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1章(3) ―― テイラタームの筆跡

「よーし。よくやった」


 崩れた鎧が細かな文字となって消えていくのを見届けて、カシウスが構えを解き、剣を腰に提げ、振り返る。そこでようやく、ガレスも緊張を解いた。

 図書館に静寂が戻る。カシウスを先頭に再び歩きながら、先ほどの邂逅を評する。


「ガレス、よく気付いたな。騒霊現象は、地下二階から来てすぐは見落としがちなんだが」

「ありがとうございます……」

「だが遅い。手がしびれたぜ」

「うぐ」


 がくり、と音がしそうな仕草でガレスが肩を落とした。全体としては褒められたことが印象に残ったのだろう、口元は少し緩んでいる。

 カシウスは次に、わざわざ振り返って、三級司書の四人へ笑いかける。


「スイ、やるじゃないか。儀式魔術は難しいのに、良く使いこなしてる」

「まだ、構成を唱えないと投射できないので……」

「大したものだよ。お前らも良く冷静を保った。将来有望だな」


 怒られることの方が多い三級司書には、貴重な褒め言葉だった。


 その後も、目的の<魔術覚え書き>がある書架へたどり着くまでに、二体の【物語】と行き会った。ねじれた角を持つ凶暴な山羊と、毒針を尾に備えた巨大な蠍。いずれも、何かの魔術書から迷い出たのだろう。明らかに凶悪な【幻想】の生物を、ガレスと三級司書たちは何とか文字へ還して見せた。

 辿り着いた書架は奥まった場所にあり、精霊系魔術に関する書籍が集められている。


「よーし。グリュー、魔術書に触れる時の注意は?」

「ええと……魔術の罠を警戒します」

「そうだ。スイ、他には?」

「決して開かない、中を読まない」

「その通りだ」


 カシウスが、視線をガレスへ投げる。講釈しろということらしく、一瞬の間をおいて、ガレスが口を開く。


「魔術書は、中身自体も、結構な危険物であることが多いです」


 今、三級司書たちが触れようとしている書架を見て、続ける。


「特に、【入れ子】の魔術書は、元になった本での記述が再現されている場合があります。『触れると死ぬ』だとか、『読むと悪魔崇拝者になる』とか、『本を開くと封じられた悪霊が病となってばら撒かれる』とか」


 書籍を取り扱うための薄い絹の手袋に指を通していた三級司書たちが、動きを止めたり、嫌そうな顔をしたり、といった反応をするのも無理からぬことだった。冷静な印象を与えるスイですら、手袋をする手付きがぎくしゃくとしてしまっている。


「<魔術覚え書き>の元となった、<テイラタームの筆跡>には、そこまで危険なことは書いていないから、大丈夫」


 少々早口で付け加えられたガレスの説明を受け、三級司書のうち三人がそれぞれ一冊ずつ、<魔術覚え書き>の写本を取り出す。警告を受けて、書架から取り出す手付きは慎重だ。背負っていた司書鞄一型を下ろし、丁寧に安置する。中のベルトで留め終えた時には、三人と、作業を見守っていたガレスからそれぞれため息が漏れた。


 カシウス以外は、疲労困憊の有様だ。特に、ことあるごとに知識を引き出されたガレスは、一人でする仕事の何倍も疲れ果てていた。


「よしよし、首尾よく確保できたな」


 ばん、ばん、と三級司書たちとガレスの背を叩いてカシウスが笑う。後輩たちの活躍に、上機嫌だ。彼の上機嫌は伝わるもので、疲れてはいても、一団の表情は明るい。

 階段へ戻る途中、三級司書の一人が切れているランプに気付いて声を上げた。練習に、と付けることになり、緊張した面持ちでダイスを持ってランプにかざす。


 その瞬間だった。


 三級司書を見守っていたカシウスが、その肩を引っ掴み、引きずり倒す。一拍遅れて、三級司書の頭があった空間を何かが薙いだ。図書館に、悲鳴と、床を打つ音と、空を切る音が重なった。

 ガレスが一秒遅れて腰のポーチに手を突っ込み、ダイスを握り締める。視線は上。切れたランプの暗がりに潜む存在が、狩りの失敗を悟り、ゆっくりと姿を現していた。


「ひっ」


 三級司書スイの悲鳴が小さく漏れる。ガレスは、辛うじて声を抑えた。

 現れたのは、巨大な蜘蛛だ。八本の脚は黒く、細長い。鋭い刃のような爪が先端に付いていて、その刃は大振りのナイフのように大きく鋭い。本体、というべきか、身体の部分も獣のように大きい。

