4.残された時間
「それで、お父様。 御用件は何でしょう?」
挨拶もそこそこに、私はそう本題を切り出す。
私の父……このマクルーア国を治める現国王は、私と同じアイスブルーの瞳を細め、口を開いた。
「……後一年だな」
「……っ、はい、そうですね」
お父様の言葉に私は、ギュッとドレスその裾を掴む。
それを見たお父様は少し慌てたように言う。
「責めているのではない。 ……だが、もう時間がないこともよく分かっている。
その前にお前が、この一年何をしたいかだけ、聞いておこうと思ってな」
「! ……何をしたいか、ですか」
私がそう尋ねれば、お父様はゆっくりと頷き、例えば、と口を開く。
「エルマー・ブラッドリー殿下と結婚がしたい、とか」
「っ、はい!?」
思いがけない……いや、突然のエルマー殿下の名前が出て、私は酷く焦ってしまう。 それに驚いたお父様は目を見開き、そしてあははと笑った。
「何がおかしいのですか」
「いや、そうやって取り乱したお前は、久し振りに見た気がするよ」
「は、はぁ」
(それは急に、殿下の名前をお父様が出すから……)
……ん? 殿下の名前を急に出されたところで、どうして私はこんなに、心が乱されたのだろう。
胸に手を当て首を傾げると、お父様は再度、少し笑ってから言う。
「まあもう一度、よく考えてみるんだ。
この一年、何がしたいのか」
「……はい」
この一年、何がしたいのか、か。
(……一年後、私の運命は変わる)
……いや、変わるのではない。
正確には、“リスタート”するのだ。
ほぼ0からのリスタート。
(……“呪われ姫”の私の、残酷な運命)
気にしていなかったことが急に、運命の時の一年をきった今、心に深くのしかかってくるのを感じ、私はそれを悟られないよう、そっと淑女の礼をとってその場を後にしたのだった。
☆
(……でもどうして、私は即答出来なかったのかしら)
昨日、お父様に後一年何をしたいか、と問われた時、いつもなら間違い無く、“穏やかで平和な日々を過ごしたい”というだろう。
だけど、私はそれをすぐに言えなかった。
(……それに、お父様の口から“エルマー・ブラッドリー殿下と結婚”なんていう言葉が出てくるなんて……)
そんなに皆して私と殿下を結婚させたいのか。
……第一、そんなのが幸せではないことは目に見えている。
(だって私は、“呪われ姫”だもの)
「姫様、ティータイムのお時間です」
「あら、もうそんな時間!? 入って良いわ」
私は読みかけの本をパタンと閉じ、慌てて姿勢を正すと、ランはお菓子の入ったトレーを持って現れる。 それに続いて、何人ものメイドがトレーいっぱいに乗ったお菓子の山をテーブルに並べていく。
「……きょ、今日は一段とスイーツが多いのね」
「はい。 本日は殿下が急用が入って来れなくなってしまったから代わりに、とスイーツを多く頂いたのです」
「! ……そ、そう」
(今日はエルマー殿下、来れないのね)
「寂しいですか?」
「!」
ランの言葉に、私は首を横に振る。
「そ、そんなことなんて……」
そして黙る私を見て、ランは「あ、そうそう」とさして気にもとめていない風に言うと、私の目の前に本を差し出した。
「これは、殿下自らお持ちになったそうです。 昨日、姫様に持って来ると約束されていた“君と約束の場で”という書物だそうてす」
「!! そうなのね!」
思わず声が大きくなってしまったことを感じ、私は慌ててその本をそっと受け取れば、ランは苦笑する。
「本当に姫様は、書物がお好きなんですね」
「……えぇ、好きよ。
だって私は、本の中の世界しか外を見られないから」
……いつか、見てみたい。
私のお城の外に広がる風景を。 城下に住む人々の生き方を。
ブラッドリー王国の噂で聞くような、自然豊かな大地を。 そして、あのエルマー殿下の瞳のような色の大空を……。
「っ!」
「ひ、姫様大丈夫ですか?」
「え、えぇ。 気にしないで頂戴」
私はランに取り繕って頰に手を当てる。
(……どうしてここで、殿下の瞳が出て来るのよ!!)
……お父様に言われてから、殿下のことばかり考えてしまう。
お父様のせいだわ。 お父様が余計な気を回そうとするから……!
