3.殿下との時間
(エルマー視点)
「……」
「はは、まあそうなるだろうな」
レナルド兄さんにそう言われ、俺は手元に戻ってきた送ったはずの指輪と、その御礼状を見る。
その御礼状は、昨晩求婚したばかりのローラ姫、本人だった。
『お気持ちだけ受け取っておきます』
そう一言、綺麗な字で書かれた、至ってシンプルな御礼状。
……それだけでも俺は十分だった。
「……いや、これで良いんだ」
気持ちだけでも受け取ってくれている。 ……それだけで今は、十分だ。
そうにっこりと笑って言って見せれば、レナルド兄さんは怪訝な顔をする。
「いや、それだけで良いって……、婚約指輪突き返されて言えるのか?」
「えぇ。 彼女が簡単には受け取ってはくれないだろうとは思っていましたし。
むしろここからがスタートです」
そう言って見せれば、より一層、レナルド兄さんは眉間にしわを寄せて、「困った弟だ」と深くため息をついたのだった。
☆
(ローラ視点)
『又来るよ』
そう言ったその日から本当に、殿下は毎日のように現れた。
しかもそれがまるでそれが当たり前のように、いつも同じ時間、同じ場所に現れるのだ。
午後のティータイムの時間、私の部屋に手土産のお菓子を持って。
……しかもどれも私好みのものばかり。
「……貴方、そんなに暇なの?」
呆れて嫌味っぽくそう言ってみせれば、王子はキョトンとした後怒りもせず、笑って言った。
「君に会いたいから来るんだ」
そう言われた時は、恥ずかしさのあまり言葉が出なかった。 ……それを見た殿下に、クスクスと笑われたところで思わず追い返してしまったが。
それでも殿下は、次の日も変わらずティータイムの時間、手土産を持って現れた。
最初のうちはランを含め、執事やメイド達も皆、慌てふためいていたが、一ヶ月以上が経過した今では皆、すっかり慣れっこのように対応している。
……しかも、ランとはいつの間にか、お友達のように話をしている始末だ。
「ラン、ローラ姫はいつも何をして過ごしているんだ?」
「そうですねぇ……あっ、本をよく嗜まれていらっしゃいますよ。 例えば」
「ちょっと、ラン! 勝手に主人のことを人に話さないで頂戴」
……こんな感じで、ランが私と殿下の間で板挟みになるケースも、最早日常茶飯事の出来事だ。
そんなランの言葉を聞き逃さなかった殿下は、今度は私に向かって口を開く。
「あぁ、君も本が好きなのか。
何を読んでいるんだ?」
「……殿下のお読みになっている書物とは、大分離れていると思うわ」
そう言って、殿下が持っている難しそうな、分厚い本を指差す。 すると殿下は、少し悪戯っぽく微笑んで本を軽く持ち上げてみせる。
「……もし君に格好つけたくて読んでいるとしたらどう思う?」
「っ、ど、どうも思わないわよ」
つい予期せぬ発言に驚いてしまい、しどろもどろになりかけながらそう返せば、殿下はクスクスと笑って「君は素直だね」と笑う。
そしてそうだなぁ、と口を開いた。
「俺は冒険譚が好きだな。 いつか、国の外……そうだね、手始めに貿易をしている国々を飛び回って、世界中を旅してみたい」
「! ……世界中を、旅する……?」
考えたこともなかった。 私はこのお城の外から全く、出たことがなかったから。
……いや、出たことはあるが、私自身、外を出られない理由があるから、出ようとも思わなかった。
少し心が暗くなりかけたものの、殿下の言葉に耳を傾ける。
「そう。 俺はこの目で広い世界を見てみたい。
正直、国の中だけでは息が詰まりそうだ。 王子としての立場もあるから、城下にだって降りることはお忍び以外でほとんど無い。
出られたとしても、護衛をつけなければ外出は出来ない。
……まあ昔はよく、お忍びどころではなく城を抜け出すことなんてしょっちゅうだったけど」
「! エルマー殿下でも、そんなことがおありだったの?」
意外、と口にすれば、殿下は少し照れ臭そうにそっぽを向く。
「……俺にだって、幼心は持っていたよ。 ……ただ」
「?」
殿下は私をチラッとみて……、「いや、何でもない」と口を閉ざした。
(……変な殿下)
急に黙り込む殿下をみて首を傾げつつ、私は一口、ゼリーを口にする。
エルマー殿下は何が楽しいのか、ふふっと笑ってから頬杖をついて言う。
「まあ、冒険譚を読むよりも君の元に来ることが一番楽しいけどね」
「っ!」
私は思わず、少し噎せてしまう。
殿下は慌てて「だ、大丈夫?」と聞きながら、私に水が入ったグラスを手渡す。
私はそれを受け取り飲み干すと、殿下を少し睨みながら言う。
「心臓に悪いお言葉は、控えて下さいませ」
「? ふふ、何のこと?」
絶対に分かっていてやっていると分かるような笑みを浮かべ、そう返してくるエルマー殿下に、私はお手上げ状態で深くため息をつく。
「で、話を戻すけど、君は普段何を読んでいるの?」
「本のこと? そうね……、私も冒険譚は好きだわ。 あ、でも冒険譚というよりは、恋愛をメインとしているものが多いかもしれない、わ」
そこまで言ってハッとする。
(あっ、わ、私何を言ってしまっているの……! 恋愛だなんて、殿下の気持ちを受け取らないにもかかわらず、そんな妄想癖じみたことを言うなんて……!)
