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序章――ある司書たちの日常


 物語は、人を喰う。


 幻想の怪物が、

 未知の道具が、

 異形の概念が、


 本より出でて、人を喰うのだ。


 それでも、人は本を欲する。

 知識のために。

 利益のために。

 満足のために。

 人として物語に立ち向かう。

 ただ、本を読むためだけに。


 隠さず。

 禁じず。

 焼かず。


 ただ人の可能性を以て物語を蒐集する。

 故に彼らは<司書>と呼ばれ、

 本が集う地は<図書館>となった。



「死ぬ、死ぬ、今度こそ死ぬ……!」


 恐怖に染まった声が図書館の狭い廊下に響く。

 必死に走る少年が声の主だ。深いグリーンのジャケットから、司書と知れる。

 胸元の名札には、『二級司書 ガレス』の文字。


 恐怖の理由は背後にあった。少年が、丸く巻いた羊角が生える頭を後ろに向ける。そこには、巨大なワニに似た赤い生き物が迫り来る姿があった。

 闊歩というよりは、疾走に近い勢いだ。

 短い六本の脚を器用に動かし、廊下に積まれた本を跳ね飛ばして少年を追いかける。赤褐色の巨大な顎には鋭い歯がいくつも並び、がちがちと噛み鳴らされていた。少年を頭から足まで納めてちょうど良さそうな大きさだ。右に三つ、左に四つ並んだ瞳が、ぎょろぎょろと動きながらも、いずれかは常に少年を視界に収めている。


 尋常のワニではない。

 本より現れた、幻想の怪物。【物語】だ。


 少年が腰のポーチに手を突っ込み、中にある物を掴む。その顔は恐怖に歪み、涙さえ零れ落ちそうだが、それでも追跡者を捉えていた。


「あの表紙、グランツェンの、<南部大陸横断記>、なら【幻想】だから、ええと、止められるもの!」


 ワニもどきが現れた本の装丁を思い出し、恐怖で乱れそうになる思考を口に出すことで整理する。

 必要とするもののイメージが定まって、ようやくポーチから手を引き抜く。その手に握るのは、白いダイスが二つ。何の変哲もない、六面体のサイコロだ。


 もつれそうな脚を叱咤してステップを踏み、半ば振り返りながらダイスを放る。二つのダイスはくるくると回りながらワニの頭上に差し掛かった、瞬間、少年が叫んだ。


「剣!」


 二つのダイスの、一面が光る。『二』、そして『一』の面。光は更に強く輝いて、ダイス自体を覆い隠してしまう。

 そして、その光から剣が生まれた。

 鈍い銀色をした刃を下に、飾り気のない鍔と柄を上に。細部まで確かなディテール、現実感のある重さは、少年が剣という存在をよく理解していることを示している。


 鋭い刃は、下を走るワニもどきに向けて、勢いよく落ちた。出目は合わせて『三』であるから、切れ味は良くはない。それでも刃は硬そうな外皮を突き破り、口を閉じさせ、そのまま床まで貫いて縫い留めた。ワニもどきは唸り声を上げて、六本の脚を前後に暴れさせる。


 そこから逃れる前に、と、少年はもう二つダイスを握り、放る。


「槍!」


 動きが止まったワニもどきに対して、今度は斜め上からダイスが輝く。『二』と『四』。光の中から現れた槍は柄まで黒鉄で作られていた。達人が振るったような速度で打ち出され、その重さを十分に発揮した槍は、ワニもどきの頭から胴、そして床へと貫いた。


 しばらくは脚をばたつかせ、緑色の血と黒い文字を吐きながらも唸っていたが、やがて力を失った。動かなくなったワニもどきは、黒い文字となって中空に解けて消えていく。文字は本に戻ったはずだ。同時に、床に突き立った剣と槍は細かい光に分解されてはじけた。


「ふー……」


 緊張した面持ちで睨みつけていた少年は、ようやく息を深く吐いて、脱力した。そばの本棚に背を預け、その表情は恐怖から安堵へと変わっていく。年のわりに立派な巻角と、ふわふわと癖のある白い髪は、少年が勇羊族である証だ。

 ワニもどきに追いかけられて随分走ってしまった図書館の廊下を戻り、目的の書架へ入る。


「あった。カイ・イレ、<ケリ地域の植物分布>……写本の方でいいかな」


 書籍を取り出してポーチに収める。腰のポーチ、司書鞄二型は、大判の書籍を一冊収納することを想定したものだ。より多くの書籍を扱う際は、背負うタイプの司書鞄一型か、装甲文車を使うことになる。

