もどかしくて憎くて世界一愛しい君へ
肩までのふわふわな薄紫色の髪を揺らしながら、木漏れ日から漏れる光に優しい夕日色の目を瞬かせる。
リディはイチョウの並木道を歩きながら、薄紫の髪は耳のサイドから小さめの二つの三つ編みにして、夕日色のリボンで纏めて、ハーフポニーテールにし、空色と夕日色の混じり合った石のペンダントをつけ、空色のフード付きワンピースをひらつかせて、待ち合わせしている幼なじみについて想いを馳せる。
孤児院から出て就職して三ヶ月、手紙のやりとりはしていたが、会うのは就職前に会ったきりだった。今回お互いのスケジュールがやっと合ったので、三ヶ月ぶりに彼に会えるのを楽しみにしていた。
思わず頬が緩む…これでは不審者みたい。軽く化粧を施してみたけど、これ位のお化粧なら気合い入れてるとか思われないよね?彼に少しでも可愛いって思われたくて、お洒落してみたけど、三ヶ月ぶりに会えるのが嬉しくて、頬が緩むのを止められない。
今の会社に入社してから、本当に目が回る忙しさだったから、こうやってプライベートで出掛けるのも三ヶ月ぶりだ。
四年ぶりに彼と三ヶ月前に再会した。その時に私は二年前に、リサ達に相談した事を思い出した。彼に愛の告白をする!という決心を思いだし、想いを告げる機会を探ったが、アインドル商会やアインドル家に移動したり、様々な方に紹介され、皆に歓迎されたりして、アルと二人きりになる事は無かった。さすがに大勢の初対面の方達の前で、アルに告白する勇気はない。
今日は彼から大事な話があると呼び出された。アルの相談に乗った後に、話せる空気なら告白しよう!
待ち合わせの公園に辿り着き、イチョウの木の思い出の場所を見詰めると、彼がもう到着している。待ち合わせ時間までまだ早いが、彼を待たせてしまった事に焦って全力で走り出す。
「アル…ごめん…ね……待たせて…しまって…もう…来てた……んだ?」
緑の葉が茂るイチョウの木の下で、幼なじみにそう声をかけた。久しぶりの全力疾走に息が苦しくて、謝罪の言葉も飛び飛びになる。
彼は薄紫色の黒の温かそうなコートをはおり、高価そうなセーターとこちらも品のいい生地で作った青空色のズボンをはいてる。よく似合っていて、かっこいい。
「いや、今来たところだよ。久しぶり。ああ走らなくてよかったのに。
せっかく可愛く結ってある髪が乱れちゃうよ?髪が乱れてもリディは可愛いけどね。そのペンダント僕が贈ったものだね。リディによく似合ってる。僕の色を纏う君はとても素敵だ。
君が孤児院を出て働き始めて、やっと会えた後の会えない三ヶ月間はとても長く感じたよ。四年前に僕が孤児院から今の家に引き取られてからも、手紙のやり取りはしていたけど。リディにずっと会いたかったから、今日君に会えて本当に嬉しい。
そうだ、これを受け取って欲しい。君を想う僕の気持ちだ」
きれいに短くカットされた青空色の髪を揺らして、髪と同じ色の瞳が私を見て細められたが、しばらく私をじっと見たあとにどこか思案顔になる。
美形はどんな顔してても美形だな。彼の態度を疑問に思うが、全力で走った後に、冷たい空気が肺に入って、苦しくてなかなか声がだせない。
赤ニアの花束を両手で受け取り、胸に抱える。
「…ありがとう」
まだ挨拶と謝罪しか私は口にしていないのに、スナイパー化したアルに、バンバン心臓を撃ち抜かれてる。
くぅ、そっちがスナイパーなら、私も勇者(笑)として戦わねば。
赤ニアの花言葉は“変わらぬ愛”だけど、私に都合良く受け取っていいのかな?その愛はどういう形の愛なの?赤ニアは異世界にしかない花で、前世のグラジオラスの花に似ている。とりあえず落ち着いて、お礼をもう一度言わなきゃ。
「……三ヶ月前にも頂いたのに…ありがとう。綺麗な赤ニアの花ね。前の分はポプリにして楽しんでるわ。
ペンダントはアルが孤児院から出ていく時に、アル直々に魔法守護・物理防護魔法をかけてくれたんだもの。あれからずっとつけてるよ。アルが私に甘々な所は、孤児院にいた頃と変わらないね。
アルもえっとその…とても素敵だから、周りに誤解されないように、好きな子にだけ可愛いとか言って贈り物をすればいいと思う。全く、昔から言われてきた私だから、いちいち真に受けないんだよ?…嬉しいけどね」
…とかいいつつ、もう彼のペースに飲み込まれてる。顔に熱が集まって、気温は寒いのに熱い。お互いが孤児院にいた頃から、アルはよくこういう言動をするのだ。彼に誉められる度、まるで自分がお姫様になったような気にさせられる。
私の両親は私が三才の頃に馬車の事故で亡くなり、アルは孤児院の前に赤ん坊の頃に籠で置かれていたらしい。
アルは前に、彼の持つ魔力が多いと教えてくれたから、もしかしたら貴族を親に持つのかもしれない。一般人は魔力が少なく、王家や貴族は魔力が多いからだ。魔力の多いアルは、子供が出来なかったアインドル商会会長の目に留まり、アルが引き取られるまで、私はアルに振り回されながら、ずっと彼と一緒にいられると思ってた。
「…相変わらず鈍いな(ボソッ)」
「ん?何か言った?」
「いや、何でもないよ。ねぇ、リディ?三ヶ月前より痩せたね。何かあったの?」
彼が眉をひそめて、痛々しそうな顔をしながら、私の頬をそっと両手で包み込む。
勇者はスナイパーから逃げ出そうとした。しかし回り込まれてしまった。
えー。なんだこれは、何が起こってるんだ?大きくて剣ダコのある長い指は、とても冷たかった。私の頬を触られるとドキドキ……ん?
