第一話 ゴブ
少女は古ぼけた宿屋の木窓から月を見上げ、声を上げることなく涙を流した。
声を上げて泣く気力さえ失せた少女は、自分への嫌悪感と人生を滅茶苦茶にした奴らへの復讐心、そして家族を失った悲しみに暮れていた。
少女が泊まる部屋に小さなノックが響く。
少女の許可を待たずに入って来たのは、まるで狼が二足歩行したような風体をしている男性だ。
彼は気づかわし気に少女を見ると、ガタつくテーブルにパンとスープそれから果実水を並べる。
「食えよ」
小さく首を横に振る少女にため息を吐いた男性は、苦い顔をしながら呟く。
「最後の約束を、破る気か?」
ピクリと肩が跳ねた少女は、月を見上げるのを辞めて視線を床に落とした。
「食わなきゃ死ぬ、お前の母親はそれを望むのか?」
「……」
「食べる」
「おう、そうしろや。何べんも言うがお前のせいじゃねぇ、お前のせいじゃねぇんだ。悪いのは全部忌子なんてもんを広げやがった三大宗教の奴らだ、あいつ等さえいなけりゃお前の両親も死ぬことは無かったさ」
「……でも、私のせいで、お父さんも、お母さんも……憎い、憎いよ、私自身も忌子が産まれる世界も、お父さんとお母さんを殺したヒュシフィス教も」
「自分を憎む必要はねぇ、わりぃのは全部三大宗教の奴らだ」
「でも」
「でもじゃねぇ、お前は両親に愛されていた、憎むんじゃねぇ、自分を憎んでも両親は喜ばねぇぞ」
言い縋ろうとした少女は獣人に睨まれ、躊躇いがち頷いた。
それから彼女はもそもそとパンを食べ始める。味は良くわからないが食べる。
母親と最後に交わした約束、生きてほしいという母の願いが彼女を生に押し留めた。
「ねぇディレウスさん、ティフィリース教ってどんなとこなの?」
「お前みたいな忌子を保護したり、三大宗教を倒そうとしてるとこだな。さぁお前も疲れてんだろ? 食ったら寝ろ、俺は隣の部屋に居るからな」
「うん」
さっさと部屋を出て行くディレウスをぼんやりと見送った少女は、食欲は無いが何とか出された食事を平らげ、そのままベッドに転がり直ぐに寝息を立て始めた。
*****
「まっずいなぁー」
その様子を別次元から見ていたこの世界の管理者である上下スウェットの金髪少年は、誰に聞かせるわけでもなくポツリと呟いた。
最近は地球という別の管理者が管理する世界の娯楽物に嵌まっている少年は、娯楽物を忠実に再現した世界を創るのがマイブームだった。
だが本業である世界の管理も忘れてはいない。
自分が今愉しんでいる娯楽世界のプロトタイプの世界が丁度世界の調整期であり、それが人類の試練という形で現れる時期に差し掛かるのでプロトタイプの世界へとやって来たのだが……そこで面倒事が発覚した。
「魔を産みだす魔王と魔を統べる魔王が手を組むかぁ」
人類の試練として出現するシステム、魔を産みだす魔王。
前回の魔王は人により成熟され過ぎた、故に前回の結果を鑑みて人類の手助けとなるように英雄システムを組み込んだのだが、……それがまさか英雄を迫害しあまつさえその力を人類に向けようとしている。
「……楽しみ半減しちゃうからやりたくないんだけどなぁ」
未来を知る事を嫌う少年は盛大にため息を吐き散らかして、静かに目を閉じた。
そして脳裏に移るのはこの世界の未来。
魔を統べる魔王の力を持つ少女は人の敵となり、魔を産みだす魔王が生み出すただ暴れるだけの魔物を統一し人類を滅ぼす。
「……滅ぼされると、ちょっと困るんだよねぇ」
さて、この少女に付け入る隙はあるのかと世界を演算しながら巻き戻しては進めて行く。
「みっけぇ……でもうーん、折角貰った魂を使う事になるかなぁ」
少年は完成した娯楽世界に異世界転生者を送り込むために地球の管理者と交渉し、世界を超えるに足る魂の中から、変異体質の面白そうな魂を貰って来ていた。
この世界の調整が済み次第、リアルタイムで異世界転生者を見て楽しむつもりだった少年は、折角手に入れた魂をイレギュラーの対応に使わなければならない事にガクリと肩を落とした。
「はぁ、変異体質ってのも理にかなってるなぁ」
プロトタイプ世界に送り込み魔を統べる魔王と接触し世界の未来を変えるには、本人が人間以外でなければならない。
また魔を統べる魔王が単独行動している時に接触しなければならず、そうなると転生させる種族はゴブリンないしはウルフ程度に限られる。
それ以上の脅威と接触した場合、魔を統べる魔王が上げた悲鳴により駆け付けた護衛に殺される確率が70%に至る。そんな危険なギャンブルは犯せない。
更にゴブリンかウルフであれば、前世が人間である事からゴブリンの方が姿形が近いために生存率が上がる。
「ゴブリン転生かぁ、人外転生も好きだけど、先ずは王道を楽しみたかったんだけどなぁ」
後は転生後、正直に話すかはぐらかすかを演算し、はぐらかす方が人類の生存確率が高い事が分かった。
