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1章(5) ―― 司書のルールブック

「ううう……」


 休憩室の片隅に、ガレスが無意識にこぼす唸り声が小さく響いていた。

 握り締めたペンは先ほどから全く進んでおらず、意味もなく宙をさまようばかり。開いたノートにはいくつかの単語が、思い付いては横線で消されていた。白く柔らかそうな癖っ毛も、今はため息に濡れてぺたりとして見える。

 勉強会の発表が近くなると、司書たちがよく陥る状態だった。


「悩みすぎ、ガレス」


 意気消沈したガレスの手元を覗き込んできたのは、ヴァーサだ。慰めるような言葉だが、声音は甘ったるい笑みを含み、つり目がちな目元は愉快げに細められている。捕食者の表情だ。


 椅子を引いて、許可もしていないのに隣に座る少女へ、ガレスの胡乱な視線と両側頭の巻き角が向けられる。


「邪魔するなって」

「相談に乗ってあげようってのに。次、どっち? 【物語】紹介だっけ?」

「いや、投射の方」

「なら楽勝でしょ。ガレスは【現実】寄りなんだし」

「あのな……」

「何?」


 ガレスがとげとげしい視線を向けるものの、ヴァーサには意図は伝わらなかった。不思議そうに首を傾げ、からかっているのではない表情で問い返す。髪から飛び出た長い耳が、ほんの少しだけ興味深そうに動き、耳の先端を覆う銀細工の飾りがランプの灯りに煌めいた。


「お前が前回凄かったから、ハードルが上がってるんだよ」

「そう?でも反応鈍かったし」


 人差し指をくるりと回す仕草は、森精族(エルフ)の古い習慣だ。悪感情のない否定や呆れを示す仕草で、肩を竦めるのと大体同じような意味にとっておけばよい。


 ガレスは、見せ付けるようなため息をひとつ。


「反応が鈍かったのは、高度だったからだろ。【幻想】が解る人は頷いてたし、ルールブックにメモ取ってたぞ」

「あちゃ。マニアックすぎたかー」


 ヴァーサの苦笑が、次の瞬間には意地悪く揶揄う笑みへと変じる。感情表現が控えめな者が多いとされる森精種にあって、珍しくくるくると変わる表情は、整った美しさを和らげていた。


「あたしのことはいいんだって。ガレスが何にするか、でしょ?」

「勝手に見るなよ……!?」


 ヴァーサが、机に置かれた文庫サイズの本へ手を伸ばす。使い込まれた飴色の革と、金具で守られた十二折り判(デュオデシモ)が、ガレスのルールブックだった。少女の指先がページをめくり、書き込まれた内容を蒼い瞳が追っていく。


 ルールブックは司書が自分のために書くものだ。特に隠しているわけではないが、他人に見られるのは少々気恥ずかしい。

 ガレスの得手を反映して、ルールブックには多くの武器の情報が描かれていた。外観のスケッチ、色合いや素材。形状の効果。製造工程。原型と進化。歴史の中で果たした役割。様々な本から丁寧に拾い集めた情報の断片を、ひとつのページにまとめる。それこそが、ダイスを振る際に、確かなイメージの基礎となる。


 ダイスを振る際、イメージが揺らげば、投射されるものも揺らぐ。

 【現実】に比べ、【幻想】を扱うにはある種の才能が必要になるとされる理由だ。魔術など、本来あり得ぬ現象を正確に描くことは、難しい。


 翻って、【現実】の属性を持つものは、突き詰めれば模写に近い。知識を詰めるほどに正確になっていく【現実】の投射を指して、過去に、ある一級司書は言った――『固定値は、裏切らない』。


 ダイスの出目が悪くとも戦える。三級司書時代、周囲から<期待値は三(エクス・スリー)>などという不名誉な綽名を頂いたガレスが【現実】の武器を求めるのは、趣味だけが理由ではなかった。


「相変わらず武器ばっかり。好きだねー」

「悪いか」


 ルールブックを扱う指先は、ヴァーサにしては丁寧だ。つまり、ガレスから見るとはらはらする手付きだった。本を放り出すように机に置いての感想は、吐息交じりの苦笑。仕方ないなあ、と言わんばかりの言い方だ。


 ガレスが努めて無表情を保ち手元のノートに視線を落とす。その仕草に、ヴァーサの瞳が輝いた。机に手をついて覗き込むような仕草は、獲物をいたぶる猫にそっくり。


「悪くないって。武器、頼もしいし。あ、良いコト思い付いた……ヒントあげよっか」

「……言ってみ」

「桃ジュース一杯で」

「帰れ」


 お世辞は受け流したものの、ヒントに一瞬だけ期待してしまった証拠として、ガレスは重々しくため息を溢れさせた。

 ヴァーサはそのため息にこそ愉快げに唇を釣り上げる。


「冗談冗談」

「絶対本気だったろ……」

「ガレスのそれ、かなり良く調べてあるんだし。一番自信があるやつ、そのままぶちまければいいんじゃない?」


 ガレスの言葉が、喉に詰まった。握ったペンが彷徨い、広げたノートに無駄な線を描く。まじまじとヴァーサを見た後、一度視線を外し、文句を言いたげな顔でもう一度見つめる。数秒経って、ようやく頷いた。


「……そうする」

「ふふん。わたしに感謝しなよー、キミ」


 にまにまと、森精族の少女は上機嫌を隠さない。

 見透かす笑みを居心地悪く感じながら、ガレスはノートに視線を落とし、ペンを滑らせる。


 しばし、無言の時間。ペンが紙にインクを書き付ける音だけが響く。


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