手がこんなに冷たいのは、大分前から待ってくれてたのかな。え?もしかして私に会うのを、楽しみにしてたって本当に?どうしよう顔に熱が集まる。
アルとの距離が近くない?私が背伸びしたら、キスできそうな位に顔が近い!人との距離感がおかしい。アルの他人へのパーソナルスペースは、ゼロなの?
「…えっ…と…何もないよ!」
思わずアルから目を反らすと、ますます顔が近くなる。きれいな空色の瞳に、ゆでダコなのに青ざめてるという、器用な顔芸をする私が映る。
あまりに近い彼との距離に、花束が私とアルの胸で潰される。せっかくのアルからのプレゼントを潰したくなくて、思わず花束を片手に持ちかえる。
「リディ?」
何故だろう…微笑んでるのに、ゴゴゴとかアルの背後から聞こえてきそうな迫力は、これは白状しないと不味い?
スナイパーは勇者に圧力をかけている。
「…私の話より、今日はアルから大事な話をしたいって聞いたわ?私の話は今度でいいよ」
論点変え!どう!?
「大丈夫。今日はリディと過ごすために、一日休みを貰ったから、ゆっくりじっくり話合おうか?」
微塵も効いていない。スナイパーとの戦いは長期戦になりそうだ。アルの笑顔が黒い笑顔になった。
「そうなんだ。私は夕方までには、社員寮に戻らないとダメなの。ごめんなさい」
私と一日過ごすつもりだったことが、凄く嬉しいが時間が取れない事に、申し訳ない気持ちで一杯になる。私も本当は私もアルと今日一日、ずっと一緒にいたかったなぁ。
「リディはこの後何か用事があるの?手紙では一日休みだと書いてあったから、できれば君と今日はずっと一緒に過ごしたい…」
スナイパーは、勇者にまた攻撃を仕掛ける。
私の頬に指先を滑らせて、私を見つめながら憂い顔でそう言うアル。
背伸びたなー。百八十センチはありそう。うわぁ、相変わらず睫毛長いー。お肌もスベスベで、なんだこの色気は。お化粧も何もしてないのに綺麗。私女として負けてる。さっきから胸の鼓動が凄くて、心臓が破裂するー。
「ひぇっ、えっと私も一日休みだけど、ちょっと…」
「ん?仕事絡み?でも休みなんだよね?誰かと会うの?男性?デートとか?手紙には書いてなかったけど、もしそうなら紹介してもらいたいな。色々その彼と話したいことがあるから」
アルは右手で私の頬に触れたまま、左手は私の手を取る。そのまま私の手の甲を、親指で優しくなぞる。その手を持ち上げて、アルが私の手に軽いキスをした。片手に花束をもっているから抵抗できない。激しい動悸がぁ。
あれ?ん?ちょっと待って?彼氏!?
「違うよ!彼氏なんて出来いない!!それに好きな人は会社にはいないし!
あっ!えっとぉ、と、とにかく誤解しないで!!社員寮に帰って、皆のご飯を作らないといけないから!」
「はぁ!!?」
「!!しまった!これは孔明の罠だ!」
「…いや、誰それ。そんな事よりどういう事?きちんと説明して貰うよ。とりあえず、落ち着いて話せる場所にいこう。春とはいえ、ここは寒い。リディは昔からこの時期は、風邪をひいてたから心配だよ」
そう言ってアルはコートを脱ぐと、私から花束を奪い、コートを私にかける。
ズッキューン。
またも攻撃を仕掛けられた。どうやらアルは、凄腕スナイパーだったようだ。
もうやめて!これ以上私の心臓を撃ち抜かないで!もう撃ち抜く箇所は心臓に残っておりません。私の乙女的ライフはゼロよ。
勇者はスナイパーに敗北して死亡した。勇者は始まりの村の神殿に戻った。
「ううっ…はい。了解デス」
今死んだら、私の死因はアルへのドキドキだと思う。
アインドル家所有の馬車で、アインドル家まで移動し、漆喰壁とラブラの木で、品よく纏まった部屋に通される。
ラブラの木はこの世界の高価な木で、固くて加工がしにくい。何でもラブラの木を切る前に、刃物がかけてしまう位固くて、この木を取り扱えるのは、この国ではアインドル商会だけ。自分達の技術や仕事に自信をもち、更なる努力をしているそうだ。
ラブラの木は何も施さずに、そのまま雨ざらしにしても、五百年は品質劣化しない木だ。その強さからこの木には、神様がいる天界から種が落ち、世界に根付いたと信じられている。保護魔法を使えば、半永久的に品質が劣化しない。つまりラブラの木だけで作った家は、沢山の守護魔法を掛ければ、永遠に品質が劣化しないのだ。
非常に燃えにくいが、実はじっくり燃やすと、素晴らしい香りがする香木としても取引されている。葉や木の皮も燃やすと、いい香りがする。葉は、木皮と建築で余った木片を、香木にまわされたものに比べて、安価なため庶民のプチ贅沢品として、お祝い事によく贈られている。
ゆえに、この木には、捨てる箇所が一片もない。主に神殿・王宮の内装に使用され、この木を使った館に暮らすことは富の象徴になる。私達がいた孤児院の礼拝堂にも、柱として使われている。
アインドル商会は、この他にも手広く商売をしているやり手の商会で、平民から王家に至るまで王国最大手の商会として浸透しており、権力と財力は男爵・子爵級の貴族よりも強いという噂もある。
初めてアインドル家にお邪魔した時には、ラブラの木をこれでもか!と使われた館と、その事を思い出して、かなり萎縮したけど、いいからいいからとアルを筆頭に、アルの両親や使用人・商会の従業員に歓迎された。
何故か「これで俺も結婚できる」とか言って、感動して泣いてる男性達もいたけど、使用人と従業員からは「お嬢様が若旦那様の例の方なのですね」と親切にされて、アルの両親には「あの子は女性嫌いだから、色々心配していたの。でも杞憂だったようね。ふふっ私とも仲良くしましょうね」と奥様に色々よくして頂き、「この家はどうなる事かと思ったが、これからもアルフォンスを宜しく頼むよ」とアインドル商会会長の、アルの父親には熱い握手をされた。
会長夫妻も私達と同じ平民同士だから、平民で孤児院育ちの私も、毛嫌いはされないとは思っていたが、何故ここまで歓迎されているんだ?息子の女友達が遊びに来たから?