私は膝の上に置いた本を手に取る。
「“君と約束の場で”ね」
「確かそのお話は、一国のお姫様と隣国の騎士が、身分差のある恋をするお話でしたよね?」
「えぇ」
まだ読んではいないから聞いたことはないけど、大体のことは夜会などで耳にしたことがある。
「皆がその話題で持ちきりだったわ。 私が本が好きなことを知っている御令嬢からよく聞くから」
このお話はね、と私は言葉を続ける。
「お姫様と騎士が駆け落ちをするところから始まるの。
お城から一歩も外に出たことのないお姫様が、隣国の騎士の手を取って初めて外の世界へ出るのよ」
初めて姫の目に映る世界は、例え遠出ではないにしても、城から出たことのなかった姫からしたら冒険に行くようなもの。
初めてのことばかりに戸惑う姫に、騎士は色々な場所へ姫を連れて行ってくれる。
「お忍びで行ける、なるべく近くて綺麗な場所へ連れて行く騎士に、姫はどんどん惹かれて行く。
そんな騎士が姫と過ごせたのは、王子の護衛の為に騎士が姫の国に滞在していたから。 そしてその期間は一カ月を持って途絶えてしまう。
それを知った姫は、騎士と最後に向かった場所で思わず泣いてしまうの。
そんな姫を見て、騎士は言った。
“この約束の場で待っていて下さい。 貴女に必ず、会いに来ますから”と」
「! それで、どうなるのですか!?」
ランは目をキラキラとさせながら言う。
私はそれに少し笑いを返して首を振った。
「私も、まだここまでしか知らないわ。
“本で見た方が絶対に良いですから”と、断固として皆、教えてはくれなかったもの」
「えぇ……まあ、普通はそうですよね」
私も苦笑いし、「本当に人気の本なのよね」と分厚い本の表紙をそっと撫でる。
「まあ私も、ゆっくりとこの本を読んで過ごすわ。
折角エルマー殿下から貸して頂いたんだもの、順を追ってちゃんと読み進めたいわ」
「! ……ふふっ、そうですね。
もしよろしければ是非、感想をお聞かせ願えますか」
お恥ずかしながら私は、あまり書物を読むことが出来なくて、と言うランに、私は「えぇ」と頷くと、その本をそっと机に置き、テーブルの席に座りなおすと、ランを促す。
「ラン、もし良ければ貴女も隣に来て一緒に食べない?」
「えっ……そ、そんな! 私には恐れ多いです」
「あら貴女、この量を主人に食べさせて、ぶくぶくと太らせるつもり?」
私が少しそうおどけて言って見せれば、ランは理解したようにクスクスと笑うと、「では、お言葉に甘えて」と言って紅茶を淹れてくれながら自身もテーブルの私の横の席に腰を掛ける。
そしてマカロンを口にし、驚いたように目を見開き、私を見て言う。
「! とっても美味しいです!!」
「ふふ、そうよね」
無邪気に笑うランを見て私まで嬉しくなってそう口にすれば、ランが爆弾発言を私に投下してくる。
「これを毎日姫様の元に届けて下さる殿下は本当に、素敵な方ですね! 殿下の、姫様を心からお慕いしている御心が伝わってきます……!
……あれ、姫様?」
ランの言葉に、私は危うく食べていたスコーンを取り落とすところだった。
私はスコーンを慌てて皿に戻すと、ランを少し睨んで見る。
「……貴女、すぐその話題を持っていこうとするわね」
「え、えぇ、駄目ですか?」
「駄目って、貴女ねぇ」
私は少し呆れたように白い目を向けると、ランは「だって、」と口にする。
「エルマー殿下と居る時の姫様は、普段は見せない表情をするものですから」
「え?」
これまた思いがけないランの発言に、私は驚いてしまう。 ランは少し間を置くと、意を決したように言った。
「……ご自身でも、お気付きになられているのではないですか。
エルマー殿下のことが、」
「ラン。 それ以上の発言は控えなさい」
少しきつくなった私の口調に、ランはハッとしたような顔をした後、「も、申し訳ございません、出過ぎた真似を」と酷く傷ついたような表情で謝られる。
(……違う、ランが悪いわけではないの)
悪いのは私の運命なのだから。
「気にすることはないわ。 ……ただ私は、殿下の御心を、受け止めるわけにはいかないのよ」
そう少しだけ笑って言ってみせたが、返ってその言葉は、私自身にもランの心にも、深く、胸に突き刺さる言葉でしかなかったのだった。