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1章(4) ―― 小さな雪の国の物語

 背後からガレスたちに迫る蜘蛛に、カシウスも気付く。


「奢るじゃねえか。一発、本気で行くぜ……!」


 笑い、吼えた。構えを変え、腰を深く落とす。

 消えた。

 少なくとも、ガレスからはそう見えた。

 だが、蜘蛛女の【物語】は六つの瞳で影を追っている。


 カシウスの槍が閃光のごとく蜘蛛女の脚を二本貫き、三本目に弾かれる。槍の穂先から雷光が三発、輝く。

 蜘蛛女の脚を蹴って三級司書たちを飛び越え、空中から二突き。後ろから迫っていた蜘蛛を二匹突き殺し、雷が二条。

 槍を大きくぶん回して勢いを制御。

 ガレスたちを回り込み、上から振り下ろされていた蜘蛛女の脚を弾いて、再び向き合う。


 一瞬の出来事だ。

 ガレスも、槍の軌跡を目で追うのが精いっぱいだった。

 三級司書に至っては、槍の刺突と同時に輝いた雷で目の前をちかちかとさせている。


「……はっ。エリテからは、教育に悪いからあまり見せるなって言われてるんだが」


 狼の口元には笑み。威嚇する獣の表情だ。

 【物語】とて、生物型なら、命の危機くらいは理解する。二本の脚を失った蜘蛛女は、ダメージなどないように、さらに加速した脚を振るう。対してカシウスは、脚をはじき返し、本体を突くチャンスを狙う構え。


「先輩、後ろの蜘蛛は……僕が!」

「任せた!」


 短いいらえ。ガレスが小さい蜘蛛の【物語】と相対する。

 残り一体。加えて、更に暗闇から一体現れる。

 <落雷槍>に貫かれた蜘蛛は、文字となって消えていくところだった。


「剣! ……戦槌!」


 襲い掛かって来た子蜘蛛を剣で止め、後ろの子蜘蛛は戦槌で打ち据える。

 戦槌の一撃はガレスにとって渾身だった。だが、倒すには至らない。逆に、受けるために出した剣は子蜘蛛の脚で軽々と弾かれてしまう。

 ガレスは、その強さにこそ確信を得て、頷く。


「この強さは……蜘蛛女と、同じ質。同じ【物語】だ」


 【物語】は通常、単独で顕現する。だが、稀に複数で現れる【物語】もある。召喚の能力を持っている場合や、群体として顕現した場合だ。

 蜘蛛という要素と合わせて考えることで、ガレスはほどなく、知識の書架から目的の本を探し出した。


 正解に辿り着くまで時間が掛かったことで、ガレスを責めることはできないだろう。

 主類自然科学(五〇〇)と技術(六〇〇)を司る西棟に、幻想小説の【物語】など、いるはずがないのだから。


「カシウス先輩! こいつは<黒の女王>です! <小さな雪の国の物語>の!」

「なるほど、知らんわけだ! 幻想小説はあまり読まないんで、な……!」


 しなる槍をしごき、刃と爪がぶつかる音を響かせ続け、カシウスが笑う。

 ガレスは、幻想小説に描かれた蜘蛛女こと<黒の女王>の描写を、記憶から引っ張り出す。最後に読んだのは随分前だったが、印象的な敵役として覚えていた。


 強大な蜘蛛の肢体に、鋼鉄の如き脚と爪。

 糸を使った拘束。

 配下の子蜘蛛を操る権能。

 そして、最後の能力は。


「倒すと、小さい蜘蛛をまき散らすはずです!」

「おっと、了解!」


 敵が隠した札を知って、カシウスの槍は鋭さを増す。

 その間、後ろから襲ってくる子蜘蛛二匹を相手取るのはガレスの仕事だ。槌でも潰れず、剣も弾かれた。


 <黒の女王>に辿り着いた瞬間、ガレスの記憶は一気に色を帯びた。記憶にある書物のどれもが、手触り、匂いまで思い出せるほど鮮明だ。厄介な子蜘蛛に対する策として、記憶の書庫から一冊の本を選び出す。


「倒せないなら、押さえつけるまで……投網(レテ)!」


 古代の大帝国で活躍した、剣闘士。彼らの戦いをまとめた年代記は、ガレスの愛読書のひとつだ。漁師を模した剣闘士の一派は、投網で敵を拘束し、三叉槍で攻撃したという。

 低く投げつけたダイスが輝き、剣闘士が振るった実物よりもやや大きい網となって子蜘蛛を覆う。網目は、一抱えほどある子蜘蛛が逃げ出せない大きさ。端につけた錘がしっかりと網をかぶせ、絡ませれば、子蜘蛛二匹は長い脚が仇となって抜け出せない。