これが三ヶ月前の反応、何で私がアルの家に遊びにいくと、あの男性達が結婚できるの?アルの例の方って何?アルが女性嫌い?あの甘い言葉と態度で、幼なじみの私にさえ甘々なアルが?…ダリアもそんな事言ってたかもしれない。
孤児院では年の近い子は、私とアルしか居なかったけど、アルが孤児院から出ていく年に孤児院入りした、マーサには優しくしてたけどなぁ。近所の同じ年頃の女の子達には、確かに距離を置いていた。
ハッ!まさかアルってば、マーサの事を?ちょっと本当に?アルが十八歳、マーサはまだ四歳よ!?アルがロリコンだったなんて!と、ショックを受ける。
「リディ?何か変な事を考えてない?
じゃあ何故、社員寮で皆のご飯を作っているのか教えてくれる?
確か寮は単身者用と家族用に分かれていて、各自で食事を作るシステムだったはずだったね?あと勤務先には、事務で採用されたんじゃなかったの?事務も調理もしているなら、お給料位は増額されているのかな?」
おっと、現実逃避も許してくれないようだ。
私達の居る部屋はラブラの木の応接テーブルをはさんで、ゆったりとした柔らかな素材で作られた、夕日色の五人がけソファーと、正面には同じ素材で作られた一人掛けの椅子が三脚ある。
私達は五人掛けのソファーに、隣に並んで一緒に座っている。お互いの体が密着するくらい近い。
二つの意味でドキドキするので、一人掛けの椅子にいきたいです。ダメですか、そうですか。私が逃げないように腰に手を回されてしまった。
キャー!昔はアルに膝抱っこされてたのに、今は距離の近さが恥ずかしくてたまらない。微笑みを浮かべて、優しく語りかけられているのに、恋愛とは違う意味でもドキドキする。花束は使用人の方に、預かって貰いました。
「確かにそうだったけど、二ヶ月前に社員総出の食事会があって、その時に私も料理を手伝ったの。
食事会で私の作った料理が、美味しいと評判になって、社長から寮の二食、昼食と夕食を社食に切り替えるから、調理場の雇った人が仕事になれるまでの間、私にも料理を作って欲しいと命令を受けた。事務の仕事もしながら、皆の料理も作ってる。
私の他には三人いるんだけど、その三人は料理だけを作るから、レシピは私が考えていて、食材の発注やカロリー計算や、会社事務やシフトづくりに、料理を指導したりとか忙しくて、実はアルと会ってから、初めて外出出来たんだ。事務の仕事を八時間と、調理場の仕事を八時間で、毎日クタクタになっちゃって。
お給料は十八ルドで、社保諸々引かれて、手取りで十五万ルド。休日も三人が慣れていないから、一緒に頑張って料理を作ってたの。
あ!でも最近は三人も慣れてきたんだよ。そろそろ私が休日を潰さなくても良さそう。私がしている調理場の仕事は引き継ぎして、私が居なくても現場を回せるようになってきたわ。その証拠に、今日はアルが大事な話を聞く為に、昼食作りはパスさせて貰えたの」
話始めるとどんどんアルの背後から、また黒い何かが出てない?かなり怖い、笑顔なのに…。いや?笑顔だからかな?