「……できれば女神にでも姿を変えたい所だったけど、はぐらかすならこのままでいいか」
次はどの程度のチートを持たせるかを演算していく。
結果、出来るだけ多くの手段を持たせる事、他者の育成にも影響のある能力が有効的である事が分かった。しかし直ぐに強くなると短絡的になり失敗する確率が上がるため、ある程度の育成か運が必要な能力の方がいいだろうと結論を出した。
「ん? あぁ、性欲邪魔だなぁ」
能力を付与した結果、ある程度育成が終了した時点でそちらの欲が顔をのぞかせ、冷静な判断が出来ていない場合が演算された。
「んー、まぁ性欲を自ら捧げさせればいいかぁ」
そう呟いた少年は行動を開始した。
*****
「気持ち悪いゴブ」
何が気持ち悪いかって、いきなり訳の分からない森の泉に立っていてゴブリンらしき姿になっているってのに、それを簡単に受け入れられしまっている事だ。
ある程度現実主義やってた記憶はある、しかし此処まで達観してはいなかったはずなんだが。
前世の俺なら確実に慌てふためいて盛大に喚き散らして……って、するっと前世って納得している自分が怖い。
「目が覚めたみたいだねぇ」
不意に聞こえた声にびくりと肩を揺らして振り返ると、そこには金髪の少年が無表情で立っていた。
「何故にスウェットゴブ?」
木漏れ日が挿しこむ森林と綺麗な泉なのにスウェット、景観ぶち壊しもいいとこだな……ってそうじゃないだろ。
目が覚めてからは既に三十分くらい経っているのに今更現れて俺が眠っていたと知っている人物という事は、俺をゴブリンにした張本人かもしれない。
「そうだよ、僕が君をゴブリンにしたんだぁ。因みに前世の精神のままだと発狂しちゃうから、精神を強化しておいたよ、崇めたまえぇ」
「自白が軽いゴブ」
……あれ、今言葉にしてなかったよな。
という事は、俺の思考を読んだとかそう言う奴か。小説的なテンプレと言えばテンプレだが、それだけで神様に認定するほど警戒心皆無じゃないぞ俺は。
「神様でも邪神でも天使でも悪魔でも何でもいいけどぉ、あんまり時間無いからぱぱっと説明するね、先ず――」
取り合えず目の前のよくわからない存在の説明が全て真実である前提で話を纏めよう。
先ず俺は死んだ、これはまぁ俺の最後の記憶とも合致している。
コンビニに突っ込んで来た車とコンビニにサンドウィッチされ酷い事になったはずだ。生きているとは到底思えない。
死した俺は、魂の質が面白いからという理由で、地球から目の前の仮称少年神に貰われることになったらしい。
本当は別の世界でもうちょっと面白おかしく改造してから道化として転生させる予定だったが、もう少し魂の経験値を積ませてからの方がいいだろうと、経験値が沢山積めそうなゴブリンへと転生させた。
転生してからは好きにしていいらしい、強いて言えば出来るだけ長生きする事だとか。
因みにこの世界は所謂中世ヨーロッパ風のRPGを元にして創られた世界らしく、実はゴブリンが強いなんて事もない、小説などでよく見かける設定の世界だった。
そんな世界で好きに長生きしろと言われても無理だろ、即死するわ。
という旨を伝えてなんとかゴブリンじゃなくて人間に転生出来ないかと懇願してみたが素気無く断られてしまった……。
ならばなんとか慈悲を、お慈悲をー、折角二度目の人生が過ごせるってのに即死は嫌だ、なにとぞチートをお恵み下さい。
なんてプライドをかなぐり捨てて懇願したら、条件付きでチートを貰える事になった。
「んー、じゃあ交換ね」
「交換ゴブ?」
「そう、君が人間だった時に感じていた三大欲求。食欲、睡眠欲、性欲、これのうち一つと交換」
「普通にくれたりはしないゴブ?」
「しないゴブー」
うーん。これは交渉の余地なしだ。これ以上縋りついたら面倒臭くなって逃げ帰りそうだ。此処は出来るだけ早く決めよう。
先ず食欲。お腹空かないのに無理やりご飯を食べなければならないというのは、結構キツイと思う。空腹は最高のスパイスなんて言葉があるけれども、俺はそれを信じているからな。
次に睡眠欲、これも外したくない。あの微睡みは誰にも邪魔されたくない。
となると性欲なのだが。これはちょっと聞いてみたい。
「性欲の場合は、何が無くなるゴブ? ムラッとしなくなるだけゴブ?」
「そんなとこかなぁ、先ず子孫を残そうとは全く思わなくなる、だからムラッとしなくなる。君の場合は、可愛い女性を見てもぬいぐるみや動物感覚で可愛いとは思っても、付き合いたいとかにはならないって事」
「簡単に言うとハーレムなんて全く頭に無くなるゴブ?」
「本当の意味でのはそうだね。可愛い動物やぬいぐるみを連れて行くって言う意味ではあるかもだけど、本人視点ではないかなー」
うーん、恋愛ってしてみたかったんだけどなぁ。
……ん? 俺って今ゴブリンだよな、普通に考えれば俺って人間と交際とかは無理なんじゃないか?