 何よりの異様は、本来あるべき蜘蛛の頭がないことだった。代わりに、ヒトの上半身が、生えている。白い肌に長く黒い髪を絡ませた人型は、腹から上だけの、女性の身体つきだ。豊かな乳房の上には、ヒトの顔がある。赤い唇を笑みのかたちにした顔立ちは、肌白く、整っていると言っていいだろう――紅い眼が横に六つ並んでいなければ、だが。


「大物だ」


 笑みを含んで、カシウスが言う。普段通りの一声で、完全に硬直しきっていた三級司書たちが正気に返る。先に行き会った【物語】とは格が違った。蛇に睨まれた蛙の例えの如く、捕食者の気配に怯えた本能が、思考を停止させていたのだ。


 ヒトの理性は、死の恐怖に耐えるには、脆弱すぎる。

 ならば、どうするか?

 司書たる者の答えはただひとつ。


「ガレスッ! 四人を守れ! あとこいつの名前!」

「は、はいっ!」


 知ることだ。

 自らに迫る脅威を、死の理由を、乗り越える術を。

 図書館では、知識を貪らない者から死んでいく。


「剣じゃちょいと短いか。蜘蛛に使うには勿体ないが」


 天井を掴んでいた蜘蛛の脚が蠢き、書架を伝って地面へと降りてくる。その動きはゆっくりとしたものだが、獲物たる司書たちが動けば俊敏に動くのは明白だった。

 カシウスが、新たにダイスを握り、不敵に笑う。喰い応えのある獲物を前にした狼の笑み。


「<落雷槍>」


 声と共に、腰に佩いた黒い剣が消え、代わりに、鋼鉄のダイスから変じた槍が握られる。真紅の柄は二メートル弱、書架の中でも扱えるぎりぎりの長さ。蜘蛛の長大な脚に対応するための選択だった。鋭い鈍色の穂先がランプの灯りに輝く。


 床に、蜘蛛の脚の一本が付いた。


 蜘蛛が繰り出す爪と、カシウスの槍が、二秒で四回ぶつかり合う。火花が散り、音が響く。カシウスは独りで蜘蛛の前に立ちはだかり、後ろにガレスと三級司書を置いた場所から動かない。


「はッ、中々やる!」

「――」


 蜘蛛の上半身、女の顔に浮く笑みが深くなる。瞳孔の無い六つの瞳は最初、司書全員を捉えていたが、接触を経て、そのうち五つがカシウスを見た。


 槍という存在を知っている者ならば、誰もが惚れ惚れするようなカシウスの武技。だがガレスには見惚れている余裕は与えられなかった。名前。能力。弱点。ヒント。僅かでも正体の看破に繋がる情報を得ようと、視線は蜘蛛の【物語】に注がれ、思考は必死と思う隙もなく回っている。痛みを覚えるほど、ダイスを握り締めていた。


「明らかに【幻想】、主要素は蜘蛛……ヒトを取り込んだ……? 動きまわるタイプじゃない……」


 【現実】に比べて脆いはずの【幻想】の蜘蛛は、しかし、八本の脚を巧みに操ってカシウスを防戦一方に留める。カシウスが振るう名槍の突きを、決して正面から受けぬよう脚を振るっているのだ。

 鈍い金属音が連続する中で、ガレスの思考は沈んでいく。

 出発点は、印象だ。


(僕は、こいつを、知っている)


 睨む。その印象は疑いながらも手放さず、起点として記憶を探る。


「ヒトと、蜘蛛の組み合わせ……絵で見たら忘れないはず……、記述が薄いか、変化……」

「ガレスッ!」

「ッ、剣!」


 思考が浮かび上がる前に、半ば反射的にダイスを背後へと投げた。輝くダイスは『一』と『二』と振るわず、だが受け太刀であれば鋭さや堅牢さはさして関係なく、しっかりと受け止めた――背後から襲い掛かって来た、別の蜘蛛の一撃を。

 ぎりぎりで気付き、受け止めたガレスが、攻撃者の正体に戸惑った声を上げる。剣は鋭い脚の一撃を受け止め、消えた。


「く、蜘蛛がもう一体!? ……まだ、いる!」


 書架の大きさにも匹敵する最初の蜘蛛女と違い、背後から現れた蜘蛛は高さが一メートル程度。ヒトのシルエットも持たない、ただの大きな蜘蛛だ。大きさだけで十分に化物である蜘蛛が、見える範囲で三体。三級司書たちにとっては、声も失うほどの恐怖の対象だった。

 二級司書のガレスにも、複数の【物語】を相手取った経験などほとんどない。ダイスを握り締めてはいても、投射すべき武器が思いつかないまま、硬直していた。


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