何故こんな状況になったかというと、またも私のうっかりのせいだ。これでうっかりは二回目だよ。
会社の懇親会で、社員の女性陣や、男性社員の奥様が集まり、みんなで料理を作っていた。リディシアさんもなにか作れる?といわれて、料理を作ったら、実は異世界で食べたこちらにはない料理だった。
前世の私の知識を学習したことで、いつの間にか前世と今世の知識が融合してて、全く気づかなかった。目立つつもりはなかったのに、また失敗した。
「…色々言いたいことは多いけど、社員はリディの手料理を毎日食べてるわけだ。ふぅん…確かに忙しくて会えないね」
うっ、アルの声が低くなった。
「そうだね。料理は社員とその家族分も合わせて、百人分作ってる。毎食作って、事務の仕事もしてたら死んでたかも。まだ二食でよかった」
「……へぇ。僕も四年前に、リディの料理を食べたきりなのに、そいつらは毎日ねぇ。
事務もしながら、料理の仕事も掛け持ちする事は、契約書をかわしたの?勤務時間も長すぎる。休日を潰して料理を作っている事も、その事を許容している会社も、アスール王国労働基準法違反。
雇い主は労働者を守る必要があるのに、一日に十六時間勤務を毎日、休日は八時間働かせているんだ。休日を与えていない事、こちらはアスール王国奴隷禁止法にも触れる。このままの生活が続いたら、リディは過労死してたかもしれない。契約書を見せて欲しい」
ヒイッ!怖いー!魔王様降臨ですかぁ。
どうやらスナイパーの正体は、魔王様だったようだ。ドロドロした黒い何かが、渦巻いてやしませんか?前世の異世界の記憶にある、RPGゲームを思い出すよ。
「寮の自室にあるから取りにいかないと、また今度会った時に持参するよ。心配してくれてありがとう。そういう訳なんで、アルからの大事な話を聞きたい。夕食の準備がなければ、ゆっくり話をしていたいんだけどね」
タジタジになって、なんとか返答する。
私が会社で働き始めて、アルはアインドル商会の跡取りとして、とても頑張っていると私の周囲の人から聞いた。
美形で仕事にも優秀な結果を残しているアルは、周りの人にとても人気で、特に女性は独身の彼の恋人の座を狙う人が多い。
私も頑張って働いて何か結果を残して、アルと同じ位に色々出来るようになりたくて、必死に働いていたんだと今気付いた。
私は仕事が好きな訳じゃなかったのか。
「何で僕が怒っているか、分かっているの?リディ」
絞り出すような声で、そう私に問いかける。アルは怒っているのに、どこか悲しそう。
空色の瞳から涙が溢れそうで、私がアルにこんな顔をさせていることに驚いて、こんなに心配してくれるのは、幼馴染みとしてなんだと思うと、嬉しいのに悲しくなって私も涙が溢れそうになる。
「久しぶりに会った幼なじみが痩せてたから、心配してくれたんだよね?あと商会を取りまとめる、後継者としての立場からも、私の雇用状況が許せなかった?」
私は震える声でそう答える。
「リディはバカだ」
「え!ちょっと…ヒドイ」
「何で僕に相談してくれなかったの?離れてからも、ずっと手紙のやりとりをしていたのに。リディが苦しんでるのに、何も知らなかった。リディにとっての僕は何なんだよ!僕はリディが世界で一番大事なんだ。リディが楽しいと僕も楽しいし、リディが悲しいと僕も悲しいんだ!」
アルは泣いていた。大きな声で叫んだ告白が、衝撃的すぎて頭がぼおっとする。私も涙が止まらなくなる。混乱して熱に浮かされる。
「……ねぇ君と離れてまで、僕が王国最大手の商会の後継者なんて、面倒臭い家に引き取られたのは、何故だと思う?」
「え…あ…私…わからない…」
「昔、君が倒れたのを覚えてる?あの時君が何故倒れたのか、来てもらった医者にも原因不明だった」
私が前世の記憶を取り戻した時だ。あの時私は泣きじゃくるアルに大丈夫だと言って、抱き締めることしか出来なかった。「私の前世が~」なんて語って、アルに電波で痛い子扱いされたくなかった。
「高位の医者に孤児が診て貰うには、孤児院に割り当てられている医療費では到底足りない。幸い君はあの後、倒れる事もなく健康なままだった。
でももしも…君に大きな病が降りかかって、病を治す為には大金がかかるとしたら?
孤児や普通の平民のままでは、君を守れない。僕は君を失いたくない。君を失う事が恐い。君を失う位なら、僕が身代わりになりたい。君を守る力をつけるために、僕はこの家の跡取りになった。君を失うなら…何のために…僕は頑張ってきたんだ。
君は…リディは僕の全てだ。僕はリディを愛している。リディが僕を嫌いならそれでいい。近づくなというなら、一生君には近づかないから、お願いだからもっと自分を大切にしてくれ。
誰か他の男と君が結ばれたとしても、君に何かあった時は、どうか僕に守らせて欲しい。
自分を大切にしない君が、もどかしくて憎くて、でもやっぱり何よりも、誰よりも君が愛おしいんだ」
アルの悲鳴に近い告白に、衝撃と嬉しさと愛おしさが溢れる。ああ、ずっと心に秘めて、蓋をしてきた想いが溢れだす。
「黙って話を聞いていれば…私にだって言いたい事はあるんだからっ」
アルに負けない位の大声で、そう啖呵を切る。私がアルに強い態度を初めて見せたからか、彼が驚いているのが伝わってくる。
ああ、アルには絶対に言いたくなかったのに。アルにはキレイな私だけを、見せていたかった。私の夕日色の瞳からも、涙が溢れて止まらない。
「アルは私が十歳で倒れたあの時から、生き急ぐように本や人から、知識や沢山の事を学び始めたよね。あなたは元々優秀だったから、あっという間に大人よりも優秀になった。その習慣は、あなたが孤児院から引き取られるまで続いた。
あなたは苦手だった運動も、率先してするようになって、剣や武道も皆から教わって、町にも一人で小遣い稼ぎに出掛けて、私が倒れるまでは、あなたとずっと一緒にいたのに、わたしが倒れてからあなたは私を見なくなった。
いつもあなたは私ではない、他の人に囲まれていて、老若男女みんなにちやほやされて、私はその輪に入っていけずに、自分からはあなたに近づけなくなった。