とすると、別に性欲があろうがなかろうが関係ないか……。他の二つは嫌だし、うん性欲をパージだ。
「性欲をチートと交換するゴブ!」
「おっけー、はい出来ましたぁ! 後でステータスを確認するといいよ。うーんそろそろ時間かなぁ。それと、いきなり放り出しちゃうと野垂れ死ぬ確率が高いから、はいこれ」
スウェットのポケットを探り此方に渡して来たのは、手のひらサイズの白いお守りだった。
「これは何ゴブ?」
「これを、一番初めに現れた人間に翳すといいよ、そうすれば君の協力者になってくれるからね」
……それは精神を操るとかそう言うヤバイ代物なのだろうか? だとしたら流石に使いたくはないのだが。
「人格歪めたり記憶消したりはしないから安心していいよぉ、それで最後に質問あるぅ?」
「言いたいことは沢山あるゴブが……この語尾を何とかしてほしいゴブ!」
さっきから俺の意識の外でゴブゴブ付け加えやがって、鬱陶しいわ!
「無理。じゃあちゃんと使ってねー。今度こそ本当に最後に! 神樹木のダンジョン最上階にある転生の秘宝を手に入れれば人間に戻れるよ、もしゴブリン生がどーしても嫌だって場合は頑張って目指してみてねぇ、んじゃ」
え、待って、俺人間に戻れるの? さっき性欲パージしちゃったんだけど? え、ワンちゃん恋愛とか出来たのか……。
うん、やっちまったけど、じゃあ他の二つを消すかと問われれば絶対に嫌なので、どのみち性欲をチートに変えていただろう。
変えていただろうけど、なんというかおちょくられたようなモヤモヤとしたどうしようもない気持ちがこみ上げてくる。
取り合えず叫んどくか。
「ふざけんなゴブーーーーーーーーーーー」
空に向かって叫んだはいいけれど、あの神の嘲笑が聞こえた気がして眉を顰める。
まぁなってしまった物は仕方がない。それに、ダンジョンを攻略しなければ手に入らないなら、どう考えても今の俺では希望がない。
アニメで見たVR技術でファンタジーの戦闘を体感した経験もないし、ご都合的に剣道やら空手がハチャメチャ出来るわけでもない、ただのゴブリンだ。そんな無力なゴブリンがダンジョンに行けば即死だろう。
……自分で言っていて悲しくなってきた。
「気を取り直すゴブ、ステータスを見るゴブ」
ステータスと念じると、目の前にディスプレイが現れた。
まるで小説やゲームの様だけれども、あの神はゲームを元に世界を造ったらしいし、こういったテンプレが出来ても可笑しくはないか。
―――――
名前:――
種族:ゴブリン
スキル:
【言語】【ガチャ】【精神強化】
―――――
ステータスの項目がしょぼい!
だが、だが、ガチャ!
これはチートの中でも結構いい物かもしれない! なにせ色々出るはずだ! チートを一つ貰うよりも他技能に成った方が生き残れる確率は上がるのではないだろうか! だって俺ゴブリンだもの! そもそも何にも出来んもの!
ガチャをタップしてみると、新たなディスプレイが現れた。
・銀貨ガチャ
・金貨ガチャ
・白金貨ガチャ
・聖銀貨ガチャ
以上である。
右上のヘルプボタンをタップして開かれたページを軽く読むと、レアリティはN~URまで、武具、道具、スキルの闇鍋である事が分かった。
確率表もあったが、ソシャゲと同じように確率は低そうだな。
そして俺に幸運アップのスキルはない。あの少年神の事だから俺が楽にチートになるようにはしてないだろう。
という事は、俺はこの世界でガチャ廃になるしかないという事か。
だがガチャ廃になるのは難しい。なにせガチャには魔石が必要らしいのだ。
魔石をチャージしてガチャ内硬貨と交換するらしいが、魔石って他の魔物を斃して手に入れるんだよな? 若しくは人間の街で売買されていればそれを買うとか?
最弱ゴブリンが敵を斃すか、人間の街に入って売買?
「……無理ゲーゴブ」
もう言葉もない。
いきなりこんな森の泉のほとりに来て、覗き込んだら緑の肌の少し耳が尖った醜い自分がいて、身に着けているのは腰蓑だけ、その後少年神に貰ったチートがガチャ廃人への道。
「笑えんゴブ」
……もうどうにでもなるがいいさ。