、英雄とは言い難い市井の話や失敗談も多く収載されている。


「今にして思うと、相当安い写本だったけど……何度も読ませてもらって」

「へえ……」


 遠い過去を見つめる横顔を、ヴァーサは見つめる。盗み見ているわけではないけれど、少年は無防備な表情をさらしていると気付く様子もない。


「色んな人が、色んなものを守るために、剣を取った。武器だけど、守るための力。……それが、凄いな、って思ったんだと……思う」

「語るねえ、ガレスくん」

「からかうなよ」

「褒めてる褒めてる。強い英雄じゃなくて、色んな人、なんだ?」

「……英雄に憧れたのもあるけどな、もちろん」


 たまに訪れる旅人や、年に一度の祭りだけが娯楽の、辺境だ。【物語】が現れたら危険と何度説教されても、ガレスを含む子供たちは足繁く老人の元へ通い、それぞれのお気に入りの章を奪い合って読んだ。字が読めない者には年長者が読み聞かせたり、歴戦の白騎士と武僧ガーランドのどちらが強いかを論争したりしたものだ。


「もしかして、図書館に来たのもその本がきっかけ?」

「……そう」

「色々あった?」

「鋭いな」

「司書で、色々なかった奴なんていないでしょ」


 言いにくそうなガレスの答えを、ヴァーサが笑い飛ばす。

 特段、掘り下げるつもりもないようで、あっさりと会話の矛先を変えた。


「じゃ、実物の剣より先に、物語の剣に憧れたわけだ」

「そうなる。……で、図書館に来る途中で実物を見て、惚れ込んだ」


 過去を思い出したからか、連なる記憶が連鎖的に思い出される。

 ガレスは瞼を閉じて、その瞬間を思い出していた。


 特別な、魔剣名剣の類を見たわけではない。


「遍歴騎士が剣の手入れをするのを、偶然見かけて。死ぬほど頼み込んで、見せてもらったんだ」

「あはは、迷惑」

「同感」

「惚れるほど、良い剣だったの?」

「……何の変哲もない、よく使い込まれた剣でさ。戦いの痕とかもあった。多分、あれが、本物だった」


 ガレスが残念を感じるのは、もう、記憶は既に細部が曖昧なことだ。今のガレスの知識ならば、もっと細かいつくりや意匠まで読み取れただろう。ただ、焚き火に照らされた刀身の重く鈍い輝きを見た時の、息を呑むような、名前を知らない感情はよく覚えていた。


「なるほどねー。結果、剣マニアになったと」

「魔術マニアに言われたくないけど」


 ……ヴァーサの容赦ない言葉で、過去から現在へと思考の焦点が戻る。

 そうしてノートを見つめなおしてみれば、何となく勉強会への光明も見えた気がして、ペンを握り直した。


 ほどなく、少し遠くから、他の司書がヴァーサを呼ぶ声がかかる。


「ヴァーサ、魔術書の鑑定手伝ってー」

「りょーかーい。じゃ、頑張んなさい、ガレス」

「ああ。…………ありがとう」

「桃ジュース忘れんなよ」

「言ってろ」


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