七歳から十二歳まで、近所のリサ達に私はずっと虐められてたの。あなたと仲良くするなって。直接服の上から見えない所は、痣だらけだったわ。光魔法で免疫力を上げて、回復するまでの時間は短縮はしてたけどね」
アルは驚愕した表情を浮かべて、私の腰に手を回していない右手を、彼の膝の上で拳を握りしめた。
「リサ達は君の事を友達で妹分だと言っていた。女の子には女の子だけで過ごす時間が、君の為に必要だと説得されて、あの頃助けてと言ってくれれば、僕は力になれたのに、君が傷つけられていたなんて、全然知らなかった…。助けられなくて、気づけなくてごめん」
涙で濡れた青空色の瞳を見開き、俯いたアルはやるせなさそうにアルが言った。私は彼の握りしめていた右手を開くように、彼の右手指に右手を重ねると、その手をアルに握られる。
ほらやっぱりあの頃言わなくて正解だった。握りしめた手の平に、爪のあとが赤く残ってる。すぐに止めなかったら、手を怪我する位の力で握りしめたでしょう?私の痛みには過敏になるのに、自分の痛みには鈍感な人だから。
「リサ達はあの頃、あなたが好きだったの。今は四人とも結婚しているわ。
四人の内の一人があなたを引き留めて、虐めが終わった後に、もう一人があなた達に声をかけにいくのが終了の合図だったから、絶対に気づけない筈よ。
もしもあなたが私をかばったら、いじめが余計にひどくなる。私はあなたがいれば強くなれた。虐めなんてどうでもいいと思えた」
「リディ…」
「あなたが私から離れて行くまでは、虐めだってなんだって耐えれた。あなたは私の隣にいるのに、手を伸ばせば届く距離にいるのに、あなたとの距離が近いのに遠くなった。あなたは私を見ながら、ずっと先の未来を見るようになった。あなたが私を見なくなってから、私はあなたが大好きで……とてもとても大好きなのに、同時に大嫌いにもなった。あなたが知識を、人脈を、あらゆる能力を高めるのが、誇らしくて嬉しいのに、どこかでずっと寂しかった。
私はいつかあなたにもう一度だけでも、遠くではなく、私自身をあなたに見て貰いたかった。本当はあなたが私を必要としなくても、女の子達に虐められても、孤児院の子供に避けられていても、あなたの隣には私がずっと居たかった。
でも同時にこのままじゃダメだと思ったの。あなたが羽ばたこうとしているのに、足を引っ張るように、引き留めるだけの女の子は、どんどん輝いていくあなたの隣にいるのはふさわしくない。
そんな時、あなたの評判を聞き付けたアインドル家に、あなたは引き取られて孤児院から出て行った。あの頃の私には、あなたしか親しい人はいなかったから、私は一人きりになった」
なんだかアルを責めているみたい。でも一度話始めたら、いっそ全てを知って欲しかった。一度深呼吸してから、目を閉じてまた目を開く。
「きっとあなたは新しい場所で、以前よりも頑張って、もっと自分の価値を高める。私もそんなあなたの隣にたつ、価値のある女性になりたくて、自分の知識や能力を必死に高めた。
皆に避けられても、できるだけ毎日話しかけて、リサ達からのいじめに反撃して、沢山喧嘩をした。その時は…あなたのくれたペンダントが、私を守ってくれたわ。孤児院の子達もいじめっ子だったリサ達も、町の人も、今では本当にみんなが友達よ。
私には、あなたを想うこの気持ちが何なのか、名前をつける事が出来ない。でも私の隣にいて欲しいのは、ずっと手を繋いでいたいのはアルフォンスだけなの」
全て言い終わる前に、目の前が薄紫色に染まり、私はアルに強く抱きしめられていた。
私達はお互いにボロボロに泣いていて、アルの青空色の瞳からはハラハラと雫が降り注いで、彼の服は私の涙と彼の涙で濡れていた。
私も彼の背中にオズオズと手をのばして、彼を優しく抱き締める。彼に抱き締められながら、私とアルは唇に優しく触れるキスをした。
おしまい。
――――
「イヤイヤ、おしまい。じゃないよ!」
ガバッという擬音でもつきそうな勢いで、私はフカフカのベッドから飛び起きる。アレ?ここは?
「リディ、目が覚めたんだね」
どこかホッとした様子のアルが私の手を握っていた。
デジャブ?アレ?さっきまでのアルはもっと小さかったのに。大きいアルだ。大きいアルと繋いだ手を離して、知らないベッドで寝ている状況、上半身を起こして大きなアルを見る。
「アルの青空色の瞳に赤が混じって、青空と私の色と合わさってる。綺麗だけどアルが痛いのは嫌だな。ねぇ誰かに虐められたの?私がアルを守ってあげるから泣かないで」
十歳で倒れた事を夢にみた私の意識は、まだ半覚醒で、幼い頃のように甘えたモードのスイッチが入っていた。寝ぼけてガードが緩くなって、必要以上に素直になってる。ベッドから裸足のまま床に降りて、椅子に座るアルを見下ろしながら、上から優しく抱きしめて頭を撫でる。
「!!?」
どんな時でも余裕綽々で、常に涼しげな顔をしているアルが、視線をさ迷わせてる。
面白い。アレ?初めての勝ち?顔が私の瞳の色と同じ夕日色だ。
「アルー?どうしたの?お顔が赤リンゴさん?お熱があるの?何でリディから目をそらすの?こっちだよ、リディを見て。んー?おでこコチン…。リディのよりも熱ーい。風邪ひきさんかな?寒い所にいるからだよ」
頬をぷくーっと膨らませる私に、アルが焦ってオロオロしてる。
「ちょっ…リディ?」
私はもう一度、温かさを残したベッドに中に戻る。
「ほら、アルも一緒にベッドに入って?リディ今はぽかぽかだから、アルの湯タンポになる。一緒に温かくして寝て、早く風邪治そ?子守唄も歌ってあげるし、寝たらお布団ポンポンもしてあげるから。ね?いい子だから、おいで?アル?」
アルもベッドに入れるスペースを空けて、夕日色の羽毛布団を端っこを右手でめくり、左手でベッドをシーツ越しに、ポンポン叩きながらフワフワ笑う。
「!!!」
「リディー!?お願いだから早く起きて。寝呆けてると、君を全部食べちゃうよ?さっき君を守りたいって言っただろう。それは俺からも君を守りたいんだ。可愛すぎて襲いたくなるから、早く正気に戻って!!」
アルが叫んで空気がビリビリする。
顔をこれ以上ない程に赤くしたアルに、大声で叫ばれて私は瞼をパチパチする。ん?あれ?