 目は合わせて『四』、網はさほど強靭には作れなかったが、構わない。元々時間稼ぎに過ぎない。


 ガレスにとっては、視線を向けずとも聞こえてくる音で、ほとんど確信に近く戦況が伝わってきていた。連続する金属音は、カシウスが攻め立てているリズムだ。音の場所も、ほとんど一か所に絞られていて、蜘蛛女は防戦に回っていると示している。頼もしい、槍の音だ。

 子蜘蛛が新たに出てこないか警戒しつつ、ガレスが視線を後ろへ投げた瞬間が、決着の瞬間だった。


「もらったッ!」

「――ッギ」


 漏れた音は、悲鳴だったか。あるいは、外骨格が軋んだ音だったか。

 カシウスが突き出した槍は、防ごうと折り重なった蜘蛛女の脚を断ち切り、蜘蛛の身体を半ばまで貫く。


 その槍は、ある武芸者の得物だった。槍捌きは、達人の域。山ほどもある巨大な妖魔を討つ段になり、武芸者は、妖魔の単眼を狙って槍を投じた。投擲は、真上から見下ろす妖魔の眼を貫き、頭蓋を貫き、雲を貫く。人外の果し合いを文字通りの高みにて見物していた竜は、その鋭い穂先が自らをも貫くと見て、雷の吐息で迎撃した。十条の稲光を受けた槍は勢いを殺され、しかし、僅かに欠けたのみで武芸者の元へ落ち戻ったという。

 故に、綽名して<落雷槍>。


「突かば雷、振るわば嵐、雲を貫く大名槍――真名開帳、<華州宗定赤拵>!」


 カシウスの大音声。

 雷が、蜘蛛女の内から、天へ向けて迸った。


 稲光に照らされて蜘蛛女の黒い肢体が影一色となり、その影がほつれるように小さな蜘蛛となってばらける。けれど、子蜘蛛は一体も床に降りることなく、槍を中心に渦巻く雷で焼き尽くされた。焦げた死骸すら残さない雷は、触れた端から蜘蛛を文字へと還していく。


 ガレスが振り向くと、投網で拘束していた子蜘蛛たちもまた動きを止め、文字となって崩れていく。あくまで蜘蛛女の能力としての顕現である証左だった。


 宙に溶けていく文字を見送りながら、ガレスと、三級司書の誰かのため息が重なった。強大な【物語】のプレッシャーから解放された落差で脱力する彼らの尻を、カシウスの槍の石突きが軽く叩いた。


『いたっ!?』

「一体倒して気ぃ抜くな。死んだ振り、不意打ち、そのくらい【物語】もやってくるぞ」


 伝える表情は苦笑だ。言葉とは裏腹に、卒倒もせず恐怖に耐えた三級司書たちと、後ろを守り切ったガレスに向ける視線は優しい。

 表情を引き締めようとする後輩たちを連れて次の本を探しに向かうカシウスの尻尾は、左右に大きく揺られていた。


 歩きながら、ふと、呟く。


「……それにしても、ファンタジーか」

「はい。東棟に<小さな雪の国の物語>が収蔵されているのは知ってますけど、西棟にはないはずです」


 ガレスが、疑問を引き取って答えた。

西棟は、主に主類自然科学(五〇〇)と技術(六〇〇)を収蔵する。幻想小説を含む主類文学(八〇〇)は、芸術(七〇〇)と共に、東棟に収蔵されているはずだ。

 続けて、三級司書たちも声を上げた。強大な【物語】を打ち倒した安堵と昂揚が、彼らの唇を綻ばせていた。


「階段を登ってくる【物語】っているんですか?」

「隠蔽も、【物語】除けの結界も、完全じゃないからな」

「でも、東棟から、中央棟を通って、西棟へ……?」

「無理だよねぇ」


 図書館地下の蔵書室は、それぞれ独立している。行き来する為には一階を通る他ない。司書たちの詰め所があり、最大戦力たる司書長が座す一階に【物語】が迷い出たならば、数秒で文字に還されるに違いない。

 三級司書のスイが、どこか茫然とした呟きで、結論を口にした。


「……では、この書庫のどこかに、<小さな雪の国の物語>が紛れ込んでるということですか」


 その視線は、周囲を見回している。


 立ち並ぶ書架。積み上げられた書物。点々と吊るされたランプの灯りだけが頼りなく照らす、本の迷宮。

 広大無辺の図書館に、一冊だけ迷い込んだ本を探すことが、どれだけ難しいか――カシウスとガレスが頷く仕草の重さが、表していた。


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