 ダイスはそれなりに残っている。二回の投射で仕留められたのは中々だった。そんな風に少年が自画自賛しながら書架の並びから出ると、声が降ってきた。


「あの程度の【物語】に、随分必死だったねー?」

「……ヴァーサ」


 けらけらと笑う、高く、甘い声は、少女のそれだ。

 胸に『二級司書 ヴァーサ』の名札を付けた少女は、本棚の上に腰掛けて見下ろしていた。黒いショートボブの髪から、横向きに尖った耳が覗いている。森精族(エルフ)の誇りたる長い耳は、先端三分の一が精緻な銀細工の耳飾りで守られている。一房だけ赤く染まった髪を揺らして、にまにまと、意地悪く微笑んでいた。


「見てたなら手伝えよ」

「すっごい勢いで逃げてったからさ、泣いてたし」

「泣いてない」


 少女がひらりと書架から降り、木の床に軽い足音を立てる。司書の制服である、深いグリーンのジャケットと、黒のパンツが細身の身体に似合っていた。

 会話しながらも、視線は合わせず、少年は階段へ向けて歩き出す。早く戻らないと司書長に怒られる、と、脚を速めた。

 その後ろに、本棚から飛び降りた少女が続く。


「ガレス、今日二冊目?」

「そうだよ、そっちは?」

「三冊目」

「へえ」


 少年は頷いたが、その声はそれまでの会話より声が小さかったし、踏み出す脚には力が入っていた。悔しさと、それを隠せない未熟さの表れに、少女が目を細める。口元には愉快げな笑み。とん、と踊るように少年の前へ出て、後ろ向きに歩く。


「もうすぐお昼なのに二冊なんて、よっぽど怖い【物語】が出たんだ?」

「……うるさいな」


 言い争い、というよりは少女が一方的にからかい、少年があしらう会話を続けながら、地下一階へ登るための階段へ向かう。階段が見えてきた頃合いだった。


 並んだ二人、ヴァーサ側の本棚の一角が輝いた。


「【物語】!」

「近いよ、もうっ」


 本棚から滑り落ちるように一冊の本が零れ落ち、開かれる。

 ヴァーサが慌てず、しかし迅速に距離を取る。一歩遅れて、ガレスも下がる。二人で【物語】に対処するときは、ガレスが前衛だ。そして、二人の視線が輝く光の中に本の表紙をいくらかでも読み取ろうとする。

 しかし、既にページは開かれている。ページから零れた文字が編み上げたのは、一羽の鳥だ。


 燃えるような赤の翼。鋭い槍に似た銀の嘴。人の頭を掴むのに丁度良さそうな爪。巨大な、赤の猛禽であった。


「く、見えなかった」

「見たことあるんだけどなー! <新大陸の興味深い鳥類に関するレポート>かも!」

「新大陸のルビーバードか。それっぽい。【現実】だから、飛び道具はないはず」


 二人が腰のポーチに手を突っ込むのと、鳥が翼を一打ちするのは同時。

 本棚の合間を器用に飛び上がり、勢いを付けて二人に襲い掛かる。巨大な翼で勢いを得た銀の嘴は、ヒトを易々と貫くだろう。翼が起こした風が、詰まれた本を吹き飛ばす。


「槍!」

「アイス・ショット」


 ガレスの叫びと、ヴァーサの『鍵となる言葉』が重なった。


 ガレスが投げたダイスは二つ。合わせて『五』の目、中空から鋼鉄の槍が降り、鳥を串刺しにせんと迫る。いくら早くとも、まっすぐ落ちてくるだけの槍では赤鳥を捕らえるには至らず、急制動を掛けた赤鳥の眼前に突き立った。

 だが、赤鳥の運命が決まるには十分だった。


 ヴァーサが掲げた手、その指先には、二つのダイスが挟まれている。『四』と『六』の目を輝かせたダイスは、二十個の氷のつぶてとなって、文字通りの霰と化して赤鳥に襲い掛かる。いかに鳥が素早く空を舞うとしても、一度止まったところから加速するには相応の時間がかかる。一点ではなく、赤鳥と周囲を丸ごと薙ぎ払う氷のつぶての群れは、赤鳥の翼に存分に穴を開けた。傷は即座に凍り付き、赤鳥を地面に堕とす。


 けぉん、と一声鳴いて、赤鳥――正しくは、<新大陸の興味深い鳥類に関するレポート>から迷い出たルビーバードの【物語】――は、文字へと分解された。


「足止め、ごくろう」

「……流石だな、魔術」

「ガレスこそ、相変わらず、ダイス運ひっどいね?」

「うるさいな!」


 赤鳥が現れた本を丁寧に本棚へ戻し、二人は書架の森を進む。

 【物語】を相手取る、司書の日常だった。


 司書の仕事は二つ。

 一つは蔵書管理。書物を、適切に保管し、分類し、管理する。修復もするし、蒐集もする。

 一つはレファレンス。管理する書物を、あるいはその知識を、求める者へ提供する。

 【物語】が跋扈する図書館では、そのいずれにおいても武力は必要だ。だから、司書に求められる能力の第二は、戦う意思と術を持つことである。


 能力の第一は――

 理不尽と苦難が渦巻く本の迷宮で、それでも本を愛する、倒錯だ。


【序章 了】

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