「ちょっとだけ…いや絶対止まらなくなるからダメだ…結婚するまでは我慢しなきゃ…リディから誘惑とか可愛すぎだろ…ヤバい、マジでヤバい…せめて正気で言ってくれたら…(ボソボソ)」
「うーん??私何でベッドに?アル?顔が赤いけど何かあったの?体調でも悪いの?大丈夫?」
目をパチパチと瞬かせると、ホッとしているのに、どこか残念そうなアルがいた。
何でベッド横の椅子からずり落ちているのかしら?
「………君は泣き疲れて少し眠ってしまったんだよ。心臓が爆発しそうなので………ちょっと心と…いえ…心を落ち着かせてから話を致しましょう。では、一旦失礼致します」
そう言って、ロケットのようなスピードで部屋から出ていった。ところで何で敬語?
少ししてから、ノックの音がした。
「はい。どなたですか?」
アルだろうけどね。
「アルの両親だよ。我が家にリディ嬢がいると聞いてね。今大丈夫かい?」
「!申し訳ございません、少々お待ち下さいませ」
アルのお父様の声だ。すぐにベッドから起き上がり、ベッドの乱れを整え、着衣の乱れや髪型を整えて、ベッド横の椅子を机の定位置に戻した後にお声掛けした。
「お待たせ致しまして、申し訳ございません。どうぞお入り下さい」
部屋のドアが開いて、現れたのはガッチリした筋肉に包まれた黒い服を着た男性。シルバーグレーの髪を耳にかけて、少し細目のつり目な黄色の眼をしている。アインドル商会会長でありアルのお父様。
遅れて黄色いドレスを着た、桃色の長い髪型の同じピンク色の瞳の、フランス人形みたいに美しいアルのお母様が現れた。
「やあ、三ヶ月ぶりだね。元気…ではなかったようだね?何かあったのかい?」
「そうね。大分ヤツレテしまわれたみたいだわ。どこかお加減が宜しくないのではないかしら?宜しければ、私達と付き合いのある腕利きの医者にも診て頂きましょう。お金はこちらで持つから心配しなくてもいいのよ?」
黄色い目を心配げに細められて、私に問いかけるアルのお父様と、少女の様な顔で私の左頬を触りながら、あれこれ思案中のアルのお母様。
「お久しぶりでございます。ご心配をお掛け致しまして申し訳ございません。色々ありましてこのような状況ですが、体調が戻るように頑張りますので大丈夫ですわ。ありがとう存じます。アルフォンス様のご両親の、暖かいお気持ちはとても嬉しく思います」
ドレスじゃなくてワンピースだけど、軽く裾をあげる振り。ドレスほど長いスカートじゃないから、正式な挨拶ができない。口上を終えてから、軽く頭を下げる。
それでも二人は微笑みを返してくれた。マナーは合格ラインらしい。自分磨き頑張ってよかった。下町言葉や横柄な態度なら、こんな暖かい目で見ていただけなかったかも。アインドル商会は王候貴族とも関わる以上、平民だから分からないでは済まされませんものね。
「ふふっ。とっても頑張ったのねぇ。前に課題をだした“私達を貴族位だと思って対応した場合のマナー”は合格よ。私達は同じ平民同士だし、普段は普通の言葉遣いで大丈夫よぅ。
でもリディさん?頑張りすぎると人間は壊れちゃうわ。もうっ、アルフォンスは何をしているのかしら?」
腰に手を当てて、アルのお母さんがプンプン怒ってる。怒ってる顔も可愛いなぁ。
その時、扉のノックされた。
え!このタイミングでアルが帰って来た?アルのお母様が私とお父様に向かってウィンクした。可愛い。
「もしも扉の先にいるのが、最愛のお嫁さんがボロボロになっているのを見過ごすアルフォンスなら、この場を去りなさい。彼女を愛し救おうとするアルフォンスなら、どうぞ入っていらして?」
バン!と音をたてて勢いよく扉が開かれる。
アルフォンス・アインドルになってから行う、初めての乱暴な行動に、少し目を丸くした父は、すぐにニヤニヤし始めた。
まるで父の心を読んだように、アルはギロッと父を一瞬睨み、目線で父に釘を指す。
アルが部屋に入室し、両親に問いかける。
「何故此処にいるのです?父上と母上?」
不機嫌な様子を隠そうともせずに、アルフォンスに問いかけられた母はプリプリ怒りながら声をかける。
「あなたは自分のお嫁さんが苦しんでるのに、今まで一体何をしてきたんです?自分の婚約者が、こんなに窶れるまで放っておくなんて、それでもアインドル家の息子ですか」
「あの、違うんです。アルは…いえアルフォンスさんには私が隠してたんです。あと私はアルフォンスさんのお嫁さんとか、婚約者ではないです」
「まぁ!?アルフォンス!あなたまだプロポーズをしていなかったの?今日孤児院にいた頃に、最後にお別れした公園でプロポーズするとか言ってなかった?家に二人で来たから、てっきり了承してもらえたんだと思っていたわ。
私は早くリディシアさんに、アインドル家にお嫁に来て欲しいのに。あなたは何をぐずぐずしているの!こんなに可愛くて、器量よしで、優しい子はめったにいないのよ?早くしないと、リディシアさんが他の男性に取られちゃうわ!」
「リディが可愛いのも、素晴らしいのも、母上に言われなくても分かっているよ。そのつもりだったんだけど、リディの様子がおかしかったから、まずはその事を解決してからだと思って、まだ言えてない…というか先にばらさないで欲しかった」
「!!!」
え?うそ?アルからの大事な話って本当に?