私は慌てて訂正しようとしたが、殿下はその言葉に「あっ、君もそういうのが好きなのか」と何故か嬉しそうに話し始める。
「なら、今流行りの『君と約束の場で』はもう読んだ?」
「! そ、それは入手困難で、まだ読めていないわ」
「今度持ってこようか?」
その言葉に、私は思わず身を乗り出す。
「え、エルマー殿下は持っているの!?」
私がそう問えば、王子は驚いたような顔をし、そしてクスクスと笑う。
「あぁ。 俺はもう読んだから、明日持ってくるよ。
……それにしても、君の笑顔をひさし……いや、初めて見たな。
やはりその顔が一番可愛い」
「なっ……!?」
自分でも顔に熱が集中するのが分かる。
殿下はクスクスと笑い、「明日必ず持ってくるよ」と口にして、席を立つ。
「えっ、もう行くの?」
ついポロっと口から出た言葉に、私はハッとする。
それは殿下も同じだったようで、私を凝視した。
(っ、わ、私、何でこんな呼び止めるようなことを……!)
「ち、違うの! これは、その、えっと……、貴方がいつもよりいないなと思って、その」
「ふふ、私ももう少し長くいたい気持ちは山々なんだけど、今日は生憎夜会が入っていて行かなければならないんだ」
「! そ、そう」
夜会。
彼はその夜会でもきっと、大層目立つんだろうな……。
「……まあ行かなくても別に、俺にとっては意味がないのだけれどね」
「え? どうして?」
第二王子なんてきっと、行けば良い思いしかしないはずだ。
……私みたいな“呪われ姫”と呼ばれ、忌み嫌われる者ならともかく、殿下が行ったらチヤホヤされるのが目に見えているというのに。
私の言葉に、殿下はだって、と言いながら私に歩み寄ってくる。
「!!」
思わず近くなった距離に驚けば、エルマー殿下は私の目線に合わせて屈むと、つまらなそうに言った。
「俺は君以外に興味はないから、君がいない夜会だなんてつまらないものでしかない」
「! で、殿下! 近いです!!」
私はぐいっと、殿下の胸を押せば、殿下はクスクスと笑って「はは、ごめんごめん」と笑う。
「というわけで、今日はお暇するよ。 ……あ、今のは本音だけど、他の人には内緒ね?
言ったら俺の立場が危うくなるから」
そう肩を竦めてみせる殿下に、私は内心ドキドキしているのを誤魔化すように怒ってみせる。
「お、お戯れも程々にして下さいませ!」
「……戯れではないんだけどなぁ」
そう苦笑して、殿下は「また、明日」といつものように言って去って行ってしまう。
パタンと閉じられた扉を見て、私はソファに背を預け呟いた。
「……本当、心臓に悪いお方」
そう息を吐いたのと同時に、コンコンとノック音がする。
私は慌てて姿勢を正し、「どうぞ」と言えば、顔を出したのは高齢の執事だった。
「ローラ姫様、陛下がお呼びです」
「! お父様から?」
忙しいお父様が私を呼ぶだなんて珍しい。
私は改めて背筋を伸ばすと、「すぐに行くわ」と返事をして身だしなみを整え、陛下であるお父様の元へと向かうのだった。