空気はピリピリしているのに、アルが私と結婚を考えていた事が嬉しくて、顔がどんどん熱くなる。不味い。にやけてないかな?
「くくっ、いつもの冷静さは何処へやらだな?周りの外堀を埋めて、結婚式の式場を予約したり、指輪やドレスや服を見繕う前に、さっさと気持ちを伝えて、自分のモンにしておかないから、こういう事になる。
いっつも言ってんだろ。お前は優秀だが、まだまだ詰めが甘いってな。
孤児院で出会った時から好きだったんだろ?そのわりには三ヶ月前の結婚前の顔合わせで、嬢ちゃんとお前の様子をみてたが、お前の気持ちはまるで伝わってない様子だったな?
お前を孤児院から引き取って、一人前になるまで一番大事な奴と直接会う事を禁じて、鼻先に嬢ちゃんとの逢瀬というでっかい人参を足らして、馬のようにお前をしごき、やっとオムツが取れて一人前になったと思ったら、相手に全く気持ちが伝わってないとか、我が息子ながらどこまでヒヨってるんだって呆れたぜ。
このざまじゃ、結婚するのにどんだけかかるか分かんねぇと思ってたら、プロポーズするとか言うじゃねぇか。
やっと男を見せるのかと、俺は喜んだんだぜ?なのにお前と来たら、今までどんだけでも時間はあったのに、何をちんたらしてやがる。さっさと嬢ちゃんをモノにしやがれ。お前狙いの女共に、お前の結婚という烙印を早くくれてやらねぇと、周りの男共もなかなか結婚が出来ねぇじゃねぇか。
部屋から出てってやるからさっさとしろ!…いや、やっぱり本当に求婚できるのか、信用ならねぇ。
今ここでしろ。俺とマリアの前でプロポーズするんだ」
え!ちょっと待って?
色々新事実が一杯あったんだけど、アルが孤児院から出て行く時に、私とは長い間会えなくなるから、手紙を出すとか、早く一人前になるからとか言ってたのはそういう事だったの!
町の他の子とは会ってるって聞いて、ああ私はアルに必要とされなくなったから、私とは会って貰えないんだと思ってた。
結婚式とかドレスとか指輪とか、出会った頃から私の事を?…うそ嬉しい。本当に?
そういえば男性達が、三ヶ月前に言ってた「これで俺も結婚できる」って、好きな女性にアルを諦めさせる為ってことか。
「あらぁ、そうね、それがいいわっ。私とジルが求婚の見届け人になるから、どうぞ?」
「……本当はリディと二人きりの時に、求婚したかったんですが、分かりました」
え?え?焦る私の前にアルがひざまずいて、私の左手をとると、ズボンのポケットから小さな紺の箱を取り出して中をあける。中には光沢のある台座に青空色の宝石がついたシンプルなプラチナリングが入っている。
「僕はリディを世界で一番愛しています。どうか僕に、あなたを一生守らせて下さい。必ずあなたを幸せにすると誓います。僕と結婚して下さい」
私だけを青空色の瞳に移して、アルが懇願するようにそう言う。平気そうな顔をしてるのに、私に触れる手は震えていた。真剣な顔をしたアルは、小さい頃に絵本でみた王子さまのようだ。
「……私はアルを、世界で一番大切に想っています。 私にもあなたを守らせて下さい。私だけ幸せになるのではなくて、私はアルと一緒に二人で幸せになりたい。求婚をお受けします」
指輪を取り出して私の左手の薬指に嵌めてくれた。キラキラした指輪と同じ青空色の瞳が、宝石のようにキラキラ輝いて、笑顔のアルが立ち上がって、私を抱き締めながら深いキスをした。
「キャー、よかったわぁ。もう私…涙がでちゃった。これでリディさんは、私の娘になったのね。二人共おめでとう」
目尻に浮かんだ涙を、刺繍入りの白いハンカチでぬぐいながら、アルのお母さん…お義母さんがそう言って祝福してくれた。
「おぅ、おっめでっとさん。俺も娘ができて嬉しいぜ。
こんな時になんだがよ?お前らがさっき話してたことは、全て俺らは聞かせてもらってた。嬢ちゃんは今からアインドル家の嫁で娘だからな。今弁護士も呼びにいかせている。俺らもついててやるから、じっくり相談しろ。
もう会社と寮には戻らなくていいぞ。そんな会社に、うちの娘は勿体ないからよ。アルに退職の処理をさせるわ。寮の荷物はうちの使用人に運ばせるし、実はアルと嬢ちゃんが暮らす館も、既に建ててあるんだ。アルはもう住んでて、そっちから仕事場に通ってる。嬢ちゃんの寮の荷物は、そっちに運ばせる。雇用契約書だけはこちらに持ってこさせとく。
なぁに嬢ちゃんは、身一つで嫁に来てくれればいい。あと、この婚姻届にサインしてくれ。嬢ちゃんの名前の欄以外は、全て埋めてある。途中でアルよりもっと男前で、いい男と出会って、やっぱり結婚できないとか言われるかもしれねぇ。気が変わらねぇうちに、やる事はやっておかねぇとな。おっ?書き終わったな。じゃあ念の為、こないだ泣いてた男の使用人に届けさせるか。
今日は二人共うちに泊まっていいぞ。二人は今日から結婚して、夫婦になったわけだが、あーなんだ、そのよ。初夜はお前らの家でしろよ?」
アルのお父さん…いやお義父さんに、怒濤の如く説明された。色々言いたい事はあるが、一番の疑問はなんでアルと部屋でした会話が、お二人に全部筒抜けなのよ!?
「父は風の魔法が得意なんですよ」
疑問が顔に出ていたのか、アルが説明してくれた。
「クククッ、そーいうこった。これで初夜はここでするなって、言ってた理由も分かったな?まぁ、聞かせるのが趣味ならしてもいいぜ?」
ボボッと顔が一気に赤くなる。熱をもった顔を冷やすために、両手の平で顔の熱をとる。
「デリカシー皆無の父ですみません、リディ」
アルが申し訳なさそうに謝ってくれた。
「それじゃあ、私たちは部屋からお暇するわ。婚姻届は役場に今日中に届けさせるから安心してね。弁護士がきたら、部屋に人をやるから二人で客間に来るのよ。それまでは二人っきりの時間を楽しんでねっ」
「多分すぐに呼びに行かせるから、それまではゆっくりしてろ」
そう言って、お義母さんとお義父さんは部屋から出ていった。
二人が居なくなった部屋にアルと二人きりになった。
「それじゃあ使用人に呼ばれるまで、リディを補充させて下さい」
そうにこやかに言って、優しく抱き締められる。
「アルと結婚したんだよね?まだ実感がわかないけど」
「そうだね。もうリディは僕のお嫁さんになったんだよ。結婚式は、僕らが一緒に育った孤児院の礼拝堂を予定しているんだ。細かい事はまた後で相談しよう。
父も言ってたけど、今更やめたって言っても、僕は一生リディを離さないから、リディも他の男を好きになるのはあきらめて、一生僕だけを見ていて欲しい。その代わり、僕もリディだけを愛すから」
「他の男性とか好きになった事はないよ。ずっと私にはアルだけよ。でもアルには私以外にも、愛して欲しい人がいるわ」
「?」
「将来産まれてくるかもしれない、私達の子供も愛して欲しいな」
「そうだね。リディの子供ならきっと可愛い」
またキラキラな笑顔で、私にそう声をかけるアルに、私も笑顔になる。
「私の子供だからじゃなくて、私とアルの子供だから可愛いんでしょ?結婚したばっかりだし、まだ気が早いけどね。でも話してたら、アルとの赤ちゃんが欲しくなってきた」
「僕はまだリディと、恋人らしい事を何もしていないから、子供はリディと恋人らしい事を、沢山した後でいいかな。両親にもそう言って、孫がとか言わせないように釘を刺してあるから、まずは僕と恋人になろう。リディの体調を元に戻して、元気になってからだね。
焦らなくていいんだ。僕らのペースでゆっくり恋人になって、夫婦になればいいんだから。結婚を急いだのは、リディが成人になったから。他の誰かに、リディを奪われない為だよ」
優しい微笑みながら私にそう話すアルに、ドキドキしてるのに安心してしまう。
「確かに、アルと恋人らしい事したいな体調も戻さないと元気な赤ちゃんできないし。分かったわ」
その時、ドアがノックされた。
「おくつろぎ中のところ、申し訳ございません。弁護士の方が到着されたので、お二人に客室に来るようにと、旦那様からの言伝てでございます」
ドアの外から、女性の使用人から用件を告げられる。
「分かった。すぐに二人で向かう」
「かしこまりました。旦那さまに先にそうお伝えしに参ります。それでは失礼いたします」
「リディ、一緒に行こう」
あの頃は背中ばかり見ていたアルが、今はまた手を差しのべながら私の隣にいる。
そしてその目はしっかりと、ここにいる私をみていた。
「ええ」
私は差し出されたアルのその手を握る。あの頃追い求めた理想の自分に、今の私はなれているのかな。
答えは分からない。
理想の自分になれるまで、頑張っていくだけだ。
他の誰でもない私の理想の私になって、あなたの隣を一緒に手を繋いで歩いていく。
私は私の居場所にやっと戻って来れた。
あなたの隣という私の居場所に…。
アルが指輪のリディの指輪のサイズを知ってたのは、3ヶ月前に会った時に、こっそり糸を使って確認していました。会話の中に入れられなかった。
短編として投稿しようと最終話を仕上げたら、最初から書きたくなり、完結してから投稿しました。最終話で二人による会話の説明が多いのは、その為です。
手直しを何度も試みましたが、どう手をつけていいのやら分からなくなり、ほとんど変えていません。
お読みいただきありがとうございました。